264話 避暑地にて(3) 露天
温泉行きたい。願望が……。
ガライザーの町で昼食を取った僕たちは、夕食の材料を買いに市場にやってきた。
石造りの店が並び、2階の途中から横木が張り出している。そこに厚手の防水布を張ってアーケードを形作っている。
おかげで、アデルは日傘をささなくて済む。
「レオンちゃん、ジャー芋ってあったわよね」
今、僕たちがいるのは、野菜と果物を売る店の前。
「うん。そこそこの量はあるけれど」
王都で買い出しをしたときに買った。
「じゃあ、いいわねぇ。おじさん、アーキの実はないの?」
アデルは店の中を探しているようだが、さっき見た橙色の売り物は確かに見当たらない。
「アーキはもっと後だよ、9月の終わりか10月からしか並ばないな」
「でも、さっき、ここら辺りで収穫しているって」
「ああ、地物のことかい。ないよ。早生の収穫は始まっているだろうが、収穫しても干しアーキにするにゃ、一月は掛かる」
「そうじゃなくて。干した実じゃなくて、採ったままのアーキは、この市場じゃ売っていないの?」
「そういうことか。ここらの生のアーキはないよ。完熟させないと渋いからね」
「でも。わたし、王都で甘いアーキを食べたことがあるわ」
「そういう品種もあるが。ここいらにはないんだ。ああ、いらっしゃい」
別の客が来た。
「ありがとう」
葉物野菜だけ買って、店から離れた。
あとは、目当てのガライザー豚、それも熟成肉の塊と卵を買い込んだ。それで別荘に帰りかけたときだ。
「あれって、ナラム君じゃない?」
背格好は似て居るな。隣を進む男と話しているのか、横顔が見えた。
「そうだね。彼だ」
一筋ぐらい前を、さっき風呂場で会った少年が歩いている。ん。よく見ると、隣の男は松葉杖をついている。
「追いかけよ。レオンちゃん」
「うん」
なんか彼に用があるのかな。
早足で追いかけていくと、すぐに目と鼻の先まで来た。
「……でも、母さんが良い顔をしないんだよ」
「ナラム君!」
少年が止まって、こっちを振り返った。
「あっ、お客さん」
隣の男もぎごちない動作で振り返った。脛から下に巻かれた包帯が真新しいな。最近何かあったらしい。
「今、大丈夫かな?」
「ああ、はい」
ナラム君の顔が紅くなった。綺麗なお姉さんに話しかけられたら仕方ないよな。
「ちょっと、ナラム君に聞きたいことがあるんだけど」
「はっ、はい」
「さっき市場の人に聞いたけど。この辺りに甘いアーキはないんだよね?」
「あぁ、ないですねえ」
「なんで甘いアーキを作らないのかなあ?」
「うーん」
横に視線を向けた。
「お嬢さん。私はこの子の叔父のパウロだが」
「あっ、はい。どうも」
軽く会釈する。
「さっきの話だが。甘アーキは寒いところが苦手でね。ここらの標高800メト程度までくると、渋アーキの品種しか育たないんだよ」
「へぇぇ、そういうことだったんですね」
ふぅむ。
「10年程前も、ルートナスから新種のアーキが入ってきたんだが、結局実を付けなかった」
「叔父さんは、農園をやっていて、野菜の他にアーキも育てているんです」
おっと、専門家だった。
「まあ、渋アーキと言っても、そもそも甘みは甘アーキより強いぐらいなんだがね」
「えっ?」
「だが、それを上回る渋さのおかげで、甘みを感じられなくてね。脱渋っていう工程で渋みを抑え込むことで、甘くなるんだ。その一例が干しアーキだよ」
「へえ。ありがとうございます」
「いや。ぺらぺらしゃべってすまなかったな」
「ところで、脚をどうされたんですか?」
アデルは踏み込むね。
「ああ、いや」
「ははは。叔父さんは昨日、アーキの木から落ちたんだ。ロネ早生の収穫時期なのにねえ」
収穫か。
「それはお困りですね。それで、誰か代わりの人は」
「いやあ、なかなかね。まあ、骨は折れていなかったから、10日も休めば……その間、ナラムが手伝ってくれたらいいんだけど」
「ううん。農場の周りに魔獣が出るってねえ」
魔獣か。その辺りをマーサさんが心配している可能性が高いな。
アデルがちらっとこっちを見た。なんとかならないかって顔だ。
「僕でよろしければ、収穫を手伝いましょうか?」
「僕? おぉぉ」
上から下まで見ている。これは女子だと思っていたな。
「しかし……」
「レオンは、とても優秀な冒険者でもあるんですよ」
「本当か?」
ギルド証を懐内で出庫して、手に取ってみせる。
「むう。そうなのか。これは助かるな」
「やったあ。よかった。ありがとう、お客さん。僕も叔父さんを手伝いたいのに。どうしようかと思って……あぁ、でも、お母さんに知られたら、怒られちゃうんじゃないかな。お客さんを働かせるなんて」
「ナラム君。僕から言い出したことだから。問題ないよ」
「そうなら良いんだけど」
心配そうだ。
「じゃあ、明日の10時頃でいいから。ウチの農園に来てくれるかな」
「わかりました。その農園というのは?」
「この先を500メトばかり行ったところにある、北側の脇道に入って少し登ったところにある。脇道に入るところにはパウロ農園と看板を立ててあるから」
「帰り道だから、確認しながら帰るよ」
「じゃあ、頼んだ」
ふたりと別れて、裏道に入る。
「ごめんね、レオンちゃん。私が目でねだったから、パウロさんを手伝うことにしたんだよね?」
「まあね」
アデルは優しい上に、ナラム君の境遇が自分に似ているから、他人事に思えなかったのだろう。
「せっかくガライザーまで来たのに……」
「ん? アデルがよろこんでくれるなら、僕もうれしいから」
「うぅ、レオンちゃん」
「抱き付いてくれたから、このまま別荘へ帰ろうか」
「うん」
光学迷彩魔術と飛行魔術を行使して、帰路に就いた。
†
「買って来た物を出そうか?」
肉と野菜は、魔導収納に入っている
「まだいいわ。それより、レオンちゃん。少し汗を搔いちゃった。お風呂に入りましょ。私が洗ってあげる」
「そうしようか」
寝室に行くと、アデルがいそいそと寄ってきて、一切合切を脱がせると代わりにガウンを着せてくれた。
「先に行っていて、すぐ私も行くから」
「ああ」
廊下を通って浴室に入る。まだ日が高いし……外に出た。
少し陽が陰ったようで、爽やかな風がゆるく吹いてくる。洗い場の脇に籐の籠があるので、脱いだガウンを落とす。石造りの湯船が薄く湯気をあげている。
瞬きをすると、視界が虹色に変わる。温度は40度か。
ザブザブと中程まで進むと、湯の中に腰を降ろす。
とても気持ちがよい。
浴場は、木立に向いていて、ぐるっと植生が巡っている。ただ、昨日のナラム君じゃないが、直接外から入って来ることも、不可能ではない。魔導感知を意識の高いところに保っておこう。
ふぅ。いい湯だ。
新居にも浴槽があるから、最近は湯に浸かるのが習慣になってきた。
怜央の民族である日本人というのは、庶民でも湯に浸かる文化があったらしい。
セシーリアでは入浴文化はそれほどでもない。庶民は行水したりシャワーは浴びたりはするものの、湯に浸かることはほとんどない。だが、古代エルフにはあったようで、遺跡には浴場がよく見つかる。そのせいか、貴族の邸宅に浴場を備えるのが権勢の象徴のひとつらしく、まあそれで新居にもあったわけだ。
しかし、湯に浸かるだけでも相当だが。こうして遮る物がない屋外の入浴というのは、なんだろう。格別な心持ちになるな。
湯に浸かっていると、前世の記憶が思い出されてくる。
干し柿か。
怜央の記憶にもあったものの曖昧で、それほど旨いと思ってはいなかったらしい。それ以外にも相当に旨い菓子やら果物がふんだんにあったようだからな。
アデルによれば甘アーキはおいしいのだから、わざわざ渋アーキまで食べる必要があるのか?
そういえば。目をつぶって検索開始。むう……ドキュメントにアーキの項目がある。
「レオンちゃぁん」
「外に居るよ」
ややあってから扉が開いた。
「こっちだったんだ」
しゅるしゅると衣擦れの音がした。振り返ると、一糸をもまとわないアデルが立っていた。
凝視してしまう。女神もこうなのではないか。
「綺麗だ……」
「もぅ、あんまり見ないで」
すこし顔を紅くして、アデルは身悶えると、彼女も入って来た。
「温かい」
相好を崩しながら僕に近付いてくると、そのまま抱き付いた。
「気持ち良いわねえ」
「ああ、そうだね」
「なんだか、とても幸せ」
「それ、前にも言ったよ」
「だって、幸せなんだもの。何度だって言うわ」
夕食には熟成肉を焼いて食べ、避暑1日目は終わった。
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訂正履歴
2025/11/14 誤字訂正 (haruさん 布団圧縮袋さん ありがとうございます)




