298話 おばあちゃん
花粉症が厳しい。目が痒い……
集中───
庭にある作業小屋。入口には侵入厳禁の札を掛けた。
誰も入って来ない。
薄暗い奥の部屋。目の前にうっすらと発動紋群が浮かび上がる。
≪放出≫
的に向けて、暗い緑の糸が張った。
撓まず揺れず。ただただ、真っ直ぐな糸。
目を閉じると、シムコネ上のスペクトルアナライザーが、針のような頂点を描いている。
「ふふふ……」
我ながら、気味の悪い。
視線を動かして、ブロック線図モデル中央のPID制御器の右にある、飽和ブロックの上下限を膨らませていくと、緑の糸が明るくなっていく。
オートスケールが桁を変えていくが、波形は乱れない。
ん。
臭い。瞬くとシムコネの表示が消え、的が白煙を上げているのが見えた。
出力を上げすぎたか。
≪停止≫
念じた瞬間に緑の糸が失せた。
純粋光が途切れたのだ。
しかし、僕の前には作業台が有るばかりで、純粋光に関する魔導具はない。
「できたぁ」
ふう。
椅子座面の尻が前進し、背中が倒れる。冬だというのに、脂汗を搔いた。
このところ、取り組んでいた純粋光の発振の改良。
一方向は、僕が魔術を行使しない、魔導具のみによる発振。それは、前に実現した。
もう一方向───
魔導具、具体的には媒質、正確に言えば固体媒質を使わない、純魔術による発振。
それができたのだ。
純粋光は、合わせ鏡の間に置いた媒質で、取り込んだ光を増幅して位相を揃える。だから、媒質が必要だ。これまでは固体の媒質、魔石やアルミ・ラージの角を使っていた。
媒質の保持や光を取り込むための容器が必要であるし、媒質を変形、変質させない程度の温度に冷却する必要がある。
この世界にある固体媒質を扱う限り、わずらわしいのだ。
地球には光ファイバーという、ガラスや樹脂を媒質とするファイバーレーザーが存在したらしい。柔らかく可塑性があり、高出力で表面積が大きいので冷却は容易と、いくつもの利点を持つ。
ガラスはこの世界にも存在するが、高透明度で屈折率の異なる素材を同心円状に分布させる技術がない。いや、曲げられるほど細くもなく数セルメトほどの長さであれば、できるかもしれない。が、レーザー発振を有利にする程の長さを製造、しかも安価にできなければ意味がない。
固体でなければ良いのか?
地球では、ヘリウム、ネオン、キセノンなどの不活性ガスや二酸化炭素を媒質にするレーザーがある。では手軽になるかと言うと、気体は気体で、散逸させないように容器が必要で、わずらわしさは改善されない。
ここで考えたのは、固体媒質でもなく、容器不要なシステムだ。
原形は地球にあった。自由電子レーザーだ。
これは、現在光源として使っている放射光のしくみを利用する。交番魔界を印加した電子線屈曲器で発生する自由電子だ。今までであれば、魔導光(シンクロトロン放射光)を発振してお役御免としていたが、この屈曲器の前後に魔導鏡を合わせ鏡で配置する。
そうすると、魔導光が鏡間で往復し、電子線と共鳴的相互作用を起こして、位相が揃い純粋光に変化する。要は自由電子が媒質となる。
電子は、魔界分布で軌道を規定できるので容器が不要だ。地球では磁界で屈曲するので、コイルや永久磁石を使っている。しかし、魔界であればそれすら不要───僕であれば、純魔術で発生可能だ。
そう。僕であれば、そう思ってやった。
しかし、僕でなくてもできる可能性がある。確かに僕には脳内システムで術式を突き詰める強みがある。知る限り、他にそのような魔術士は居ない。あくまで、知る限りだ。僕が隠して居るのだ。他の魔術士が公開していると言えようか。いや、確率的に言えば存在する方が自然だ。
それに術式を編み出すことができなくても、術式さえ認識できれば発動できる魔術士はいるだろう。
それはとても危険なことだ。
ターレス先生をはじめとして、純粋光技術をどのように世に広めていくか苦慮してくれている人たちが居るのだ。
制御に僕が必要という状況は、完全魔導具化で消えた。それは普及の足かせでもあるから、歓迎してくれたが、純魔術化はどうだろうか。
この成功を喜んでくれないだろう。
また厄介な物をと、僕がターレス先生なら思うかな……。
媒質という物による制限はやりやすいが、術式というのは情報だ。発動できる魔術士は選ぶかもしれないが、僕の他にも居るはずだ。
術式の秘密を守る義務、いや難儀をターレス先生他に負わせるのか?
純魔術による純粋光発振。
魔術技術の精華に違いない。
だが、僕1人の胸に納めておくのが、現在は至当だ。
†
「おやっさん! おやっさん?」
居ないな。
薄暗い工場。南西外区、バルタム鉄工所にやって来た。頼んだ納期になったからだ。
中を魔導感知で探ったが感はない。
扉が開いていたから、居ると思ったのだが。
後───
「おお、来たな、レオン。できているぞ」
振り返ると、工場主のおやっさんが立っていた。
「こんにちは」
挨拶しつつ、おやっさんが差した方をみると、木箱があった。歩み寄って、中を見る。
10個を2種。
皮手袋を填めて持ち上げる。
そうだな。怜央の少ない自身の記憶。彼はいわゆる錆手だった。触る鉄材を錆びさせやすい体質だ。なんせ、SUS420J2とはいえステンレスに指紋を浮き立たせた手だからな。
軍手が欲しい。
怜央の記憶によると、綿を織った手袋だ。皮手袋と違ってぶかぶかしないし、通気も良いらしい。それはともかく。
想定通りの形、内側の研削面は黒染め(四三酸化鉄皮膜)で、その他は塗料が塗ってある。
何度か瞬きすると、脳内システムが3次元寸法測定を始めた。
砂地面は無視して、平面研削をした面の表面粗度や平面度を確認。図面と見比べると十分公差内だ。
何個か持ち上げて、同じように確認したが、全て良品判定だ。
オスとメスの容器を両手に持って合わせる。
良い感じだ。天窓へ透かせて見たが、ぴっちりとしていて全く光が漏れてこない。
おおと思わず唸っていた。
ここバルタム鉄工所をはじめとして、中小規模の工場が林立する地区。そしておやっさんの眼鏡に適った協力工場だ。信頼できる。
早いし、小回りも利くし、自分のところだけでは加工できないところは、その中で回してくれる。
「ありがとうございます。検収します」
「おう、そうか。伝票はここにある」
おやっさんに、近付いて受け取り、署名する。
満足そうな良い顔をしているな。
そうか、僕も同じかもしれない。
「じゃあ、また来ます」
「おう。毎度あり」
作ってもらった、容器を魔導収納に入れて、鉄工所を出た。
うむ。なんだろう。肌寒いものの、胸が温かった。
†
急いで自分の館に戻ってきた。
「アデルは?」
「応接室にいらっしゃいます」
アデルからも館に来ると魔導通信があったし、出迎えてくれたエストからもアデルが来たとファクシミリが届いた。
「アデル」
着替えもせずに、応接室に直行した。ん?
アデルは口を開いて、そこへ香水瓶みたいなものを向けていた。
こっちに気が付くと、目を白黒させたかと思うと、口にハンカチを当てて僕をにらんだ。
「うっうぅん、レオンちゃん、お帰りなさい」
「うん、ただいま。どうしたの? それ何?」
「むぅ、喉用のチンキよ。霧を吸い込むと喉に良いんだって」
「へえ」
「私が、変な顔をしているときに帰ってくるんだもの」
「変な顔なんかしていなかったけどなあ」
「もう良いわ。そんなことより月刊歌劇界から、ゲラが送られてきたの」
ゲラとは、活字で印刷された校正刷りだ。一般に墨一色かつ簡素な印刷で、最終的な原稿の見直しを行うためのものだ。
「えっ? いやあ、結構早いんだね」
1月号の発売日は、まだ先だ。読みながら、アデルの話を聞く。
「ううん。違うの。1月号ではなくて、増刊号を出すんだって」
「増刊」
そういうことか。
「うん。あれから、報道発表もあったし、ほら、執事喫茶があれだけ流行っているじゃない。アーキ茶だけじゃなくて、黄金トーストもあるけれど。あれは良いわね。少しトーストはこってりしているから、後口がすっきりして……って、レオンちゃんはよく知っているわね。おっと、話が逸れちゃったわ。ともかく、話題性が高くなっちゃったから、あわてて増刊号を出すことにしたみたい」
そうなのだろう。結構新聞でも取り上げられたからな。
「ふーん。アデルが茶葉を入手したのは、ベネディクテさん経由ということにしたんだ」
「うん。レオンちゃん経由とは言えないし、実家……リオネス商会でも良かったんだけど、後援会長の方が通っているからね」
「そうだね」
後援会長が、事業体の出資者であるウーゼル・クランの経営者の妻であることは知られているから辻褄は合うし、疑いも少ないだろう。
あとのことは聞いていたとおりで、ガリーさんとの記載はないが、化粧士の噂で白組内に広まったとある。
「はっはは。結構アーキ茶を褒めてくれているね」
「いやあ、取材を受けたのはそのためなんだからねえ」
上目遣いで、役に立ったでしょうと訴えてくる。蠱惑とともに。
「うそも言っていないし、話も膨らませていないわよ。それと、おばあちゃんには、ちゃんと頼んであるから」
おいしいし、肌艶が良くなった、よく眠られると結構しっかり答えてくれている。
「ありがとう。アデル」
まだ日がある時間帯だ、このまま泊まっていくということはあるまい。持って来ているのはバッグだけだ。
「ああ。もうひとつ用があるの」
アデルは、横に置いたバッグを膝の上に置いて、中を探っている。
なんだろう。
「これ、おばあちゃんから」
「ベネディクテさんから?」
封書を差し出された。
レオン様。
「ご提案書……?」
アデルは、にっこり笑った。
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