5話 魔改造
魔改造というと常人が考え付かないほどの改造のことですが、この話では……
その後、ブリーゼも試してみたが、ちゃんと風が出た。
最初は無邪気に喜んだ。
すごい! 脳内システムとポゼッサーの組み合わせはすごい。
そう思いつつも、良く考えろという冷静な僕も居た。
水が出た、風が出た。
現象から言えばすごいことだ。間違いない。どうやってそうなるのか。知識が急に増えた気がする僕にもわからない。まあ、それが魔術の魔術たるゆえんなのだろうけれど。
しかし。しかしだ。功利面ではどうだろう。
魔術が使えるようになって良かったことを、ちゃんと評価しよう。
先生や家族に褒められる……いや、そういうの置いておいて。
水筒を持ち歩かなくても良い。扇がなくてもよい。ううむ、良かったことは、それぐらいか。
もやっとする。
ちょっと疲れてきたのもあるだろうが、気分がさめてきた。
すごいことではあるが、面白みが少ない。
そもそも水流の勢いとか、発生する風量とかが一定だ。その辺りは自覚はないが、何らかの制御をしているのだろう。
この辺りの調整をしないで済ませるのは、制御技術者(を志す者)としては失格だ。
目をつむると、ステトラの画面がまぶたの裏に現れた。しかし、見たいのはこれじゃない。
魔術制御のボックスを意識すると、シムコネが開いた。負帰還のループが組まれている。伝達係数を見たけど普通のPI制御(※1)だな。
ということは、ゲイン(※2)を変えても、一定の勢いで水が出ることは変わらない。まあ、値を変えすぎると、不安定になるだろうけど。ならば、変えて面白そうなのは、目標値、あるいは別のところか。
目標値の現状は、と。あった。
0.379リト/秒ね。1リト/秒(おおよそ1リットル/秒)に変えてみよう。
実行すると、水の勢いが大幅に上り、地面に落ちるまでの距離が変わった。
すぐスイッチを切って、水を止める。
期待通りの結果になった。
いや待て。流量が上がったとしても、流速が上がるのは、必ずしも当たり前じゃない。ホースから水をまくイメージだったから違和感がなかったが。これって、水が出て来る所の断面積が変わらないって前提か?
流量を上げるには、断面積、つまりはホースの太さを上げて、流速を変えない方向性もある。
この時、そんなことを考えるのは、怜央の思考に寄っているということまでは気が付かなかった。
……ということは、この断面積を絞ることができれば、水の勢いをもっと上げられるということか。そう、できればウォータジェットみたいに。
そこまで行くと、ただ水が出るという魔術の付加価値が上がる。
アクァ魔術モデルに入って探したが、断面積の設定はなかなか見付けられず、FAQやドキュメントを見まくって一段深い階層にようやく見付けた。
最小限に絞って。よし! 実行!
おっ、おお? おやっ?
水が出て来たが、なぜかちょろちょろという感じだ。おっと勢いが上がってきたが、なんというか。ゆっくりだ。しばらく待ってみたが、せいぜい水道にホースをつないで手で絞った位の勢いまでしか上がらない。
ウォータジェットどころか、高圧洗浄機にすら劣る。
「なんでだ!」
目をつぶって、シムコネを見る。思いつきでやったら駄目か。
断面積を段階的に変えて、流速をシミュレートする。
初期条件より断面積を絞っていくと、しばらくは水の流速が上がるが、徐々に頭打ちになり、逆に減り始めた。
むう。シムコネ上の理想状態でも、上がらないのか。
何か、流速上昇を妨げる原因があるのかなあ。
「あっ、流路抵抗……」
そう。液体にも摩擦はある。
なので、断面積を絞れば絞る程、摩擦が増えて流れにくくなる。それが流路抵抗だ。圧力損失かあ、なるほど。それでも流速を上げるには、水に掛ける圧力を上げなければならない。
つまり、断面積を絞っただけでは、うまくいかないわけだ。
「この辺りも、物理モデルを良く作り込んでいるよ……な」
はっとした。
僕は何をつぶやいているのだろう。
昨日まで、こんな知識もなければ、論理的思考もできなかった。
寒気が走る。
このまま、僕は怜央に乗っ取られるのではないか……そんな感じがないけれど。まあいいや、補って余りある程、ワクワクもしているし。
どうやら、エミリア、いやこの世界に居たのでは、一生縁のなかったであろう知識に接しているのだ。
多少のことはしかたない。
そうとも。今は、水の圧力がどうやったら上げられるかを調べるべきだ。
†
警備員が立っている裏口からウルスラとともに商館に入ると、メイド頭のゾルカが迎えてくれた。
「ただいま」
「レオン様。おかえりなさいませ。お昼の用意ができております」
「うん。じゃあ、手を洗って食べるよ」
食堂の席に着くと、すぐに豆のスープ煮と黒パンを持ってきてくれた。
夕食では家族全員がそろうが、朝食、昼食は別々なことが多い。なので、1人なのも気にせず食べ始めた。帰ってくる途中で、教会の鐘が鳴っていたから、お昼をだいぶ過ぎている。きっと僕が最後に食べに来たのだろう。しかし、しばらくすると、母様が入って来た。
「まあ、レオン。帰ってきていたのね」
「ただいま、母様」
「どこへ行っていたの? 館の中には居なかったわよね」
ちょっと目が怖い。
「別荘の近く。ちゃ、ちゃんとウルスラを連れていったよ」
「ついて来てもらったとおっしゃい。まあ、それならば良いけれど。それにしても、あなたたち兄弟は、あそこが好きねえ」
「母様は、嫌いなの?」
こうやって母様を見ると、若く見えるなあ。とても僕たち3兄弟を産んだとは思えない。
「ええ、あの奥にあるものが……どうもねえ」
「母様は、迷信深いなあ」
「ちょっと。レオン、生意気よ」
おっと。
「ごめんなさい」
「とにかく洞の奥には入っちゃ駄目よ。それと今はまだ良いけれど、活発期になったら、あの湖のこっち側だからと言っても、危ないんだからね」
竜穴結界の境界があの辺りらしい。
「はい」
さっきまで居た別荘地にある沢をさらに登っていくと、古い洞がある。ハイン兄さんと一緒に、洞の前まで行ったことがある。父様にも中は危ないと言われていたから、僕は入ったことはない。
だけど、ハイン兄さんは、洞には何もなかったと言っていたから、入ったことがあるのかもしれないなあ。
「お待たせしました。奥様」
「ありがとう。ゾルガ」
母様が食べ始めたので、僕は急いで残りを平らげて席を立ち、自室に引っ込んだ。
それにしても、この魔術モデルのドキュメントは良く書かれている。前世にあった下手な物理学の参考書より、しっかりしている位だ。そういえば、ウチの本館にも書庫があるそうだけど。どんな本があるのだろう。
それはともかく。
読みごたえのあるドキュメントを、繰り返し読んで分かったことは、水圧は術者が作り出す魔界強度に比例するということだ。魔界強度を上げるには、魔界強度の線積分である魔圧を上げるしかないとのことだ。
魔圧は個人差があるらしい位までしかわからなかった。要するに水圧が上がるか突き止められなかったわけだ。
なぜわからなかったか。
いろいろ突き詰めて調べようとして、ドキュメントのリンクをたどっていくと、突如読めなくなることだ。□に×が入った文字ばっかりのページになってしまうのだ。おそらく文字化けしているのだ。
シスラーに訊いてみたところ、そのページを構成している元データの言語サブセットをインストールする権限がなく、セシーリア語に翻訳できないらしい。
よって、それ以上は調べようがない。
まあそれでも、読める範囲でも大した物だ。
少しがっかりしたが、まだ始めたばかりだ。絶望するには早い。
今度の授業で、水圧の上げ方を、モルガン先生に訊いてみよう。昨日まで、魔術の授業
が、憂鬱だったのに待ち遠しくなってしまった。
† † †
あれから、5日過ぎて待ちに待った魔術の授業がある日が来た。
「では、魔術の授業を始める」
「よろしくお願いします」
「「お願いします」」
いつものように、コナン兄さんの声に続いて、ハイン兄さんと僕があいさつする。
先生は、大きな砂時計をひっくり返した。
「では、先日渡した羊皮紙を出しなさい」
前置きはなしか。言われた通りに羊皮紙を出す。
「コナン殿、課題であるブリーゼはいかがでしたかな」
「あっ、はい。今回は20回程試しましたが、半分位発動しました」
「おお。それはそれは。どのぐらい風が続きましたかな?」
「ああ、10秒から20秒というところでしょうか。少しでも気を抜くと途切れてしまって」
えっ?
いや、魔力が切れるか、スイッチを切るまで、途切れないんじゃ……ああ、でも僕は、ステトラからばっかり発動しているからなあ。
「ほほう、悪くないと思います。では、ハイン殿」
「はい。僕も兄と同じくらい……」
あれ? こういう時って。
「ハイン殿。大して数を試していない。そうではないですか?」
「うっ」
ああ。やっぱり、図星のようだ。多分10回も試していないんじゃないかな。
「ハイン殿は、前回も申し上げたように、物事を簡単に考えがちです」
うわっ、怖い顔だ。ハイン兄さんの顔も強張ってきた。
「あのう、先生」
「なんです? コナン殿」
「ハインは、私が監督して手を抜かせないようにいたします」
先生がふぅと長く息を吐いた。
「よろしいでしょう。お任せいたします」
先生も、コナン兄さんのことは信用しているのだろう。よかった、よかった。
「つぎに、レオン殿。いかがでしたか?」
「はい。前回の先生のお教えを守ったら、何とか風が起こるようにできました」
脳内システムのことは、とりあえず秘密にすることにした。
遠回しに、兄さんたちに聞いてみたけど、魔術を発動するには先生が仰った通り、起動紋を思い浮かべるだけらしい。
心苦しいけれど。あれの説明のために、怜央のことまで話すことになっては、まずいからね。
「それはよかった、レオン殿にできないはずはないと思っていましたから」
先生の表情が緩んだ。
ん。なんでそう思ったのかな?
「何回試して、どのように発動しましたか?」
えっ。
なるほど。そう訊かれるか。そうだよね。でもまあ正直に答えよう。
「あの、何回試したかまでは、覚えていませんが。ほぼ毎回風は出ます」
うわっ、何?
兄さんたちが、ぎょっとした顔で僕の方を見ている。先生も教卓を外して、こちらへ寄ってきた。
「それは、本当ですか?」
えっ、そんなに驚くことなの?
「ええ、まあ……」
「うむ。興味深い。これから試してもらいましょう」
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※1:PI制御:各種制御によく使われる典型的な制御方式。目標値、この話の例では目標水量、それと実際の水量の差、つまり誤差に比例した量と、誤差の時間累積値である積分した量を並列で投入する制御量とする制御方式。前者が粗い制御、後者が細かな制御とも言える。
※2:ゲイン:PI制御の場合は、比例ゲインと積分ゲインがあり、それぞれ単位時間当たりどの程度変化させるかを決める量。
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訂正履歴
2025/04/09 誤字訂正 (布団圧縮袋さん ありがとうございます)
2025/04/12 誤字訂正 (asisさん ありがとうございます)