83話 新居
若い女性の部屋は、なんか……本文につづく
この辺りだ。パパス街3丁目。
僕の下宿からおおよそ西へ歩いて15分。そんなに遠くないところだ。
むっ。複合魔術感知にアデルの反応がある。方位は前方やや右で、かなり近い。
あそこかな?
屋根がある玄関の中に、頑丈そうな鉄の格子戸があり、その向こうにアデルが立っていた。
「いらっしゃい。すぐ分かった?」
「うん。まあね」
ギィと軋んで格子戸がこっちに開いた。へえ、魔導錠前か。向こう側からは鍵を使わなくても開いたな。
数歩中に入ると、左側に管理人だろう人がガラスの向こうでこちらを見張っていた。
「夕方6時までは、あそこに詰めてくれているの。ああ、ちょっとそこで待っていて」
何だろう? アデルは右の小部屋へ入っていくと、間もなく戻って来た。
遠くに、鐘が聞こえている。午後3時だ。
「重い方を持つよ」
彼女は、大きな布袋と籐のかごを持っている。
「ありがとう。じゃあ、こっち」
かごを渡された。
「ところで」
「荷物? そっちは食材、こっちは洗濯に出していた服」
「へえ」
「あとで話すけど、あそこに自動受領箱があって届くの。部屋へ行きましょう」
階段で3階まで上がり、頑丈そうな扉の鍵穴に鍵を差し込み、開けてくれた。
「わたしの新居へようこそ」
アデルは満面の笑顔で迎えてくれた。
「東洋式にしたの」
「東洋式?」
「ここで、靴を脱いで。これに履き替えて」
「ふーん」
スリッパだ。
東の国に住む人は、部屋の中では脱ぐらしい。履き替え終わった。
「じゃあ、上がって上がって。ああ、そこ。左がシャワーとトイレ、右が衣装部屋と寝室」
アデルははしゃぐように廊下を歩いて行き、突き当たりの扉を開けた。
「ここが居間ね」
「へえ。僕の下宿と間取りが似てるね」
南向きで、陽光がよく入る、感じが良い部屋だ。
窓の向こうは木立があって、気持ちが良いし、外からの視線も届かない。
「そうなのよ。ちょっと居間は、レオンちゃんのところより狭いかな。でも1人で住むには、十分すぎるわ」
アデルは、3月になって正式に歌劇団の俳優となった。その知らせは、小さくだが一般の新聞にも載ったし、4月からの公演も予定されていると、街中でもらったビラにも書かれて居た。彼女が言うには稽古が遅くなることもあるし、東区の叔父さんの家から通うのは厳しくなってきたとのことだ。よって、アデルは独立することになり、ここで1人暮らしを始めたというわけだ。
「レオンちゃん。上着」
「うん」
アデルは寸前に立って、僕のローブのボタンを外し始めた。
「引っ越しの手伝いができなくて、ごめんね。アデル」
「いいのよ。お母さんとロッテに、あと後輩が何人も手伝いに来てくれたから」
その場に僕が居ると、場違いになる。
先月、アデルが俳優になる祝いの内々の宴が開かれ、そちらには僕も招かれたけど、引っ越しには呼ばれなかった。その宴でアデルから小さな紙切れを渡されたが、今の日付と時刻、そしてここの住所が書かれていた。
「後輩ちゃん達は、自分が女優になったらどういう暮らしになるか見たかったんだろうし」
ボタンを外し終わると、かいがいしくローブを脱がせ、それを部屋の隅の衣装掛けに掛けた。
蒸気暖房が良く効いていて、まだ春の兆しが見えてきただけの王都にしては暖かい。
「そのクッションにすわっていて」
「うん」
アデルは、廊下へ出ていった。
そういえば、女性の部屋(母様除く)に入るのは、初めてだな。
なんだか、甘い香りがする。
すわる前に、部屋を観察しよう
部屋の端にはソファーが並び、ぬいぐるみ? 猫と犬かな? 3歳児ぐらいの大きさのぬいぐるみがいくつか置いてある。お姉ちゃんは、かわいい物が好きとロッテさんが言っていたけれど、そのようだ。
部屋の中央には毛足の長い明るい色のラグが敷かれている。そこにローテーブル、その周りにいくつかクッションが置かれている。
やはり、部屋の一角にキッチンがあるようだ。
自炊しているのかな?
おっと、この辺にしておこう。
スリッパを脱いで足触りの良いラグの上を歩いて、クッションの上にすわる。
1分もたたない内に、扉が開いて戻って来た。
えっ。
アデルの姿に驚いた。さっきまでは、全身を覆うようなコートを着込んでいたが。
今は、毛糸だろうか? もこもこの短いパンツを穿いている。太股全体が露わだ。上も同じような地の袖なし。襟元が緩く、双球の谷間があらわだ。
「えっと、自分の部屋では、いつもこんな格好だから」
あだっぽいほほ笑みを浮かべて通り過ぎると、キッチンへ向かった。
僕も立ち上がって彼女の所に行く。
「ねえ、ワインを買ってきてくれた?」
「もちろん」
手には何も持って来ていないけれど、魔導収納に入れてきてある。
「ありがとう」
甘い白ワインを買ってきてほしいって、渡された紙に書いてあった。
呼ばれたら何を買っていこうとか思っていたし、明確にねだられた方が悩まなくて済む。まあ、俳優になったお祝いは、別途例のアイロンを贈ったし、良いだろうと思う。
「じゃあ、グラスを持っていって。栓を抜いてほしいなあ」
ほのかにチーズの匂いが。
「うん」
戻って、クッションにすわる。
きゅっきゅと、栓抜きをねじ込み、良い音がしてコルクが抜けた。
間もなく、切ったチーズが盛られた皿を持って来てくれた。青カビが点々と繁茂した物と、こっちは羊乳のチーズかな。テーブルに置くと、クッションを僕のすぐ左横にずらして、アデルもすわった。
グラスに、ワインを注ぐ。
「あらためて。アデル、引っ越しおめでとう」
「ちょっと待って」
「なに?」
「チーズを食べる前にキスして」
抱き付いてきた。
「ふふっ。別に。アデルも食べるんだろう?」
「だって、まずは、レオンちゃんそのものがいいんだもっふ…………ちゅぱ、ああん。もうぅ」
「じゃあ、乾杯」
「乾杯」
「冷たい。ワインを冷やしたんだ?」
「うん」
魔術だ。
「甘いけれど、すっきりしていておいしい。高くなかった?」
「前にうちに来たときに出したやつと同じくらいかな」
「ありがとうね」
「歩いてきたけれど、この辺りは静かでいいところだね」
「でしょう」
「馬車鉄路線からはちょっと遠いけれど、よかったの?」
西にも路線があるけれど、多分歩いて10分以上はある。
「うん。劇場へは、歌劇団と契約した馬車で送り迎えしてくれるの」
ふむ。
「なんか。アデルが遠くに行っちゃったみたいだなあ」
芸能人って感じだ。
「ええ、そんなことはないわ。何カ所か部屋を見たけれど。レオンちゃんの下宿に、ここが1番距離が近かったんだから」
「いや、そういう意味じゃなくて」
グラスを傾け、チーズをかじる。ああ、こういうチーズには、甘いワインが合うんだなあ。
「まあ、わかるけれど。もっと人気が出て、大女優待遇になると、付き人が付いて、例えばここだと、別の部屋に住み込みになって、いろいろ世話をしてくれるんだって」
「そうなんだ」
「便利かもしれないけれど、息が詰まるかもねえ。まあ今は、衣服を洗濯してくれて。食べ物の材料を届けてくれるくらい。南区に住んでいる場合限定だけど」
歌劇団の劇場やらその他の拠点は、ここ南区に集まっていると以前アデルから聞いた。
「結構気を使ってくれるんだねえ」
「そうね。顔が知られると買い物にも行きにくくなるし、頻繁に洗濯すると手が荒れちゃうからねえ」
そうか。ぜいたくというより、切実な話だったんだ。
「でも、肌着だけは自分で洗っているけれど」
「手を見せて」
綺麗な手だ。荒れてない。
「ちゃんと手入れしているからねえ」
「よかった」
「よくないわ」
「ん?」
「手じゃなくて、もっとちがうところを触ってほしいわ」
頭に手を置いてなでる。
「うぅぅん、頭でもいいけれど……あぁ」
そこから首筋を這わせて、そのまま襟元から右手を滑り込ませる。
「まあ、レオンちゃんは、どこで、そんな手管を覚えたのかしら」
「さあ、どこだろう?」
「あぁ……あふぅ」
重い球体を軽く圧しながら、持ち上げる。
鼓動が少し早くなってきた。
「でも、せっかくだから切ってくれた、チーズを食べないとね」
手を出して、チーズを摘まむ。
「おいしい」
「ああん。もぅぉ……きょ、今日は泊まっていってくれるわよねえ?」
「ベッドに僕が眠れるところがあれば」
今日は土曜日だから、下宿で食事は出ない。
「ああ。ちょっとベッドが大きすぎないって、ロッテが言っていたわ」
顔が紅くなっている。
「そうなんだ」
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※数につづく「かしょ」表記は、か所、カ所、ヶ所、ヵ所のどれでも正しいのですが、
最近は前者2つにするのが一般的だそうです。
訂正履歴
2024/03/09 誤字訂正、少々追記
2025/04/01 誤字訂正 (笑門来福さん ありがとうございます)
2025/04/17 誤字訂正 (orzさん ありがとうございます)