55話 朦朧
画数が多くて、しっかり考えないと書けない単語。
「時間になりました。筆記具を置いて。では、問題用紙と解答用紙を回収する。提出した者から終了してくれ」
試験官であるリーリン先生が教壇で宣言すると、数人の助教の先生が席を回り始めた。珍しく魔導学部とは違う中央区画にある建屋の教室に来ている。
ふう。
早いもので、今日で10月も終わりだ。秋も深まって来たからか、日差しはあるのに今日は寒いなあ。
今週は、2限目の一部との3限目がすべて休講となり、主として教養科目の修了検定試験があった。これに合格すれば、当該の科目については、受講しなくても単位が取得できる。
「ああ、どうぞ」
助教のハルパー先生が目の前に来たので、用紙を提出した。
はあ。やっと全部終わった。筆記具をカバンにしまう。
なにか疲れたなあ。少し休んでいくか。
「レオン君」
「はい。ルイーダ先生。なんでしょう?」
僕の横に来てしゃがんだ。眉根が寄った表情だ。
おっと! 胸周りの露出が……けっこう薄着だけど寒くないのかな。思わず視線をずらす。周りを見るともう学生は誰も居なかった。
「私の科目を含めて、この期間、試験会場でずいぶん姿を見掛けたけれど。何科目受けたの?」
「8科目です。とりあえず受験できるものは全てです」
「そうなの? 考え方次第なところはあるけれど、せっかく授業料を収めたのだから、授業を受けるのも悪くないとは思うけれど」
ルイーダ先生は、何を言いたいのだろう?
「それより、少し根を詰めすぎじゃないの? 何だか顔色が悪いわよ」
「そういえば。ちょっと体調が」
朝起きて、少し体が重かった。もしかして、寒く思うのは、悪寒なんじゃ?
「医務室に行く?」
「いえ。おっと」
立ち上がろうとして、くらっとした。とっさに身体強化魔術を増強して立て直す。
「大丈夫?」
「下宿は近いので、帰ります」
「そう。明日は試験休みだから。ゆっくり休むと良いわ」
†
体が重い。
試験勉強に気合いを入れすぎて、睡眠時間を削りすぎたかな。反省しても体調は戻らない。下宿に着いた。たった1区間なのに、今日は馬車鉄に乗ってしまった。
玄関へ入ると、すぐ奥に洗濯カゴを抱えたリーアさんが居た。
「ただいま帰りました」
「おお、おかえ……り」
ん?
カゴを置いたリーアさんは、少しあわてたように、つかつかと僕に歩み寄ってきた。エプロンでぬぐってから、手を僕の額に当てる。
「やっぱり、ひどい熱だ」
「はい。部屋で寝ま……」
†
「冷た」
頭の上に、濡れた手拭いが乗っている。
ここは?
自分の寝室だ。魔灯で照らされた天井が見える。
記憶が途切れる前は、1階だったよな。
ここに寝ているということは、リーアさんが僕を運び上げてくれたのだろう。
申し訳ない。
情けないなあ。試験が終わって気が抜けたか。
目を閉じると、夜の7時過ぎとシステム時計が示して……体温上昇の警告が出ている。身体強化魔術が発動しっぱなしだった。
警告の文字を意識すると、グラフが現れた。体温だな。ああ、3時過ぎから急に上がっている。身体強化魔術を上げ過ぎたか。ポゼッサーと一定以上強度で身体強化魔術を併用すると、自己治癒状態に入るんだった。
切るか、と思ったが。
風邪状態での体温上昇は免疫活性化って知識が浮かぶ。強化量を半分くらいにしておこう。
扉が開いた。
「リーアさん」
「おお、気が付いたか、レオン」
いったん廊下に戻って、トレーを持ってまた入って来た。
「悪いな。寝室には入らない約束だったんだが」
「そんな。僕を3階まで上げてくれたんですよね。ありがとうございます」
「あっ、ああ。痩せているのに、意外と重かったな。ついでに謝っておくが、ねっ、寝汗がひどかったんでな。裸に剥いて着替えさせた」
裸!
「そっ、それは、重ね重ね」
「なるべく、体は見ないようにしたからな」
いや別に構いませんが。
「レオン。体を起こせるか? 奥様が、冬瓜の冷製スープを作ってくれたぞ。うまいし、芋も擦って入っているからな、栄養もある」
「夫人にもありがたいとお伝えください」
体を起こすと少しクラッときた。すぐに1階に行けるような体調ではない。
白く少しとろみのあるスープは、冷たくてのどごしが良かった。
食べ終わると、しっかり寝ろと言って、リーアさんは戻っていった。
†
ふう。ひんやりする。
顔をぬぐってくれているようだ。
手が頬に触る。
細くてすべすべとした指───リーアさんの手じゃない。
まぶたを開けると、アデルさんの顔が近付いて来た。目をつぶっている。
なっ? 何だ?
ああ、額と額が触った。
「よかった。もう熱が下がっているわ」
「あぁぁぁ……」
口が渇きすぎて、うまくしゃべれない。
「レオンちゃん起きたの? ほら、水を飲んで。熱は下がっているようよ」
小さい水差しを口に運んでくれた。
「アデルさん。なんで?」
口が潤ったので訊く。あっ、しまった。
「いやあ、学校が早く終わったから、寄ったのよ。そしたら、あのメイドさんがレオンちゃんは、熱を出して寝込んでいるって」
今度はちゃんと、布団で口を押さえてしゃべる。
「来てくれたのはうれしいんですけれど。風邪がうつるとまずいので、今日は帰ってください」
「嫌よ!」
「えっ?」
「あのメイドさんも、同じことを言ったけれど、うそ泣きしたら通してくれたわ」
ううむ。泣き真似なんか、お手の物だろうなあ。
「しかし」
「だぁめ! 私が風邪をひいたって、お母さんも、ロッテだって居るから問題なし!」
「そういう問題じゃ」
「はぁい。病人は口答えせずに、おとなしく寝る。まあ、熱は下がってきてるみたいだから、大丈夫だと思うわ。それより、おなかがすいたでしょう。私が、お昼を作ってあげる」
「はぁ」
金曜日の昼か。
「でも、その前に」
「えっ?」
クローゼットの下の引出を開けて、下着を持って来た。
「寝汗をかいているから。着替えましょうねぇ」
なんか、目が輝いているような。
「あの自分で着替えられますから」
目をつぶると、脳内システムの警告は消えている。
「だめよ。患者さんは、看護師の言うことをきいてねえ。治りかけが一番大事ですからねえ」
役になりきろうとしているのか?
寝間着の上を寛げて、脱がされた。
「はい、脱ぎ脱ぎしましょう」
僕は、子供の病人の役か。完全に楽しんでいるよなあ。
上半身裸になったら、手拭いで拭いてシャツと寝間着を着せられた。
「あとは、下ね」
「いや。下は、自分で」
「あのメイドさんも、着替えさせてくれたんでしょう?」
「えっ?」
ちょ、ちょっと、2人でどういう会話をしたんだ。
「それで、私の方を断るって、あの人の方が気を許しているってことよね?」
「へっ? いや。そのう、僕が寝ているときのことなので」
あっ。膨れた。かわいい……そうじゃなくて。
えっ?
アデルさんは、布団をめくると、寝間着の下を引っ張った。
油断した。
「あっ?!」
下穿きをかっぱらいつつ、ベッドの反対側に転がり落ちて、さっさと穿き変えた。
「あのう、寝間着を」
「もうぉぉ。せっかく観察しようと思ったのに」
何をだ。
「でも着るのは、早いわ。まずは拭いてから」
脚を拭いて、着替えさせてもらった。
†
着ぶくれして、居間に来た。
「あぁん。だめよ。そんな物欲しそうな目で、こっちを見てもだめなんだからね」
「誤解をされるような発言は」
確かに、僕は物欲しそうかも知れないけれど。
「いいじゃない。ここには私たちしか居ないんだし」
いやあ、勘違いしてしまうよね。
「ともかく、病人は消化の良い物を食べてね」
そう、僕が見て居たのは料理だ。おなかがすいている。昨夜スープを飲んだきりだし。
それで、麺料理を作ってくれたのだが、自分の分は良い匂いが漂ってくる挽肉のソースが掛かっているのに、僕の方は麺だけなのだ。
しかも、消化を優先して、いつもの倍の時間で茹でたという麺は、水を吸ってだいぶ太くなって、コシが全くない。塩味はついていて不味くはないんだけれど。
「明日も来るからぁ。治っていたらおいしいものをね、作ってあ・げ・る」
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訂正履歴
2023/12/23 誤字、くどい表現訂正