7話 先生
仰げば尊しですね。
「ええ? 先生が来ない。どうしてなの、兄さん?」
離れの部屋に入っていくと、ハイン兄さんの声が聞こえてきた。
コナン兄さんと顔を付き合わせて渋い面持ちだ。
「その前に。来られないのは今日だけじゃない」
「はっ?」
「それがな、さっき父様から聞いたのだが。モルガン先生は、ウチの家庭教師を辞めることになった」
「そっ、そうなの?」
思わず声が出た。
「おう。レオンも来たか。うーむ、先生はな、授業の時に良く咳をされていただろう」
咳……。
ああ、そういえば。大体軽い咳だったが、長く続くこともあって、苦しそうにされていることもあった。
「肺の病気らしい」
「肺?」
背筋を怖気が駆け上った。
結核───
頭をかすめる病名。怜央の知識だ。
「その病気って、治るの?」
もし結核だったら。
怜央が生きていた頃の地球では、まともな治療を受けられれば、余程のことがなければ死ななくなった病気だ。しかし、地球でも少し昔だとそうではなかった。確か半分位の患者が亡くなる、かなり厄介な病気だった。そういう記憶が浮かんできた。
この世界ではどうなのだろう?
「どうなの、兄さん?」
「わからんが、転地療養されるそうだ」
転地……やっぱり、結核ぽいな。
「転地って、どこへ?」
あれ?
ここ、エミリアも空気が悪いとは思えない。近くに緑も多いしな。場所を変える意味があるのかな?
「フレージャという所へ行って、魔術治療をされるそうだ」
「ああ、フレージャか」
ハイン兄さんは知っているみたいだ。
「病気って、魔術で治るもんなんだ」
「ああ、全部の病気が治るわけじゃないけれど」
「そんなことも知らないのかよ? レオンは算術ができるようになったのに、世間知らずだなあ。有名だぞ、フレージャの魔術治療は」
「へえぇぇ」
知らなかった。それなら転地する意味があるか。
しかし。うーーーん、残念だなあ。
もっとモルガン先生に教えてもらいたかった。怖い先生だったが、僕たちのことを良く考えてくれていた。コナン兄さんもそう言っていたし。
それもそうだが、魔術をどうしよう。もう教えてくれる人が居ない。
「おっと、そうだ。レオン。母様が呼んでいたぞ。本館の部屋に来るようにって」
「へっ、母様?」
「ああ」
離れを出て、今後、魔術ヘの取り組みをどうしていこうかなと考えつつ歩く。
中庭を通り越して家族が暮らす奥館、そして廊下を通って、商館の本館に至る。本館は、お客様も来られるし、従業員も沢山居るので、僕は用がなければ来ることはない。兄さんたちは、店の手伝いを始めているから、普通に来ているようだけれど。
ノックしてから、扉を少し開ける。
「レオンです」
「お入りなさい」
呼ばれなければ入ることがない母様の仕事部屋だ。
父様の部屋よりも、高級で品の良い家具が並んでいる。
ウチの商会は、王都とエミリー伯爵領間の商品取引を営んでいる。王都へは、伯爵領特産の生糸や羊毛、木工製品、魔結晶など主に原料を運ぶ。王都からは、宝飾品を含む金属製品、ガラス、服や服地、魔導具などを買い付けている。
領内での小売りは大体親類の商店を通すが、服飾、宝飾などは直接商うし外商もやっている(外商:上顧客の元へ出向いて主に高額商品を販売すること)。
母様は単に父様の配偶者というだけではなく、商会の副会頭だ。この部屋で外商の対象である大顧客の女性をもてなしをされる。中々に忙しいのだ。
「なんでしょう?」
「そこに掛けなさい」
「はい」
指された、椅子に座った。
「レオン。あなた、魔術が随分気に入ったようね」
あれっ、叱られる感じ?
「まっ、まあ……」
「もしかして、将来は魔術士に成る気なの?」
「まだ、わからないけれど」
魔術士は職業ではない。おおよそ軍人か、戦闘系か非戦闘系はともかく冒険者となる位だ。商人とは程遠い。
「そう。あなたは、三男ですからね。兄のコナンとハインとは違って、この商会は継げないわ……」
「うん」
長男のコナン兄さんが会頭を継ぎ、次男のハイン兄さんが幹部となって支える。父様からもっと子供の頃から、そう言われている。
セシーリア王国の長男相続の慣習だ。
長男が家業を継ぎ、次男が支えるが、三男以降は独立する。
ウチの一族もそうなっている。
次男の叔父は商会の王都責任者になっているが、三男と四男の叔父は独立して、系列ではあるが、小売業を営んでいる。
よって、三男である僕は、15歳、あと5年経って成人になれば、普通の従業員となるか、商館を出て自立するか、いずれかを選ばなければならない。
「だから、逆に言えば、あなたは将来勝手にしていいのよ。2人のように束縛されないわ。商人になる必要もない」
「……」
「さて、話はそのことじゃないわ。あなたを呼んだのはね。もう聞いたことかもしれないけれど。モルガン先生は辞めることになったわ」
「コナン兄さんから、さっき」
「そう。ご病気でね」
「なんて病気?」
「結核と聞いたわ。ああ、大丈夫。まだ軽いと仰っていたから、多分治るわ」
やっぱり結核か。でも、軽いなら良かった。
「それでね。お辞めになる先生から、あなたのことをくれぐれも頼むと言われたの」
へっ?
「親に子のことを頼むって、変な話だけれど」
確かに。
「頼むっていうのは、魔術のことなの」
「魔術?」
「そう。モルガン先生は、レオン、あなたに魔術の才能があるって仰ったわ。魔力は幼いからまだまだだけど、とても筋が良いって」
おおう。まあ、脳内システムのおかげだろうけど。
「それで、あなたが魔術を今後もやりたいと言ったら、是非やらせてあげて欲しいって」
先生……。
「どうなの?」
「うん、やりたい」
「そう? がんばれる?」
「はい」
なぜか、気合いが籠もった。
背中が押される感じがする。
「そう。わかったわ。あなたは末っ子で、いつまでも甘えたがりだと思っていたけれど、大人に成っていくのね」
どっ、どうなんだろう。
「先生からお手紙とご本を預かっているわ。もうすぐここには、お客様がいらっしゃるから。持って行って、自分の部屋で読みなさい」
「はい」
封書と革張りのでかい本が、サイドテーブルに置いてあった。それらを抱えて、母様の部屋を出ると、自分の部屋に戻った。
本も気になったが、まず封書を開く。
「レオン殿へ」
先生からすれば、僕なんて、ほんの子供のはずなのに、ちゃんと大人扱いして敬称を付けてくれる。
レオン殿へ。この手紙を読んでいる頃には、私はエミリアの町を離れています。我が病が明らかとなったので致し方ありませんが、挨拶もできず心苦しく思います。コナン殿、ハイン殿にもよろしく伝えてください。
じゃあ、手紙は僕宛だけなんだ。
また、レオン殿は魔術を志すと奥様に答えてくれたのでしょう。嬉しく思います。
おおっ。
そういうことか。さっき、もしも魔術をやらないと答えていたら、母様は僕にこの手紙を見せなかったってことか。
ふう。
ただ、私は書いておかねばなりません。魔術を志すということは、苦難の連続ということを。私も魔術士として大成することは叶いませんでした。それでも諸般、学問に利することも大であるので、精進願います。
なお、魔術士となるには、無論本人の努力が必要であることは言うまでもありませんし、生まれ持った素養も重要です。レオン殿は奥様のお子でもあり、後者はなかなかのものと見受けられます。
なぜ母様なのだろう。魔術を使えるのかな? 聞いたことがないけれど。
便箋に視線を戻す。
レオン殿は、常人とは異なる魔術の発動手順、想念の高め方があるようです。
うわっ、見抜かれていたか。
その事象については、濫りに他人に告げることのないように。未だ頑迷な者達からあらぬ迫害を受けたり、あなたを利用すること企てる者が出かねません。
なるほど。
レオン殿の成長を見届けられないのは、ひどく残念ではありますが、我が身が招いたこと、いたし方ありません。願わくば、いつの日にか再び相見えんことを。
追伸。
奥様に、初等魔術起動紋集を託します。くれぐれも無理せず、ひとつひとつゆっくりと履修されることを望みます。
便箋に、ぽつぽつと水滴が落ちた。
慌てて折り直して封筒に戻すと、机の引き出しにゆっくりと仕舞った。
顔をぬぐって、革装丁の本を開く。
目次に続き、1ページに1つ、起動紋が大きく描かれている。
はあ。
あっ、アクァだ。
鼻を、すすり上げて見直す。
そうか。先生は、この本に載っている起動紋を、羊皮紙へ描き写してくれていたのか。
少しでも違えば、魔術は発動しない。きっと細心の注意を払ったのだろう。
それを、毎回3人分も。
先生───
お読み頂き感謝致します。
ブクマもありがとうございます。
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訂正履歴
2023/10/07 文章の乱れ訂正
2025/02/15 誤字訂正(1700awC73Yqnさん ありがとうございます)
2025/04/18 誤字訂正 (1700awC73Yqnさん ありがとうございます)