65話 魔導アイロン(2) 挫折
他人がやっていることって、結構簡単に見えるんですよねえ。
「ちょっと来てくれ」
むっ。
リヒャルト先生が出ていったあと、ミドガン先輩が声を発した。
呼応したのか、実習室に居た他の先輩2人が立ち上がって、こちらの方へ来た。
思わず、緊張が走ったが……ええと、とりあえず敵対してくるような表情ではない。
「2人とも聞いていたかもしれないが、彼は1年生。名前はレオンだ」
あれ? 紹介してくれるのか。
「よろしくお願いします」
「うむ。別に下級生だからといって、俺たちに謙る必要はない。礼儀正しいことは悪くないけれど、理工学科は学年より個人の資質が問われる。それで……彼は」
「ホグニ、2年だ。よろしくな」
「はい」
理工学科生の割に身体ががっしりしているな。
「俺も2年のディアンだ。よろしく」
こちらは線が細い感じだが背が高い。
「こちらこそ」
「それで、俺は3年だ」
この中では、ミドガン先輩が最上級生か。
「まあ、3年でも早いやつは、とっとと単位を取って卒業していくからな。長く居たからといって、偉いということはない」
「ふふっ、素直に受け取るな。ミドガンさんは、謙遜が強いからな。金工や刻印魔術では、ジラー教授もよく褒めていらっしゃる」
「ははは。まあ、それはともかく」
皆が、僕を見た。
「この時期、初級実習に出なくて、リヒャルト先生が何も言わないのだから、免除されているってことだろ?」
「はい」
2年の両先輩もうなずいた。
「そういう先輩や同級生を何人か見て来たが。優秀なまま卒業していった者も居る。しかし、自分を律しきれなくて、他の学生に追い付かれた上に、その後も業績が伸びないって者もいるからな。気を付けた方がいい」
「はぁぁぁ」
心配してくれているらしい。
「いやいや。そこまで深刻に構えなくても良いけどな」
「いやあ。この前、王都へ来た母にほぼ同じことを言われたので」
「ふははっ、母だって」
「ミドガンさんは、面倒見が良いからな。でも父じゃなくて母か。ふふふ」
この3人は本当に気の置けない仲間らしい。
「それより、あのことを訊いた方がいいんじゃないですか、ミドガンさん」
「ああ……」
なんだろう。
「あれだろ、技能学科との合同実習で軍籍学生を破った1年生が居たと聞いたが。レオン、君のことだろう?」
「えっ?」
「うわさになっていた、髪の色といい、背格好といいレオンと一致しているんだがなあ」
逃れられないようだ。
「はい。僕です」
「うん。そうだよな」
「何かまずかったですか?」
軍籍学生を余り刺激するなとか?
「いや。別に構わない。軍籍学生の中には無意味に威張っているやつらがいるからな。いい気味だ。単純に確認してみたかっただけだよな」
2人もうなずいた。
「さて。先生もおっしゃっていたが。わからないことがあれば、俺たちか、誰でも構わないから訊いてくれ」
「ありがとうございます」
先輩たちは、また教室に散っていた。
ふむ。結構いい人たちらしい。上級生に知り合いが居なかったから、よかったな。
それはそれとして、アイロンに意識を戻す。
問題は、どうやって布のしわをのばすかだ。
底面の温度は───布の都合もあって、それほど高くはできない。となると、やはりあれか。
蒸気。
怜央の記憶によると、スチームアイロンというのが良さげだ。
アイロンの底部の熱で温めた水が蒸気となり、底面につながった穴から噴き出る。
その蒸気で繊維がほぐれ、乾燥する過程でしわが伸びる。
だとすると。設計項目は、穴の直径と数、位置だな。
その辺りは、さすがに怜央の記憶も曖昧だ。5、6カ所あいていたという位しか覚えていない。自分でアイロンを作る、もしくは改良するとまでは思っていないからな。
まあ、何にしろ、怜央の記憶や知識に頼りすぎるのも、僕の性に合わないしな。
穴の径も重要だが。具体的にどうやって穴をあけるかも考えないとな。
僕が刻印魔術の応用であける、とりあえずそれでも良いが。試作は良くても数を造る現場ではな。このアイロンの底部を作っているであろう現場にありそうな、機械加工でなんとかしたいな。
ええと、加工機は。あっちの壁際か。
荷物を置いて、そっちに行ってみる。
「加工機か?」
「ああ、はい」
ホグニさんだ。
「使用研修は受けたのか?」
「いいえ、まだです」
「だよなあ。じゃあ、まだ使えないな」
「はい。どんな加工機があるかなあと思いまして」
「じゃあ、簡単に。右から、ボール盤、穴をあけるやつだ。それから帯鋸盤、切断用。それからヤスリ盤、砥石が回転して研磨する機械だ」
「はい」
「動力は、あの天井の下で回っている動力軸だ。あれに、今は避けてあるこの帯を掛けて、回転力を機械につなぐ」
「なるほど」
動力は違うが、すべて怜央の記憶に似たような加工機が有って、おおよそ概念は分かる。制御専攻だが、やれることは自分でやろうとしていた彼に感謝だ。
「何かやりたいことはあるのか?」
「はい。まだ設計できていないのですが。ボール盤で穴をあけたいと思っていまして」
「ほう」
「ちょっと待ってください」
言ってから、作業台に取って返した。
アイロンの下部を持って帰ってくる。
「これに、こっちからいくつか穴をあけたいなと思いまして」
「ふーん。魔導アイロンの部品か」
「直径2ミルメト位で貫通させたいですが、できますかね?」
「これは鋳鉄で固いが、ジルコン刃を使えば、できるが……」
鋳鉄とは、砂で作った鋳型に融けた状態で流し込み、ある程度冷えた状態で型を壊して取りだした物だ。炭素の含有量が多く、融点が低いが固いだったかな。
それはともかく、ホグニさんが渋い表情を浮かべている。
「できるが、なんです?」
「いやあ、せっかく結構厚めに施されている、メッキが剥げるなあと思って」
「メッキ」
「うむ。布との滑りを良くするのと、錆を防ぐためだろう」
錆───
「あのう先輩。穴をあけて、水を流したりしたら……」
「確実に錆びるな」
「うっ、そうですよね」
あけた穴の内面は、メッキがない鉄そのものの表面だ。
「あっ、ありがとうございました」
「いいのか?」
「はい。設計を見直します」
「そうか」
ホグニさんは、怪訝そうな表情だった。
作業台に帰ってきた。
駄目だ。バカか僕は。
錆のことを考えていなかった。
怜央の知識で、地球でできていたスチームアイロンが、なんなくできると思っていた。
錆が出たら、布に赤い錆のシミができるかもしれない。いや、結構な確率で発生する。
そうしたら、製品事故。品質不良だな。そんなものを作るわけにはいかない。
失意の内に分解した物を再度組み立て直し、木箱に詰めると実習室を後にした。
†
下宿に帰ってきた。
亜空間収納に入れていた、アイロンを出庫する。
うぅぅ、なんでだ。おかしい。
帰り道で考えていたことだ。確かに、購買部で買ったものに穴をあけたら錆びるだろう。じゃあ、地球のアイロンは、なぜ錆びないのか。
穴を明けた部分も、メッキしている?
いやそもそも、怜央の記憶では、アイロンがメッキされているように思えないんだよな。そもそも。鏡面のようにピカピカの表面じゃない。
その時、フッ素コーティングという言葉が浮かんだ。
どうやら、表面処理らしい。
そんな概念はこの世界では聞いたことがない。大学で調べてみるとして。
そもそも、フッ素コーティングができれば本当に錆びないのかな?
そう思いつつ、アイロンを持ち上げる。
ん?
何だろう、この違和感。んんん。怜央の記憶との相違か。
何というか重いよな。このアイロン。
見た目に大きさはさほど変わらないのに重い。つまり、比重が大きい?
もしかして、アイロンって言う名前なのに、鉄製じゃない?
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補足
穴をあけるのあけるは「開ける」だとのご指摘をいただきました。ありがとうございます。
結論から言いまして穴の場合は「あける」にします。
確かに、ネットで見ると一般的に開ける表記が多いのですが、信頼が置けそうなwebをみると、開けるもあるし、空けるもしくは明けるもあって、小生としてはさっぱりワヤです。なので「あける」にしとけというwebもあってそれに同意しました。ズボンをはくは、穿くが正しかったのですが、今では履く(靴はこれ)の方が多数派に見えるし。
訂正履歴
2024/01/21 微妙に表現変え
2024/01/24 題目の序数変更
2025/04/02 誤字訂正 (cdさん ありがとうございます)
2025/04/09 誤字訂正 (布団圧縮袋さん ありがとうございます)
2025/04/11 誤字訂正 (むむなさん ありがとうございます)