62話 晴れ舞台
意外と世間は狭いんですよねえ。
寒さが身に凍みる季節になった。
12月も中旬。
10日ほど前のこと。
『えぇとね、再来週の月曜日と火曜日になったわ』
アデルさんが、僕の部屋で作ってくれた昼食を取りながらつぶやくように言った。なんだか少し顔が紅い。
ここで、何がですか? そう訊かなかった自分を褒めたいと思う。
その場で、おめでとうございますとしっかりよろこびを共有した。
その2日間が、昨日、そして今日だ。
馬車鉄道に乗って4区間南下し、乗り換えてさらに西へ3区間。あと3区間先に行けば南区の中央という、なかなか良い立地。
ロタール劇場。
石造りの古い建物だ。通りに面した正面入口には、サロメア歌劇団489年冬季若手公演ガルフェン伯爵の華麗なる遍歴と書かれた大きい看板が架かっている。
アデルさんは、さほど大きくはない劇場と言っていたけれど。
サロメア歌劇団が本拠としているギュスターブ大劇場、以前正面前を通り掛かったことがある。あそこに比べれば確かに小さいけれど、それでもエミリア劇場の半分位はある。あそこは伯爵領の威信を示すためでもあるからね。ここも立派な物だ。
見るのは今日の午後からの第2部公演だ。
アデルさんに告げられた日に、前売券を買ってある。
出演者割り当ての入場券があるけれど、それはダンカン叔父さんと叔母さんに渡すので、ごめんねと言っていた。何の問題もない。
若手公演は、若手俳優の発掘を企図しているので、ざっくり言えば興業成績が第一の目的ではない。なるべく人材を露出させるため、配役をすべて2重化しており、今日の午前の部と、今から観る2部では俳優が全員入れ替わるそうだ。
入口に居たもぎり(検札係)に入場券を渡し、半券を受け取って中に入る。ふーん、古いけれど小綺麗で感じが良い劇場だ。
などと言っても、劇場に来るのは実質2回目だからな。他はよく知らないけれど。
ホールに入る。
前3列は出演者やら劇団関連の関係者の席だろう、前売券を買いに行った時から埋まっていた。
僕の席は少し開けて5列目だ。
そもそも、お芝居に興味はない。見たいのはアデルさんの姿だけだ。まあ、僕の前に座っている一部の人もそうかもしれない。
叔父さんと叔母さんは、昨日来たはずだから、顔を合わせることはない。いやまあ、会ってもかまわないんだけれど
客の入りは。
半分よりは少ないかなあ。ガラガラだと、やる気がなくなるだろうから、まあいいんじゃないかな。そう振り返りながら思っていたら、黄色い声がして後の扉から紺色の服を着た若い女子が続々と入って来た。
あれは!
歌劇団養成学校の制服だ。
思わず頭を引っ込める。
あの色は……アデルさんによると、胸ポケットのハンカチの色で学年がわかるそうだ。
薄い黄色はロッテさんと同じ、1年生だ。もしかして、あの中に居たりして、ロッテさん。
座席の隙間から窺うと、後列に座るようだ。
ふう。予想外だったが、先輩達の演技を見るのは勉強になるから、そういうこともあるか。とりあえず、前を向いていれば大丈夫だろう。
ブザーが鳴って、幕が開いた。
おおっ。
いきなり、アデルさんが舞台に居た。流石は主役級なだけのことはある。
白いローブに、金の髪。
その顔───
舞台映えする派手な化粧で美しくはあるが、いつものアデルさんとは方向性の異なる麗しさ。
まさに男装の麗人。
容貌は別だが、物腰はいつもの柔らかさ。だが、衣装と対照的な暗い印象。
「わが心の内に燃ゆる、黒き炎よ」
なるほど。
朗々たる男声。独特の節回しの唄、歌劇だ。
アデルさんこそ、すばらしい男役ではないだろうか?
おっ。
黄色い歓声が後方から。そして拍手が上がる。
お姉様って聞こえた気が。まさか!
いや、ちがう。ロッテさんの呼び方は、お姉ちゃんだ。
それにしても、このあいだ研究生になったばかりだというのに、もう人気があるんだ。すごいね
現れる娘役。
この人も美人だ。ただ、ひいき目もあるだろうけど、アデルさんの方が断然好みだ。
「わたくしなどお忘れになって、貴族の娘と……」
この前聞いたところによると、アデルさん演じるガルフェン伯爵、になるのは先だから、今は男爵くらいかもしれないが。ともかくとんでもない伊達男で、リストリアという国の美女という美女と浮名を流す、なんともうらやましい……もとい。けしからん存在だそうだ。
「そなたを捨てる位なら、軍など辞めて、敵国にともに奔ろう」
うっ、なんか。アデルさんの姿勢が。
僕がいつぞや、ふざけてアデルさんに見せた、右手で顔を隠し、左手は後に反らす、あれだ。外連味があふれる。
僕と目が合った。ふっとほほ笑んだ刹那、あだっぽく右目だけをつぶった。
キャァァーーー。
脳裏に、”チュウニ”という単語が浮かぶが、意味不明だ。人の名前かな。
何やら恥ずかしいが、絹を裂く乙女たちの悲鳴が連なる。これがいいのかねえ。
いや、アデルさんは美しいけれど。
おっ、どういう展開かわからないが、娘役と踊り始めた。
ふむ。貴族の娘と言っていたから平民ではないのかな?
うわぁぁ。何か格好いい。男より匂い立つような男の色気があるなあ。なんだろう、すこし変な気分になる。
場面は変わり、別の娘役が出てきた。
いきなり抱擁した。
えっ、いや。さっきの娘は?
なんと、けしからん。
そういうことが、何度か続き、演じているのがアデルさんだというのに、憎悪が、腹に生まれる。
いやあ。
どうするつもりかと思ったら、後援者たる貴族を説き伏せ、最初の娘を養子? 猶子?にさせて、それを妻として娶った。さらに、手を付けた? 娘たちを次々側室としていった。
まあ、これはこれで、責任を取っているのか?
よく分からないが、なぜか、妻達は互いにいがみ合うことことはなく、ガルフェン=アデルは魔術士軍人として、頂点を極めた。
大団円となった。
幕が閉まってホール全体から、拍手が巻き起こった。
うぅぅん。なんだろう。話の筋でひっかかるところはあるが、まあどうでも良い。
僕はアデルさんが、美しく、そしてすばらしい演技と踊り、なにより楽しそうに演じている姿が見られれば良いのだ。
それに。ちゃんと、アデルさんも僕が見て居ることを、認識してくれたようだし。来た甲斐があった。
あとは、ホールの出入口付近に屯している、養成学校の学生に目立たぬように帰れば。
再び拍手が強くなったと思ったら、幕が開いた。
今日の演者たちが、一列に並んでこちらに、あいさつをした。カーテンコールという言葉が浮かんだ。地球でも同じようなことがあるらしい。
えっ?
背後から学生3人が、花束を持って舞台に近付く。
そして、アデルさんと娘役ふたりに渡すと、最高潮の拍手が巻き起こり、僕も夢中で拍手……はっ?
そこには、記憶の彼方に飛んでいた顔があった。
なぜだ?
なぜ、ここに居る。
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訂正履歴
2024/01/14 誤字訂正、表現変え