89話 折衝(上) 産学連携
交渉と折衝。使い分けが難しい。
4月。
瞬く間に春休みは終わり、後期に入った。
3限目後の時刻だが、まだ日は高い。
「ここね」
オデットさんに向けて、うなずく。
扉の上に、産学連携事務所と看板が掛かっている。大学南キャンパスの中ほどではあるが、余り来たことのない一角に、その建物はあった。
「失礼します」
「はい」
「あのう、ベネットさんという方を尋ねてきたのですが」
入っていくと総白髪の好々爺という感じの男性に迎えられた。
「ああ、私が連携担当のベネットです。こんにちは」
「こんにちは。魔導理工学科1年のオデットと、こちらはレオンです」
「レオンです。よろしくお願いします」」
「よろしく。こちらに学生さんが来るのは珍しいですが、どのようなご用件で?」
「はい。事務長にこちらに大学祭のことで相談へ伺うようにと、勧められまして」
ここは産業界、つまり企業や団体が、大学と何か連携してやりましょうといったときに、仲立ちになって促進してくれる組織だそうだ。
したがって、ここに来るのは、おおむね学外の人らしい。そう後で聞かされた。
「事務長ですか。わかりました。では、こちらへ」
間違って来たのではないと、理解してくれたのだろう。小さい談話室のようなところへ通された。
「それで、大学祭のことというと、どういった?」
「はい。それは……」
オデットさんが中心となって、リオネス商会に魔導理工学科の出店に対して、協力をしてもらうことになったということを説明した。
「話はわかりました。ですが、聞き様によっては企業が大学で営利活動をするだけと捉えられかねません」
「ううん……」
オデットさんが眉根を寄せた。しかし、ベネットさんの態度から見て、却下という感じではない。
「もちろん理由はあります。社会実験なのです」
「社会実験……ですか」
おそらく、誰かに批判を受けたときに、それなりに言い返す理由、言い換えれば大義名分があれば良さそうだ。
「彼女が説明したように、店舗は喫茶です。しかし、客単価を、大学祭相場の倍以上にします。その場の雰囲気や対応する者の身形を高級にすることで、客が満足してくれるかを検証します」
「ほう。それは、もし盛況となれば暴利、不評となれば投資がすべて赤字となるのではないですか?」
乗ってきた。規則上で駄目など不可避な事項がある場合は、こういう質問はしないと思う。
「それについては、彼女から」
オデットさんに任せる。30分前に大学総務部で事務長に同じ説明をしたし。
「はい。それは……まず暴利の方は、心配はありません。店舗ごとに利益上限が参加人数当たり5セシルまでと決まっており、それを超えると、大学祭運営委員会を通じて、社会貢献に回されます」
ベネットさんがうなずいた。
「また赤字も、全く客が入らなかった想定での最大額は、大学からの補助金である30セシルを超えることはありません」
「ふむ。にわかには、信じにくいですな。もう少し説明願えますか?」
「社会実験結果を商会へ報告することにより、衣装、食器、什器の賃借料は名目的にですが、それぞれ1セシルでよいという約束になりました」
0にすると税法上寄付行為になるのだろう。
「また、茶葉と菓子類は日持ちがするもののみとして、梱包を解かない状態であれば返品できます。よって、最小限の代金は20セシルを超えない計算になっています」
「それはまた……あなた方にとって有利な条件となっていますね。よくそれで商会が了解したものです。社会実験の結果に魅力があるのですかね?」
「もちろんそれもあるでしょうけど、リオネス商会が彼の実家だということもあると思います」
ふぅむとベネットさんが考え込んだ。
僕の実家だという点が、逆に引っかかっているのだろうか。
しかし、まもなく。
「わかりました。実施されるのが大学祭であったり、北キャンパスの経済学部が取り扱うべき事例のような感じでやや気になるところはありますが。産学連携事務所は、魔導理工学科の皆さんに協力いたします。別に他の学部がやってはいけないという規則はありませんし」
オデットさんと顔を見合わせる。
「外部や大学側への届出について、特に大学内での企業活動は手続きが煩雑だったりしますので、そちらは任せてもらいましょう」
「うわぁ。助かります。よろしくお願いします。よかったわね。これで、管理部もランスバッハ講堂の使用許可も出してくれそうね」
オデットさんの言葉に、ベネットさんの深い眼窩の奥が大きく開いた。
「少々お待ちを。あの講堂を使用するつもりなのですか?」
ランスバッハ講堂は、その名を持つ王族が、南キャンパス開設に当たり、移築して寄付してくれた建物だそうだ。使用希望を出す段階で知った。場所は、ここから北方向、芸術学部の近くに位置している。なかなか立派な建物だが、僕が使う機会はこれまでなかった。学位授与式などで使われているらしい。
「あのう」
「だから断るということはありませんので、安心してください」
驚いたオデットさんが、胸を撫で下ろした。
「いやあ。あそこは、並の建屋とは扱いが違いますからね。届け出も厳重というか、なかなか」
「そうなのですか?」
オデットさんは真顔で訊いているが、見た感じは文化財となっても不思議ではない建物だ。
「そうですか。事務長も人が悪いな。私を指名してきた理由もはっきりしました。とはいえ、企業が絡む場合、学生さんたちだけでは手続きが煩雑ですからね。協力しますよ」
「ありがとうございます。こちらの事務所が協力してくれない場合は、講堂の使用許可を出さないと言い渡されていたので助かります」
「いいんですよ。ただし、あの講堂では公序良俗に反することをすると、他の場所では大目に見られることでも罰を受けることもありますので、ご注意を。そちらについては、当事務所もかばいきれません」
「はい。それは、事務長からも注意されました」
「ところで、あの建物ですが。学園祭の時は芸術学部が使っていることが多いように記憶していますが、そちらはどうなのですか?」
「ああ。事務長は、使っていない南側の区画があるのでと言ってくれましたが、礼儀として芸術学部の絵画学科に話をするようにと言われています」
「わかりました。そちらは皆さんにお任せします」
†
産学連携事務所を出た。
オデットさんが立ち止まって、僕の顔をじっと見る。
「何でしょう?」
「レオン君は、商会での交渉の時も思ったけれど、ずいぶん機転が利くわね」
「はあ、それはどうも」
「勘違いしないで、褒めていないわ。言い方を変えれば、口がうまいということよ。ウチの家訓では、口のうまい男を信用するなってのがあるわ」
「含蓄のある家訓ですね」
「ふん。そういうところよ。まあ相手が何を欲しているか素早く理解する点は、交渉では頼りになるとだけは言っておくわ」
「それは、どうも」
また、きっと睨まれた。
「じゃあ、ついでだから、芸術学部へ行くわよ」
「ええと、まだ使用許可は得られていませんが?」
「事務長は、約束を翻さないでしょうし。第一許可を得てから乗り込むと逆に印象が悪いわ、ウチに相談もなく決めたってね。実行委員会総会で、絵画学科の責任者の顔も知っているから」
「ふむ。それも一理あるか。ではいきましよう」
北方向へ5分程歩く。
「しかし、芸術学部の学生は、同じ大学とは思えないなあ」
擦れ違う学生は、魔導学部とは着ている物が違う。良い意味でも悪い意味でも個性的だ。僕たちはローブ姿が多いからな。
風貌もそうだな、自由だ。軍籍学生とかも居ないと思うし。
「そうね。入学当初は私もそう思ったわ。だらしない格好をしているなって。寮から魔導学部の区画まで通るからね」
そうか、オデットさんにはそう見えるんだな。
ディアとベルもここからさらに北にある寮に住んでいるんだった。
「ええと。ここだわ。22番建屋。絵画学科。入りましょう」
商会に入るときは怯んでいたけど、こういうところでは物怖じしないな。
3階に上がった。
ちょうど通りかけた先輩であろう2人に、オデットさんが声を掛けた。
「済みません。3年のイザベラさんは、今日は居ますか?」
イザベラ?
「ああ、この先の3011教室に居たよ」
所々絵の具で汚れたエプロンを掛けた人が答えてくれた。
「ありがとうございます」
「その服。君たちは、魔導学部?」
「そうです」
「ふーーん」
何だか、値踏みをするような感じで、上から下まで眺められた。
「レオン君。行くわよ」
「あっ、はい」
オデットさんは教室の上の札をを見ながら廊下を進む。しかし、僕には他に気になることがある。
「3009……3010……」
「イザベラ……イザベラ……」
「ここだわ」
ノックをして失礼しますと言って、扉を開けるが早いか中に入っていた。
いやあ、精力的だな。
なんというか、嫌な予感がする。そういう予感が外れたことがないのがつらい。
待てよ。良く考えたら、ここにまで僕が付いてくる意味ってあったかな。あれ? いや! これも、制御は暗いと言わせないためだ。何かすこし違う気もするが、意を決して中に入る。
「失礼します……げっ!」
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訂正履歴
2024/03/23 副題追加、少々加筆
2025/03/30 誤字訂正(n28lxa8Iさん ありがとうございます)