263話 避暑地にて(2) 名物話
「名物にうまいものなし 名所に見所なし」とは言いますけどねえ。
先導する婦人が数歩進んで振り返った。
「ところで、おふたりのお名前は」
「レオンです。こっちはアデル」
「そっ、そうですね。やっぱり男性ですよね」
「はっ、はい」
横で、アデルが笑いを噛み殺している。
「私のことはマーサとお呼び下さい」
「では、標識に書いてあった、ユディートさんというのは?」
「ああ、亡くなった主人です」
「これは、失礼しました」
横に居るアデルも表情がこわばった。
「いえ。屋号にしていたので。変えていないウチの問題です」
僕の実家が、リオネス商会にしているのと同じだ。
「ところで、お荷物が随分少ないようですが」
「ええ。僕が持って居るのは、魔導カバンです」
アデルが小さなバッグ、僕のバッグも二回りぐらいは大きいが、1週間逗留する荷物が入っているようには見えない。手ぶらだと怪しまれるので、擬装用だ。
「そうなんですね。もう少しで着きますので」
「そうだ。マーサさん。ここら辺の食べる物で、名物は何ですかね」
アデル。好きだなあ、食べる物。
「名物ですか……そうですね。以前は山羊肉だったのですが、今はガライザー豚肉の方ですね。名が通っているかと。町で、お聞きにならなかったですか?」
「ガライザー豚。そういえば聞いた事ある」
「ええ。ドングリをたくさん食べて、脂が乗った黒豚の肉です」
「「へぇ」」
アデルと声がそろった。
「シメてから、しばらく熟成させた方がおいしいんです」
「あぁ熟成は良いですね。レオンちゃん、シメただけのお肉より、塩こしょうだけで焼いただけでもおいしいんだよ」
「そうなんだ」
「そうよ。でも冷暗所でゆっくり置いておく必要があるからね」
「おや、アデルさんは、料理に詳しいんですね」
「まあ、ちょっと。でも、どうやって熟成させているんですか?」
「ええ。鍾乳洞がありましてね。そこで、畜産ギルドが預かって熟成してくれるんです」
「へえ」
「地物は旨いですよ。捌いた肉は、町の市場で売っていますから。オーザ湖の近くは川魚、あとは山羊乳のバターとチーズぐらいですね。牛の乳よりは飲みやすいですよ」
「ふむ」
「いいですねえ。そうだ。なんか甘い物はないですか?」
ふふ。アデルはお菓子好きだからな。
「甘い物ですか……そうですねえ。今は時期が悪いんですが、アーキですかね」
「へえ」
「アーキ?」
何だろう。知らないな。
「レオンちゃん。アーキを知らないの?」
首を振る。
「いやあ、果物好きでないとご存じないかも知れませんね。ここらでもルートナスから入って来たのは、私がまだ子供の時分ですから」
ふむ。
「橙色で手のひらにのるぐらいの実ですよね」
「よくご存じですね」
「私、甘い物好きなので。アーキの実は爽やかな甘さで結構好きです」
そうなんだ。
ん。マーサさんの顔が曇った。
「いやあ、ガライザーのは、渋アーキなんです」
渋アーキ?
不意に橙色の実の映像が、頭に浮かんだ。そして、柿という言葉も。
「渋いんですか?」
「そうですね。完熟すると甘くはなるんです。ルートナスではエルフの果物、あるいは、エルフの好物なんて呼ばれているそうです。ただ、その頃には身が柔らかくなって、皮も破れやすくなるので、短い期間しか食べられないんです。なので、ここら辺の農家は、干しアーキを作ります。それでも食べ頃は、あと1カ月、1月半先ですかねえ」
「へえ」
エルフと関係があるのか?
「ああ、今日から泊まっていただくのはこちらです」
砂利敷きの脇道に入っていく。
アデルは、もう少し訊きたかったようだが、話が途切れてしまった。ここも、やはり木立を回り込むように小街道から目隠しになっている
「さっきの小街道沿いはおおよそ結界内です。ここらへんの竜脈は細い網目状だと言われていまして、脇道によっては結界外に出るものもあります。境界には碑が立っておりますので、外出されるときはご注意ください」
ふむ。網目状なのか。
「魔獣が出るんですか?」
「ええ。残念ながら。夜間は放牧している豚なんかを追って、魔獣が出没して荒らされまして、近郷の農家が随分困っています」
「へえ」
アデルが、こっちを見た。
「見えてきました。あそこにお泊まりいただきます」
先程よりは小振りな建物だ。
「ここの敷地は結界内ですし、夜間でも安心です」
小さな庭もあるが、ちゃんと掃かれていて手が入っている。僕らのために準備してくれていたのだな。
ん? 僕ら以外に人の感がある。
マーサさんが、鍵を取り出すと玄関の扉を開けてくれた。
「どうぞ、お入りになって」
さらに内扉があって、進むと廊下だ。
「こちらが居間です。履き物をスリッパに履き替えてください」
大きめの居間で、ソファーに暖炉がある。暖かそうで感じが良い部屋だ。今は盛夏だが。
ソファーに座って、靴を脱いで履き替える。
「では、ご案内を続けます。続きの部屋で、食堂、さらに奥が台所です。それから勝手口」
魔灯を点けながら、案内してくれる。寒さに備えて、窓が小さいからやや暗いのだ。
食堂は、6人くらい座れそうな広さだ。
また、廊下に出た。
「2階が、寝室です。おふたりずつ寝られますので、お好きな部屋で」
案内してもらった部屋はこざっぱりしていて、好印象だった。
「最後に。風呂に行きましょう」
階段を降りた廊下を進むと、突き当たりが浴室だった。
ここか。さっき、この3人以外の人の感があった場所だ。
スリッパを脱いで、床が石張りの浴室に入る。
壁際に湯船があるが、2人から3人ぐらい一緒に入れそうな大きさだ。
「こちらは、内風呂です。あの扉の向こうは、戸外と言っても屋根はありますが、外風呂があります。源泉から引いているのが自慢です」
「あっ!」
アデルが声を上げた。曇ったガラス窓の向こうに人影が見えたからだ。
「ここにいたんだわ。ああ、ご心配なく息子です」
マーサさんが、扉を開けて出ていくと、両手持ちの大きなブラシを持った短髪の人が、作業をやめて、あわててあっちを向いた。
「ナラム!」
「なんだ、母さんか……」
母親の後ろにある僕たちを認めたのだろう、会釈をした。こちらも釣られて返す。
12、13歳位の少年だ。活発そうな風貌だな。
「まあ、またあそこに行っていたのね。掃除は朝にやっておかないと」
そうか、彼は外風呂を掃除してくれていたのか。
まだ、お湯は張っていない。
「今、終わったよ。いやあ、叔父さんにばったり会って、少しで良いから早生の収穫を手伝ってくれって頼まれて……」
彼の背後にある一抱えもある竹かごにマーサさんが寄っていく。
「こんなに……アーキをもらうのは良いけれど、どうするの」
マーサさんが1個実を摘まみ上げた。あれはやっぱり。
「干して、食べられるようにするよ」
「けっこう大変よ」
「だいじょうぶだよ。僕1人でやるからさ」
バケツの水で湯船を洗い流すと、彼はそこから上がって蛇口を捻った。
「じゃあ、ごゆっくり。お風呂は30分ぐらいで入れるようになります」
ナラム君は竹かごを背負うと、そそくさと外風呂を出ていった。
「ああ、すみません。いつの間にか反抗期になっちゃって」
「でも、ちゃんとお掃除してくれて、偉いじゃないですか」
「いえいえ。ではご案内は以上です。居間に戻りましょう。
†
マーサさんは帰っていった。
居間のソファーに座って居ると、なんだろう昔に戻ったような気分になった。
「静かよねえ。だからかな、王都よりゆっくり時間が流れている気がするわ」
「ああ。そうだねえ」
エミリアもそうだった。アデルの感覚は、その辺りが原因なのだろう。田舎では、森が風でざわざわするような音が聞こえていたが、王都はそうではない。意識としてあまり感知はしていないが、人の話声や、馬車の軋り、聞こえるか聞こえないかの程度だが、何かしらの音がしている。暗騒音ってやつだ。
「レオンちゃんは、生のアーキを食べたことがある?」
「いやあ、エミリアにはなかったんだよね。だから食べたこともない」
「そうなんだ。私はあるわ。マーサさんは、柔らかくならないと渋いって言っていたけれど、王都で売っているのはそんなことないのよ。甘みが爽やかでおいしいの。南市場でも滅多に売っていないけれど、見付けたら買って置くから一緒に食べようね」
「楽しみだね」
「うん。私が切って食べさせるから、1人で食べたら駄目なんだからねえ」
アデルは、幸せそうに笑うなあ。
「あはは、了解」
「でも、ここのアーキが渋いのは、どうしてなんだろう」
アーキ。さっき初めて実物を見たが、地球の柿にとても似ている。
渋柿、甘柿、干し柿……芋づる式に怜央の記憶がよみがえってくる。
「怜央が居た地球にも、アーキの実に似ている柿って果物があったみたいだよ」
「カキ?」
「うん」
「そうだね。甘いのと渋い品種の両方があったみたい」
「へえ。じゃあ、ここのもそうなのかな?」
「そこまでは、わからないけれど」
「面白いわね。町に果物を売っている店があったら訊いてみよう。町にはいつ行く?」
町に行って昼食も取りたい。
「アデルが疲れていなければ、すぐに行こうか」
「うん。行きたい。ああ、空を飛んで連れていってくれるとうれしいな」
「もちろん」
「じゃあ、着替えてくる」
いかにも旅行者という服装から、やや軽装に着替えて短い盛夏が支配する町へ繰り出した。
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