245話 調査報告(1) 統計
生産台数とかの過去の統計は良いんだけど、未来予測の外挿はどうかと思うときが。
(週末の投稿はありません)
───アリエス目線
6月になった。
オーナーとともに、南区のモルタントホテルへ再びやってきた。公園前の街路から曲がって裏に回る。ウーゼル・クラン本拠の通用門から少し離れた所で、辻馬車を降りて歩く。
「オーナー、それは何ですか?」
彼の手に提げている物だ。
「ん? スチームアイロンではないよ。ふふふ」
今回依頼された、大型スチームアイロンについては、既にクランへ試作品を納入済みだ。
「いえ、中身ではなくて……」
「ああ。布の方か。これは、南市場の西区画の布地屋さんで買ったけど。東洋ぽい柄だよね」
柄はどうでもいいのだけど。
オーナーは普段とても察しがよいのだけど、まれに的外れに陥ることがある。大抵はご自身に関することだ。オーナーは箱らしきものを、その布で包んで手に提げている。
もう少し訊こうと思ったところで、守衛所前に着いてしまった。
「私、行ってきます」
声を掛けようと思った時に、中からこの前にも会った執事さんが、横から出て来た。
「こんにちは。トードウ商会です」
「お待ちしておりました。ご案内いたします」
オーナーに向き直ると、察したらしくすぐ近くまで来られていた。
建屋に入ると、前回と同じであろう、広い応接に通された。
「やあやあ、レオン殿。新聞を読んだぞ。随分ご活躍だったじゃないか」
満面の笑みで、クランの経営者が出迎えてくれた。
「いやあ。お久しぶりです。バルドスさん」
オーナーも苦笑いで、握手に応えた。
「ははは。まあ掛けてくれ。ん? それは?」
さっきの私のように、バルドス様が布に包まれた物を見咎めた。
「これですか。あとで、ご披露します。楽しみにされてください」
相手が大クランの実質総帥にもかかわらず、オーナーにはものおじがない。
すぐに出してくれた、お茶を喫する。
ひとりの男が、前に立った。この前、クラン内のアイロン開発技術者と紹介を受けた人だ。
「本日の予定でございますが。事前にトードウ商会殿より送っていただいた、そちらにあります、スチーム機能付きアイロンの評価結果を私共よりお知らせします。つづいてトードウ商会殿から、調査結果とご提案について説明をお願いします」
彼は、部屋を見渡した。異議がないことを確認したのだろう。
「では、試作品の評価結果から……」
要約しよう。
スチーム機能により、作業時間はシーツが2割、衣類が3割程度を短縮できた。
ただし、使用時間つまり魔蓄魔石の充填間隔が9割程度に短縮してしまった。
使用感はおおむね好評。深いシワが伸びるようになった。
「説明は以上でこざいます。トードウ商会殿、何かご質問やご意見はございますか?」
「はい。ご評価と詳しいご説明ありがとうございました。大変参考になりました。1点だけ使用時間はより延ばすように改善案は考えております。以上です」
オーナーは、やや機嫌がよく見えるが、それはここに来る前からで、改善されたわけではない。
「そうかね」
「ついては、是非とも技術移転をいただき、私どもで生産をしたく考えております」
バルドス様は、何度かうなずいている。基本的にはこの技術者と同意見なのだろう。
「それでは、トードウ商会殿。よろしくお願い致します」
「代表、資料を」
「はい」
持って来た資料を、同席の重役にも配る。
「では、説明を始めます」
オーナーが語り始めると、皆が資料に目を落とす。
「まずは、調査に時間が掛かったことを、お詫びします」
別に期限を延ばしたわけではないけれど。
バルドス様が、軽く首を振ってくれた。一応理解はしてくれているようだ。
「遅くなった理由について。大変恐縮ながら、私の本業が立て込んでいたこともありますが、率直に申し上げると、この案件の特殊性によるところも大きかったです」
むう。オーナーは遠慮がない。
「特殊性というと?」
さすがにそうなるわよね。
「後程詳しく説明しますが。結論から申し上げると、単純に現在存在するアイロンにスチーム機能を付けるだけでは、ウーゼル・クラン殿のご要望には応えられないということです」
「むう」
バルドス様が、急に厳しい顔になった。
「わかった。続けてくれ」
「では、資料の2枚目を見て下さい。こちらのホテルと、お願いして送ってもらった傘下の別ホテルの情報をまとめたのが、左上の3重円グラフです。アイロンを掛ける従業員を、内側から熟練者、中級者、初級者と分けると共に、対象をシーツ、シャツ等衣類、その他を白、黒、斜線に塗り分けました」
驚いているわね。これをオーナーに見せられたときの私と同じだわ。
「いかがでしょうか?」
オーナーが確認を求めた。
「どうなのかね?」
バルドス様が、確か現場見学に難色を示した人に訊いた。
おそらく、彼が洗濯部門の担当なのだろう。
「数値が、この通りとは申し上げられませんが、熟練者が主にシーツと高級衣料を、中級者がシーツと衣料を、初級者がシーツ以外の寝具を割り当てているのは事実です」
ふむとうなって、バルドス様が腕を組む。
「これをみて推測されることと、前回現場見学の時に聞き込みをした結果をまとめたのが、右の箇条書きです」
シーツ。アイロン掛けの難度は中程度。量が多い、面積が大きいので時間が掛かる。
衣料。難度が高い。失敗が許されない。
その他。おおよそ難度が低いが、点数が多い。
「つまり、熟練者によるシーツ作業の能率を上げるために、スチームアイロンを要望されるというのは、一見理に適っているように見えます」
「ん? 待ってくれ。レオン殿。適っていないと言っているように聞こえるが?」
さすがにそう聞こえますよ、オーナー。
さっきの担当も眉間にしわを寄せている。正面切って、あなたたちは間違っていると言っているようなものだ。
「そうですね……」
オーナーには、まるで悪びれた所がない。自信をお持ちのようだ。ならば、オーナーが正しいに違いない。私が信じなくてどうするのか。
「……理には適っていないかも知れませんが、正しい場合もあります」
「すまんが。理に適わなくても、正しいというのはどういうことか、教えてもらえるかね?」
「難しいことはありません。例えば、単純にそれしか対応できることがない場合です」
「ふむ。他にできることがないか、あるか……ともかくとして、理に適っていない理由とは」
「はい。それについては、次のページへ」
またグラフだ。
円グラフと棒グラフだ。
左は作業者の3種別の人数割合、右は種別ごとの平均賃金とある。
「ご覧になってわかるように、熟練度が高い順に、人数比はおおよそ1対2対4。賃金比は4対3対1です。賃金の一番高い熟練者が、付加価値の低いシーツの作業をされているわけですね」
「むう」
「そっ、それは、その通りです」
目を白黒されている。
「レオン殿。それが、理に適っていないということか」
「門外漢の考えでは、そうなります」
バルドス様が、眉根を寄せて一層考え込んだ。
「反論してもよろしいですか」
「もちろん。どうぞ」
「シーツの作業は付加価値が低いですが、仕事量が多いのです。限られた時間では熟練者がやってくれないと、間に合いません。もちろん理想は、賃金の高い者に付加価値が高い仕事をやってもらいたいですが……」
「反論になっていないぞ。理に適っていなくても、他にやりようがない場合にそのまま当てはまるではないか。レオン殿が言った通りだ」
むう。あれだけ反感を買うと思っていたのに、納得させてしまった。
「ともあれ、大型のスチームアイロンを作りたいという、ご要望につながるわけですね」
「はい」
すこし安心した表情になる。
「それは、有効な対策とは考えにくいのですが」
「どっ、どういうことでしょうか?」
「レオン殿。私もわからない。詳しい説明を……」
「はい。単純な話です。スチームアイロンを使うことでシーツ作業の能率をあげると、より付加価値が下がるわけで。それはどうかということです」
「しかし、熟練者の作業時間が短くなることが期待できてですね」
おっ。オーナーがうなずいた。
「私も、こちらの部屋でお話を伺ったときは、そうなのかと思ったのですが。では資料の3枚目を」
オーナーの語り口に引き込まれたのだろう。資料をめくる手が早い。
また円グラフだ。
「熟練者の年齢割合です。60歳代以上が4割、50歳代が5割、40歳代以下が1割です。つまり、近い将来に、現時点の熟練者の人数が減ります。60歳の方は、好条件を示して引き留められていると聞いております」
「はあ」
「なぜ、高齢の熟練者を引き留めているのですか?」
「それは……」
担当が、バルドス様を見た。
「レオン殿とは秘密保持契約を結んだのだ。包み隠さず答えなさい」
「承知しました。ホテルの拠点数が増えたこともあり、そもそも熟練者の数が足りていません。それから……」
担当者はギュッと目をつぶった。よほど言いにくいに違いない。意を決したのか、数秒たって目を開いた。
「……熟練者となってもシーツ作業に忙殺される様子を見て、中級者の退職者が増えてしまいました」
「そうだったのか」
バルドス様は、別の重役の方を見た。
「ありがとうございました。論うことを言いまして恐縮です」
オーナーが、胸に手を当て会釈した。
「ああいや」
「しかしながら、先程有効な対策と思えないと申し上げたのは、実にこの点です。大型スチームアイロン開発は、熟練者がシーツ作業をやるという点が変わっていません」
「そういうことか。聞いてみると、比較的簡単な事実の積み重ねだが。その層数には舌を巻く。レオン殿は、この点がわかっていたのかね?」
「いえ。具体的な理由はわかっていませんでした。引き留め対策の割には、熟練者の人数比が不自然かなとぐらいに考えていましたが」
「うっ、ふむう。なるほどな。統計を取るのは、外部の有識者がよくやることだが。経験上、取っただけで、あまり役立たないのだがね」
ウーゼル・クランでは外部の意見を、定期的に取り入れているのか。そういった意味では、オーナーが頼まれた大型スチームアイロンですとだけ持って来ていたら、どうなっていただろう。
もしかしたら、幻滅されていたかも知れない。
しかし、オーナーは、いつどこで、この感覚や知見を手に入れたのか? あとで詳しく訊き出さねば。
「ここまで申し上げた所で、恐縮ながら。ご要望の大本を解決するには、短期的な取り組みでは厳しいということです」
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誤字訂正
2025/09/05 誤字訂正(笑門来福さん ありがとうございます)




