4話 初めての魔術
なにごとも初めてという時期はあるもので。
よし。
シムコネが動いても、現状では魔術が発動しないことはわかった。
心おきなくシミュレーションできるぞ。
しかし、どうやってシスラボ・シムコネが動いているんだろう? 怜央の記憶によれば、コンピュータという物の上で動くはずだが、そんなものはここにはない。
僕の頭の中で動いているように感じるが、僕の能力という感じではない。
シンクライアントシステム?
ああ、サーバーという召使いが居て、遠隔で働いてくれた結果を僕に見せてくれるという概念が流れ込んできた。なるほど、それなら僕自身には負担が掛からないのか。良いやり方に思える。
「シスラー、君はシンクライアントシステムで動作しているの?」
「すみません。私の任務であるシスラボより下位システムについては情報がありません」
やっぱり無理か。
この状況で、あれこれ考えても不毛だ。
よし、脳内システムと呼ぶことにしよう
背後関係を思い悩んでも仕方ない。たぶんあの時、怜央が強請ったから、神様はこれを使えと言っているのだ。使ってみることが重要だ。そう考えることに決めた。
あとになって思い返すと、この時、僕レオンは、一部を藤堂怜央に乗っ取られていたのかもしれない。でも、全くそのようには感じなかった。彼の知識は水の底から浮かび上がるように、一気に僕へ入ってきたけれど、取り立てて異変はなかった。
そう断言できる。
僕自身のことははっきり覚えているし、逆に彼の身の回りの記憶がぼんやりしている。彼の考え方などはあまり思い出せない。唯一何かを制御したかったという強烈な願望が残っているだけだ。
もっとも、知識が変われば、同じ状況でも判断が変わることは否めないけれど。
でも、そんなことを考えるのは、後のことだ。
この時の僕は、得体のしれないシステムのことで頭がいっぱいだったのだ。
ステトラのウインドウを見る。
ステートの角丸箱が4つ水平に並び、相互に矢印で接続されている。
それぞれ停止、起動、発動、行使と書かれている。つまり、魔術を使う時は4つのステート(状態)があるということだ。
停止から起動に行く、イベント矢印には完全転写と書いてある。何に転写するかわからないが、おそらく起動紋がイメージできたら、起動状態になるということだろう。
状態遷移図は、このように箱が何かの状態を示し、箱と箱の間の矢印は状態が変わる(遷移する)トリガーの事象を示し、段階的に進んで行くことを記述した図だ。
ステトラでは、図の作成と、遷移のエミュレートができる。今は停止のステートが青くなっていて、停止していることがわかる。トリガー事象が起こると、いったん色が付いて、起動のステートが青く色が変わるのだろう。
それはともかく。
起動から発動へのイベントは魔界強度下限値突破か。そうなれば発動紋が現れる。その逆のイベントは魔界強度下限値割込か。ふむふむ。
発動から行使へは、魔界強度閾値突破。その逆の矢印はないが、一気に行使から停止に戻るイベントがある。魔束供給停止か。
まとめると、初期状態の停止から、起動紋をイメージして、魔界強度を上げていくと魔術が使えるという訳だ
大体流れもわかった。ステトラのウィンドウを小さくして端に避けて、一応見えるようにしておく。あとは、シムコネで細かく見ていこう。
こちらは主に3つの箱だ。
他にスイッチ状態表示用のスコープはあるけれど、見た目にはすごく単純なモデルだ。
これぽっちで魔術が発動できるとは思えないから、下位のモデルがあるはずだ。
図形の1番左の箱は、ヒューマンモデルか。
導かれるように視線を合わせると、クリック感があって箱が沈んだ。
やっぱりな。
表示が切り替わった。あの箱自体が1つのモデル、つまり下位モデルの集合体ということだ。抽象化されているから単純に見えるけど、実は奥が深いというパターンだ。
機能としては人間の物理モデルだろうな。
左上に人型の図形があからさまに表示されている。それなりに抽象化されているのだろうけど。頭と胴体と四肢が色分けされているから、さらに下位があるのだろう。
もっと奥を見てみたいが……後ろ髪を引かれる思いがありつつも、上位層に戻る。要はとりあえず動かしてみたいという、衝動が強かったのだ。
全体を見直す。真ん中の箱は、魔術エミュレータか。
右の箱は、カスタムのインジケータだろう。上が開いた箱があって左辺に目盛りがあるから……水槽か。発生した水の積算量を示すものだろう。
この手の例題モデルは、とりあえず実行させてから、その後、トリガーとなるスイッチで発動させるのが典型的だ。ただ、このモデルでは、どのスイッチか悩む必要もない。1個しかないからだ。
そうめぼしをつけて、緑の右向き矢印の実行ボタンをクリック。
おお、人体モデルのステートが、通信中に変わった。
すると魔術エミュレータが起動に変わって、スコープの魔界強度グラフが上昇していく。しかし、魔力量も流量のグラフには変化がない。
そういえば、魔界強度のグラフに水平の赤い破線があるけど、なんだこれ?
魔界強度のグラフは勢いを落としながらも上昇を続け、赤破線に近付いていく。スコープの横軸は時間だが、多分現実より10倍位減速して表示しているようだ。
時間は掛かったが、魔界強度グラフが破線を超えた。その途端、魔術モデルのステートが、発動に変わった。魔力量グラフがわずかに減少しはじめ、逆に流量グラフが立ち上がっていく。
あの赤破線は、魔界強度の最低必要量ということだな。逆に言えば、魔界強度は、魔術発動に直接関連する物理量ということか。
ならば魔力量は、電池の充電量みたいなもので、魔界強度を発生させるためのエネルギーと当てはめてみれば辻褄は合う。
そうこうしている内に、水槽の表示に水が流れ込み、水位が上がっていく。積算量が増え始めた。
ふむ。
使ってみての感想としては、それぞれの箱のサブシステムは奥深いかもしれないが、全体の作りはステトラの例題集の、それも最初の方に載ってそうなシンプルな物ということだ。
驚くべきは、やはり魔術が数理システムで書かれていることだ。そして、意味不明な起動紋が、なぜかシスラボ・シムコネに変換されて、僕が理解できることに空恐ろしさを感じた。
†
翌日。
心地よく目覚めた僕は、母様と兄さんたちに謝った。
コナン兄さんは、体調が戻ったことに、よかったよかったと喜んでくれた。
さて、今日は先生は来ない日なので暇だ。
兄さん達は、商会の手伝いを始めているのでそうでもないけれど。そして元気になったと言い訳して、いつものように商館を出た。
僕はまだ子供扱いなので、1人で館の敷地の外に出ることは許されていない。
なので、大人の付き添いが必要だ。係りのメイドのウルスラも一緒に付いてくる。警備員に手を振って門を通り抜ける。エミリアの町は治安が良い。彼らものんきなものだ。
ウルスラは30歳ぐらいかな。行き先を告げているから、黙って付いてくる。
10分も歩くと、エミリアの町が途切れた。石造りの市街地から、うってかわって田園風景となる。街道を東に折れ、ちゃんと草取りされた間道を進むと、木の柵が見えてきた。
「では、レオン様、私はこちらでお待ちしております」
「うん。おなかが空いたら戻ってくるよ」
彼女が付いてくるのはここまでだ。会釈すると、小作人のリーブさんの家に入っていった。
僕はその家の横にある柵の門を通り抜けて、丘陵を登り始める。
町の空気とは違って涼しい。
ウルスラは、なぜあそこからは付いて来ないか?
さっき通り過ぎた柵からこっち、向こうに霞んで見える尾根のさらに先まで、商会の土地だからだ。商会と関係のない人間は入ってこない。
それはともかく。この道は、もう少し行くといくつか脇道があって、別荘やら牧場などに通じている。良く通っているところだ。でも、施設に通じる道ではなく、ほぼ獣道になっている方へ分け入った。
林を縫って進み、沢に沿って斜面を回り込むと、やや開けた土地に出た。辺りは木々に囲まれており、人は誰も居ない。風に木々の枝がさやさやと音を立てていて、とても落ち着く。
ここは兄弟の遊び場となっている場所で、おととしぐらいまでは3人で、よく遊びに来ていた。ただ最近は、兄さん達が大人になってきて、僕しか来ないようになってしまった。もう少し登ったところは、危ないから行かないようにとは言われているけど、ここならば問題ない。
ここには、兄さん達が作った隠れ家がある。もちろん家といっても、そこらにある木の枝や板の切れっ端で柱と壁、それに屋根を葺いたあばら屋だけれど。
そこに上がり込んで、一息つく。持ってきた水筒から水を飲んで、いよいよここに来た魔術を実際に発動する覚悟ができた。
「シスラー! ポゼッサー・サブセットを有効化して!」
「ポゼッサー・サブセットを有効化しました。トークン数は残り27344です」
まだ、いろいろ使えそうだ。
じゃあ、やるぞ!
実行ボタンをクリック……おお。
出た!
できた。
突き出した右手の向こうから、水が流れ出ていた。すげーーー。魔術すげー。
町の広場にある、馬達が飲む水槽の上にある蛇口から流れ出るぐらいの水量が滔々と流れ出ている。
左手を右手の前に出す。冷たい。
掌をくぼませて水を溜め、顔の前に持ってくる。透明だ。
臭いはない。恐々と舌を伸ばして浸けてみる。味はないな。よし!
覚悟を決めて、口に含んでみた。
うん。無味無臭だ。悪くない。
もう、瓶で言えば何本分も流れており、足元が水浸しになってきた。
目をつむってスイッチを切ると、止まった。地面でビシャビシャいっていた音も消えた。
「できたぁ、僕は魔術を使えるぞーーーー」
ぞー、ぞー、ぞーと、木霊が帰ってきた。
少し恥ずかしい。
ポゼッサーを使うと、システムに体を乗っ取られるとドキュメントに書いてあったけど。特にそういう感じというか、違和感はなかった。悪くないなあ。
さて。右手は、どうなっている……あれ? 濡れてない。思い返せば、右手には水の感触も、左手が感じた冷たさも感じなかった。
じゃあ、どこから水が出てたんだ?
もう1回。
ああ……。
右肘を曲げて見ると、水は手のひらではなく、少し間隔を空けた空間から、流れて出ていた。さっきは水ばっかり見ていて、気が付かなかった。さらに水が湧いている箇所をじっくり観察すると、うっすら紋様が見えた。
発動紋って、これのことか。
紋様が象る平面が境界となっており、そこから水が噴き出している。
起動紋の幾何学紋様と異なり、紋様が有機的だ。蔓草が絡まり合うような感じにも見える。
へえ。すごいな。こういうふうになっているんだ。いや、まあ掌から流れ出ていたら、それはそれで気味が悪いし、飲みたくない。
それにしても、こんな簡単に魔術が使えるなんて。ワクワクしてきた。
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訂正履歴
2023/09/28 誤字訂正(ID:209927さん ありがとうございました)
2023/12/15 誤字訂正(ID:493855さん ありがとうございました)
2025/04/02 誤字訂正 (Ellさん ありがとうございます)
2025/04/09 誤字訂正 (布団圧縮袋さん ありがとうございます)