66話 魔導アイロン(3) 脱却
自分で自分に罠を掛けるってことがあるんですよねえ(当社比)。
むうぅぅ。材質は鉄ではないらしい。少なくとも、スチームアイロンでは。
錆びない金属。例えば記憶にあった軽金属、アルミというものらしい。
正確には、アルミは錆びるのだけど、表面が錆びるだけで、それ以上は腐食が進まないのだとか。
「うーむ。それを使えば、できるか」
逆に言えば、この世界ではできそうにない。いや、絶対ではない。
しかし、アルミを大量に製造していないのだから、相当困難な道だ。直材費が相当上がるから、アイロンを作っても、全く売れないだろうなあ。
くぅぅ。
地球の基礎科学力に負けた。
†
「なんか、元気ないな? レオン」
テーブルを囲み、夕食を始めたときに、リーアさんに言われた。
この下宿先である館には、僕を含めて3人が住んでいる。そろっていれば、一時に食事を取る。客が来れば別らしいが。
僕が初めて入居を祝ってもらったときに結構驚いた。
パーティなど催事などを除けば、貴族は平民とは一緒にテーブルを囲まない。テレーゼ夫人は貴族だから、下宿人である僕もメイドであるリーアさんとも、別の部屋でというのが相場だ。
しかし、この館ではそうではない。
リーアさんが居ないときに、なぜかと夫人に訊いたことがある。あらっ、そうかしらと彼女は笑っていたが。あれはやっぱりはぐらかされたんだよなあ。
なんとなく、本当の家族のような気がする。
「ええ、まあ少し。ああ、病気ではないです」
「じゃあ、なんだ?」
「ちょっと落ち込んでいるだけです」
「まあぁ」
夫人は頬に手を当てた。
リーアさんは眉根を寄せる。
「奥様が心配されているじゃないか。言ってみろ。もしかして昨日のことか?」
「関係なくもないですが」
ふーむとリーアさんが口を曲げた。
「いやあ、なんというか。しっかり準備して、ひとつひとつ積み上げてきた相手に勝つにはどうしたら良いんですかね?」
「はっ? レオンは負けて腐っているのか!」
「ええ。どうにも分が悪くて」
地球の科学力にたち打ちできないなあと言いたいけれど、この世界でそんなことを言う訳にも行かず。なんだか遠回しに言ってしまった。
「そんなもの、レオンはまだ若いんだから、仕方ないだろう。レオンも積み上げろ。そして10年後に勝て!」
ううむ。いやあ、たった10年くらいでは勝てないのだけれど。僕だけじゃなくて。世界の技術水準の勝負だしなぁ。
僕が肯定を示さなかったので、少し動揺したようにリーアさんが、夫人の方を見た。
「そうねえ」
えっ?
いつもであれば、僕とリーアさんと話をしていているのを、微笑ましそうに聞いているのだけれど。
「レオンさんは、その相手に本当に勝ちたいのかしら?」
「えっ?」
「亡くなった夫が───ある人物によく言っていたわ。人に勝ちたいときは、本来の目的を見失っていることが多いって」
「本来の……」
「そうよ。だから、目的を見失わないように気を付けるべきだとね」
ううむ。
「わかりました。良く考えてみます」
†
夕食を終えて、自分の部屋に引き上げてきた。
夫人の仰ったことは、結構重い。
リーアさんに言われて、気が付いた。僕はふて腐れただけだ。怜央の知識の背景にある、地球の科学はすごい。それに嫉妬して、敵わないと思って、落ち込んだわけだ。
子供だなあ。
われながら幻滅するね。もうすぐ15歳だというのに。
子供……初めて夫人の夫の話、つまり男爵様の話が出たな。それはともかく。
その男爵様がよく言っていたある人物とは、男爵様と夫人の子供じゃないだろうか? その子供、たぶん男だろうなあ。今どうしているのかなあ。2階……いや、やめておこう。詮索しないことにしたんだ。
そうなあ。地球の科学に勝てないことはわかっている。
それに、脳内システムの文明はさらにはるか上だろう。上には上がある。勝つのではなく目的を果たす。良い言葉だ。
目的は。
僕が、アイロンの改良を目指したのは、リーアさんに少しでもよろこんでもらいたいと思ったからだ。
「あっ。なんだ。そういうことか」
†
翌日の夕方。
地下室に降りていくと、リーアさんが洗濯物を畳んでいた。
「おっ、レオン。また来たのか。ふーん。昨夜と打って変わって機嫌が良いな」
どうやらリーアさんには、僕の機嫌がわかるようだ。
「はい。夫人のお言葉で目が覚めました」
「だろう。奥様は良いことを仰るからな……ん。何を持っているんだ?」
「アイロンです」
「買ったのか? なんで、アイロンなら、ここにある───まさか、もう改良したのか?」
「はい。得意技を使いました」
「ふぅうん。といってもわからないが」
「とにかく使ってみてください」
「そうなのか。何か小さいな」
そう。ここにある物は、業務用あるいはそれに準ずる性能、購買部で買った物は家庭用だ。
「ええ、使い方は大体同じなのですが」
「ふぅん」
リーアさんは、慣れた手付きで魔導アイロンの露出した魔石の上部を触ると、そこが鈍く光って、底面が加熱し始めた。
無言で数分がたつ。
そして、柄を握ってアイロン台の上で動かす。
「んんん。何が変わったかわからないが?」
「はい。魔石を親指でねじるように、触ってもらえますか」
「ねじるように? こうか? ねじれはしないが、あっ!」
アイロンは、シューシューと音を立てた。
「なんだ? おぉぉお!」
底面とアイロン台の間から、白い気体が噴き出した。
「蒸気だ! ええ、どこから?」
リーアさんは、驚いたようにアイロンを持ち上げた。
勢いよく蒸気が出ている。
「蒸気は熱いですから、気を付けてください」
「おお!」
しかし、10秒を待たずして勢いは緩み、やがて蒸気はなくなった。
「あれ? もう出ないのか?」
「さっきと同じように、魔石を触ればまた出ます」
「おおう。出た」
蒸気が噴き出す一瞬前、底面に薄く赤い発動紋が発現した。
「もしかして!?」
リーアさんは、たぶんハンカチだろう、たたんであった布を台の上に乗せると、そのままアイロンを押し付けた。そして、いったんアイロンを置いて、ハンカチを広げなおし、ふたたびアイロンを乗せる。
シュゥゥゥゥ。
「おお、しわが伸びる。よく伸びるぞ。えっ、蒸気の水はどこに入っているんだ?」
「いえ、水は入っていませんよ。魔術で出しているだけです」
「へぇぇ。そうなのか。楽でいいな」
そう言いながら、今度は僕のシャツかな、薄手の衣類をやり始めた。
そう。こいつは水生み魔術の術式を改造して蒸気を発生する。そのように制御用の魔石を書き換えたのだ。
即物的な話をすれば、布に蒸気が当たればいいのだ。
それで布のしわが伸びる。
別にアイロン内に水を蓄えて、底面に開いた穴から噴き出す必要はない。
地球の科学とは別の手段でも良いのだ。
怜央の記憶にあった、スチームアイロンの仕組み、特に熱の使い方があまりにも整然としているから、僕はそれしかないと思い込んでしまった。
視野が狭まっていたというか、後から考えれば、なんでこんな単純なことに気が付かなかったのか。全く恥ずかしい限りだ。夫人の言葉は含蓄があるなあ。
アイロンと蒸気が接するのは、メッキが施された底面だ。これなら、簡単に錆びることはない。今でも霧吹きで水を掛けているからね。
あと、勝っている部分もある。こっちは給水する手間もないからね。
欠点は、蒸気を発生させる分、多少魔力を余分に使うことだが、まあさほどでもない。
「すげぇな。これ。本当に、レオンが造ったんだよな」
「はい」
「それで、リーアさんにお願いがあるんですが」
「なんだ、お願いって?」
「はい。しばらくこのアイロンを使ってもらって、何か使いにくいところがあったり、錆びたりしないか、観察して僕に教えてほしいんです」
「なんだ、そんなことか。一応奥様に聞いてみるが、これなら問題ないと思う」
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訂正履歴
2024/01/24 誤字訂正、表現変え微妙に追記。リーアからの呼び方:夫人→奥様
2025/04/09 誤字訂正 (布団圧縮袋さん ありがとうございます)
2025/04/24 誤字訂正 (碧馬紅穂さん ありがとうございます)