80話 抜擢
人材の抜擢については、曹操が有名ですが、信長は言うに及ばず、家康もそう。まあ身代が大きくなっていけば、旧来の家臣だけでは追い付かないか……
───アデレード(アデル)視点
「1番アンノーから5番アンバーへ。はい、つなぎの動作をもっとなめらかに。そこ! 猫背にならない」
練習場に先生の手足への指示と、手拍子が響く。
骨盤から頭頂までを意識して腕を動かす。
研究生になったが、午前の授業はいままで通りだ。取り組んでいる男役にバレエが必要なのかどうかわからないけれど。皆の模範となる必要がある。
練習場の扉が開いて、事務員が入って来た。何だろう?
真っすぐ先生のところへ向かうと、話し掛けた。
「では、後列と交代。アデレード君」
えっ、私?
「はい」
先生は、入って来た事務員を指した。彼女にしたがえということだろう。軽く会釈して、歩き出したので、付いていくと練習場の外へ出た。
「あのう」
「上に何か羽織ってください」
バレエ着だと微妙な所へ行くらしい。ならば。
「靴は?」
バレエ靴を履いている。
「あぁ、そうですね。別の建屋へ行きます。そちらも」
「少し待っていてください」
小走りで更衣室に入り、上着を着て靴に履き替えて戻った。
寒い。
戸外に出ると、コートから出た膝から風に当たる。数分歩いて、本館へ入った。
何だろう? 授業中に。まさか、家族に異変でもと浮かんだが、事務員さんは無表情だ。あまり凶事という感じはしない。
「こちらです」
「ええと」
応接室だ。
「これはどういう?」
「申し訳ありませんが、用件については知らされておりません。ただ、あなたをこちらに連れてくるようにと」
「はあ……わかりました」
扉をノックする。
「研究生のアデレードです。失礼します」
えっ?
応接室には、歌劇団の偉い人たちが座って待っていた。
何? どういうこと?
見たことはあるけれど、接したことのない人が半分以上。他には養成学校の教頭先生と昨年若手公演の時の演出家の先生がいらっしゃる。
「どうぞ。アデレードさん。そこに掛けて」
正面に座った壮年男性が、革張りの椅子を指した。
「失礼します」
「ふむ。バレエの授業だったのだね」
座ると、膝があらわになっていた。
「アデレードさん。いらっしゃる方々を紹介しておきましょう」
教頭先生だ。
「左のアルブレヒト監督は、ご存じね」
「はい。ご無沙汰しております」
「正面の方は、歌劇団の人財部長と第2管理課長、一番右の方は興業部次長です」
「よろしくお願いいたします」
人財部とは、歌劇団の俳優を管理編制する部門、興業部は公演を企画運営する部門と聞いている。
「いやあ、そんなに緊張する必要はない」
「はい」
「今日来てもらったのは、アデレードさんの処遇に関してだ」
処遇? 研究生の処遇決定権は、基本的には養成学校にあったはず。なぜ、歌劇団本体の人が?
「はあ」
「うん。よく知っているとは思うが、わが歌劇団では、男役が慢性的に不足している。適性と俳優側の志望がなかなか一致しなくてね」
それはそうだろう。男役より娘役志望の生徒が多い。私だって、男役をやって評判が良いから取り組んでいるが、男性を演じるのは何かと大変だ。
「今般、アルブレヒト監督より、推薦がありました。ついては、アデレードさんが、男役として活動することを承諾されるのであれば、歌劇団としてはあなたと専属契約を結びたく考えています」
「えっ、あのう」
思わず、教頭先生の方を見た。
「歌劇団の男役俳優になりませんか? そういうことです」
「本当ですか?」
「もちろん。こんなことでうそは申しません」
課長と紹介された人だ。
「すみません」
「はははは。信じられないのも無理もない。研究生となって1年に満たずに、俳優へ抜擢する例は少々異例ではある」
「とはいえ、部長。事は契約です。重要事項を説明します」
「はい」
「まず。専属契約をした場合は、現在所属している養成学校は卒業です」
まあ、当然だ。
「契約期間は、4ヵ年とします。以降は専属と非専属を選択できます。専属における報酬については、別表1に遵います。次に……」
「……最後に特約事項です。これは、わが国の民法に一部反することですので……」
「説明は以上です。ついては、次の公演に関わることなので、次長」
「そうですな。公演計画からして、1月末までに意思表示をしてほしいものです。ただし、親御さんには十分な支援をいただいているはずなので、円満に話をまとめてください」
「分かりました」
†
今日の授業は、出席免除と言われて養成学校を出た。お母さんと、お父さんに相談しなければとは思ったが、足は別のところに向いた。どのみちまだ昼過ぎだ、お父さんは家にはいない。
建物が見えた。
「やあ」
声に振り返ると、買い物カゴを下げた女性が居た。
「リーアさん」
「どうした? こんな時間に。それに元気がないな、アデル」
並んで歩き、レオンちゃんの下宿に入った。
「奥様はまだ掛かるだろうし。昼過ぎたばかりだから、レオンもまだ帰ってきていないが、茶でも出すよ」
食堂に通された。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
お茶を出してくれた。
「単刀直入に訊くぞ」
「あっ、はい」
「レオンとなんかあったのか? アデルに悪いことをしたなら、言え。私がとっちめてやる!」
「いっ、いいえ。レオンちゃんは何も悪くないです」
「そうなのか?」
「はい。完全に私の問題です」
「そうかあ。じゃあ、余り力になれそうにないな。まあ、飲め」
「話をしていると気が楽になります。でも、どうして、親切にしてくれるんですか?」
「ふん。どうしてだろうなあ……妹みたいに思っていたやつがいたからかなあ」
「妹。前に孤児だったって、おっしゃってましたね」
「あっ、ああ。孤児院に10歳までいたんだが」
「孤児院!?」
「ああ。同じ髪色で感じが似ている。かわいかったからな、里親に貰われて行って、それから会っていない。歳は3つぐらい上だろう。まあアデルみたいには別嬪にはなってないと思うが……おっ。ちょっと待て」
食堂を出ていった。
すると、足音がして意中の人が入ってきた。
「おかえり。レオンちゃん」
「たっ、ただいま。どうしたんですか? こんなに早く」
「ふむ。上でやってくれ」
リーアさんが、ウインクした。
「すみません。お茶、ありがとうございました」
「うん。またな」
†
階段を昇り、レオンちゃんの部屋に入った。
「何か飲みます? ああ、お茶を飲んでいたか……アデル?」
私は、コートを脱いだ彼の背中に抱き付いた。
「どうしたの?」
「聞いてくれる?」
「もちろん」
長椅子に移動した。
「今日歌劇団から、提案があったの」
「ほう」
「私に俳優にならないかって?!」
レオンちゃんは、何度か瞬いた。
「本当?! おめでとう? えっ、なんでそんな顔しているの?」
私を見て悟ったようだ。
「アデルの夢なんだよね」
「うん。昨日まではね」
「昨日? どういうこと」
「俳優になるには、歌劇団と専属契約を結ぶ必要があるのだけれど。特約事項があるの」
「特約?」
「2年間は、結婚できないの」
「結婚!?」
「そう。結婚」
「ええと、それは僕と別れるとか、縁を切るとかそういうことでは?」
「違うわ。そんなの嫌よ!」
何十年前にはそういう話もあったらしいが、他の2大歌劇団へ女優達が大量移籍する騒動というか裁判沙汰があって、以降恋愛は自由というのが保障されている。ただ結婚に至ってしまうと、少ないとはいえ男性への人気低下が避けられないので、新人から2年間は避けてくれ。妊娠と出産は興業への影響が大きいので、避妊はしっかりやれという意向だ。それが特約事項として残っている。その不自由な分は金銭的な補償がある。
「うぅむ」
レオンちゃんも難しい顔になった。
「ごめん。アデル。僕は、結婚とか考えて居なかった。もっと、真剣に考えるべきだったね」
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訂正履歴
2024/03/02 少々加筆
2025/03/26 誤字訂正 (ビヨーンさん ありがとうございます)
2025/04/02 舞台監督→演出家 (カレイドさん ありがとうございます)