39話 母様と劇場
一緒に行った記憶がないな。
「明日、付き合いなさい」
僕にこんなことを言うのは、母様に決まっている。夕食の後、呼び止められて告げられた。
「はあ。何にでしょうか?」
これでも、王都行きに向けて準備があるんですが。それに、最近魔術の修行の頻度が減っているんだけれど。
「明日、9時に馬車が来るから、礼服でね」
答えてくれない。
「済みませんが、礼服はもう荷作りしてしまいました」
荷物を王都に送るのだ。
「荷解きするか、ハインに借りなさい。もう背格好は変わらないのだから」
うわあ、理不尽だ。
まあ礼服は、この前ハイン兄さんが、僕に背を抜かれると嫌がっていたけれど。服飾品を扱っているから、母様の見立ては確かだ。
「わかりました」
†
「義姉さんも一緒に行くんですね」
「えぇぇ。レオンさん。私が一緒だと嫌なの?」
「嫌も何も、どこに行くのか知らないんです」
「まあ」
義姉さん母様の方を向いたが、何の反応も示さないので、こちらへ向き直った。
うんうん。良い関係で安心です。
「ところでレオンさん。その上着はあまり……」
「ああ、これですか。もう、荷作りしてしまったので、ハイン兄さんに借りました」
身長はほぼ一緒なんだけど、胸囲、腹囲はだいぶ違う。要はこの礼服が僕には似合っていないのだ。
「来たわよ」
ええと。エミリー伯爵家の紋章が側面に描かれた馬車が、ウチの敷地に入って来たんですが。
馭者が降りてきて、母様にあいさつして扉を開けてくれた。2人が乗ったので、仕方なく乗り込む。
完全に身分不相応の状況だが、母様は伯爵夫人とは商人と顧客の関係以上に懇意にして戴いている。それは知っていたから、礼服でと言われた段階で少し頭は過ったが、僕を連れて会いに行く理由がないので、案から排除したのだけど。
「どうしたの、レオンさん」
キョロキョロしているのが気になったか。
「ああ、いえ」
「わかるわ、大貴族様の馬車はすごいものねえ」
「そう……ですね」
先日に乗った財団の馬車の方が、内装は豪華だったとは言えない。
お城に行くのか。1次試験以来だなあ、そう思っていた。館を出て、予想通りの進路を進んでいたのだけど。
「あっ、あれ」
このまままっすぐ行けば城門という所で、馬車は西に折れた。
義姉さんがくすくす笑う。僕が不審な顔をしているのが面白いらしい。
この先は、領政府の官庁、図書館、後は。ああ、エミリア劇場か。そういえば、伯爵夫人が観劇を好まれると 聞いたような聞かないような。夫人がお越しになるなら、この衣装も納得が行く。
行き先がわかった所で、僕を連れて来た理由がさらに謎となった。お芝居を見るのかなあ。そうだとして、なぜ僕をお供に?
そうこう考えている内に、馬車は劇場のロータリーを回りポーチで止まった。素早く降りて、姉さんと母様が降りるのを手伝う。
「ついていらっしゃい」
「はい」
ついていきますとも。帰って良ければ帰るけれど。
劇場の玄関に入ったら、斜めに列となった人たちが待ち構えていた。今日のお芝居の関係者かな。一番前にいるのは、あごひげを蓄えた貫禄がある壮年男性。面識はない。
「アンリエッタ殿。お待ちしていました」
「期待しています。ヴァルドス殿」
母様は先頭の男性に親しげにあいさつした。顔見知りのようだ。
ヴァルドス。名前を聞いても心当たりがない。ウチの一族ではないと思うが。
「お任せあれ」
僕も会釈して、母様の後について行く。ここからホールに入るのかと思ったら、玄関の壁際に止まった。どうやら、後から来られる方々をお出迎えするようだ。
10分くらいすると、馬車が次々到着して、貴婦人の方々が降りてこられた。僕は失礼にならないように、始終目線を下げて、通り過ぎていくのを待つ。
「アンリエッタさん。ご機嫌よう。お招きいただきありがとう」
「レイラ様、ご機嫌よう。お越しいただき感謝申し上げます」
ふむ。招待券でも贈ったのだろうか。商売熱心だなあ。
「子爵夫人よ」
義姉様が小声で教えてくれる。
おっとなかなかの大物だ。このエミリアでは上級爵位2位ぐらいだろう。
「次は男爵夫人様」
要は男爵家の女性当主だ。
ええと。
なぜか、次々と貴族の方々が母様に礼を言っている。もしかして主催者ですか、母様は。
母様の政治力恐るべし。
あの財団の一族だからとは考えにくい。
そのことを知っている人は、父様とコナン兄さん位だろう。支配人ですら知っているかどうか。
ひときわ豪華な馬車が横付けされた。
降りて来られたのは、きらびやかな衣装。間違いなく、伯爵夫人だろう。
「ノーマ様、本日はお誕生日誠におめでとうございます」
やはり伯爵夫人だ。名前ぐらいは知っている。
「アンリさん。ありがとう。でも、この歳になるとさほどめでたくもないわ。ふぅん」
ちらっと見た分には40歳くらいかな。
おっ。
俺の前で、美しい靴が止まった。
「末の息子にございます。ごあいさつなさい」
少し顔を上げる。
「初めて御意を得ます。アンリエッタが子、レオンにございます」
こういうことは、事前に言っておいてほしいのだけど。まあ、礼儀作法の指導は十分受けているので、別にあわてることはないけれど。心の準備ってものがあるよね。
「そう。お母様にそっくりね」
「恐縮です」
「ほほほ、恐縮など無用。では、アンリさん。楽しみにしておりますよ」
伯爵夫人が楽しみにされるのか、今日の催しは。
そう思っていたら、今度は中年くらいの男性達が入って来た。列の先頭の壮年男性にあいさつすると、こちらへ来た。
「オルキュスの乙女でしょう、もう見飽きた演目だ」
「確かに。ヴァルドス師も地元に戻って巻き直そうとされているのはわかるが」
「巻き直す。果たして、わざわざ呼び寄せた我ら評論家の目に適いますかな、ははは……」
僕達の前を素通りしていった。
演劇の評論家か。
そんな人たちが、エミリアの町にいるとは聞いたことがない。だから呼び寄せたのか。大丈夫かな。まだ見てもいないのに酷評していたけれど。
ヴァルドス師ねえ。呼び方から察するに、あそこであいさつしているの中で一番偉い人らしいな。
うわっ。
評論家たちを見送る母様は不敵な笑みを浮かべている。ふたたび歩み去った方を向く。狙われていますよ、あなた方。
「おば様」
えっ?! この声は……。
振り返ると、満面の笑みをたたえた幼馴染みがいた。
「この度は、お招きありがとうございます」
なぜ……あっ、もしかして母様とのつながりって。これか?
「エイルさん。こんにちは」
「こんにちは」
「あら。レオンちゃんも、こんにちは」
「やあ」
「歌劇なんか全く興味なさげなのに、劇場に来るなんて、おどろいたわ」
「そうだね」
僕が一番驚いてる。
「まあ、エイルさんとレオンさんって仲が良かったんですねえ」
「ええ、義姉さん。親戚ですから」
エイルは不機嫌そうに横を向いた。なんか間違えたか?
「さあ、じゃあ。私たちも中に入るわよ」
「はい」
「お嬢様。私はこちらでお待ちします」
エイルの付き人は、中には入らないようだ。
†
いったん階段を昇り、劇場に入った。
そこから舞台に向かって、ゆるやかに下っている。階段状の観客席だ。
正面には幕が閉まっている舞台があって、そこから前にぐっと下に潜って、楽団の演奏席がある。そこから柵を隔てて、観客席が階段状にこちらへ向かって登ってきている。
僕たちは舞台に対して右側面近くに座った。
なぜ隣に来る。エイル。
母様、義姉さん、僕、エイルの順だ。
観客はかなり少なく、席は閑散としているのだから、わざわざ隣に来なくても。
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2025/02/12 誤字訂正(1700awC73Yqnさん ありがとうございます)
2025/04/02 ヴァルドスの役職名訂正 (カレイドさん ありがとうございます)
2025/04/04 誤字訂正 (ゆうきさん ありがとうございます)