241話 発想法(1) 前段
まあ、発想法はいろいろあるんですけどね。
翌朝。
9時頃か。食堂へ行ったが遅いから誰も居ない。1人で用意されてあった朝食を取り、廊下に出た所でリーアさんと顔を合わせた。
うわっ、酒臭い。
昨日、この館から飛び出して、飲み歩いていたのだろう。
床に就いた2時の時点で、感知魔術によると、まだ帰ってきていなかったからなあ。
「おはようございます」
声を掛けると、こめかみを押さえて露骨に顔を顰めた。
「二日酔いなんだ、声を掛けるな」
やけ酒か。それでも仕事をやっているのは、立派……なのか? いや自業自得? ああ、怜央が持っていた概念だ。
「魔術で頭痛を緩和できますけど」
ある種の魔導波を人体に照射すると、代謝が活性化して治癒しやすくなる。ごく初級の治癒魔術だ。効果は小さいが、その分、副作用は少ない。
自分には、身体強化魔術を行使すれば良い。中級と呼ばれる治癒魔術もあるが、平時に使用するには資格がいる。下手に使うとかえって健康を損なうからな。それと、怪我や痛みは良いが、疲労には微妙だ。ざっくりというと明日の元気を今日使う感じになってしまうので、自分の疲労回復に対しては行使を控えている。
「ふん。要らん。飲んだ報いだ」
なんか、ここに来たばかりの頃の反応だな。
「そうですか。いってきます」
「おう」
答えながら、またこめかみを押さえた。
†
トードウ商会へやって来た。会議室に入って、代表と向かい合う。
「ああ、メイド候補のリーアさんのことだけど」
「はい。オーナーがお住まいの下宿のメイドなのですね」
「うん。下宿の大家であるテレーゼ夫人が、僕が退去後に廃業すると言われてね」
「まあ廃業ですか。それで、リーアという方を引き取れということですか。随分虫のいい話ですね」
第三者の立場に立てばそうなるか。
「職務態度はどうなのですか?」
「ああ、その前に。彼女は僕の所のメイドになることは嫌だというか、テレーゼ夫人に付いてゼラーク男爵領へ行きたいそうだ」
「その男爵領は存じ上げませんが……それでは話にならないのではないですか?」
「いや、たぶん夫人は、雇用継続をしないだろうから、リーアさんはしばらく路頭に迷うことになりそうだ」
「おっしゃることはわかりますが、だからと言って、雇う理由にならないと思いますが。それとも、オーナーに特段の事情があるのでしょうか」
たぶん、代表はそのことを訊きたいに違いない。
「代表が心配しているような、男女の関係ではないよ」
ぐっと詰まって、唇を曲げた。
「心配はしておりませんが」
「まあ、ともかくテレーゼ夫人には世話になったから、その希望を叶えて差し上げたいのが第1の理由。あとは、リーアさんとは気心も知れているし、アデルのことも知っていることかな」
「なるほど」
「職務態度は、成人前に、ぐれていたらしいが……」
「ぐれて……」
代表の眉根が寄り、目が鋭くなる。
「今は、改心したみたいだけどね」
いや、テレーゼ夫人に仕えているからか? 別の主人に仕えると変わる可能性はあるな。
「なんだか、怪しいですね」
「やる気になれば……しっかりやっているよ」
「わかりました。では、こちらから接触すればよろしいですか?」
「うーん。今すぐ話を進めるのは、感情面で得策ではないと思う」
それに、彼女に身の振り方をすぐ決めさせるのは忍びない。
「承知しました。時期は別途相談いたします」
「よろしく頼むよ」
「はい。あっ、そろそろ10時ですが」
「では、呼んでもらおうか」
代表が出てしばらくすると、戻って来た。ナタリア、ティーラ、サラ各女史を連れて。
席に着いた。各人は何が始まるのだろうと言う面持ちだが、ティーラさんのみは眉を下げて不機嫌そうな面持ちだ。
代表が口火を切る。
「皆を集めたのは、わが商会で受託しているウーゼルクランからの大型魔導アイロンに関する調査を補助してもらいたいからです」
「質問をよろしいですか、代表」
「ええ。ナタリア」
「魔導アイロンは私も使って居ますが、魔術のことはわかりません。大丈夫でしょうか?」
「大丈夫と聞いております」
「というと、やはりオーナーの発案ということですね」
むう。
「その通りだ」
「あのう」
今度はティーラさんだ。
「それって、私の業務なのでしょうか? 代理業担当なのですが」
なんで、そんなことで動員するんだという感じだ。
彼女は、決められたことや自分で認めたことは進んでやるが、そうでないことは排除したい気質らしい。よくとらえれば、職人気質と言える。
「ティーラには、もうすこし業務の幅を広く捉えてほしいわね。あと普通の業務とは違って、これからやることに貢献が認められれば、給料の他に報奨が出ます」
「「報奨?!」」
サラさんとティーラさんの声がそろって、顔を見合わせている。
「それから、まだこれからの話になりますが、特許や提案に報奨制度を設けようと考えていますので、そのつもりでいてください」
ふむ。
「わかりました」
「では、以降はオーナーに司会をお任せします」
「ありがとう、代表。それから、皆さんも忙しい所、時間を割いてもらって申し訳ない」
皆を見渡すと、サラさんはなんか期待しているようだが、ナタリア、ティーラ両氏は微妙な面持ちだ。
「これから、やろうとしているのは、先程代表が言ったように、魔導アイロンの件だ。既に蒸気が出るスチームアイロンは特許登録されて、商品化されている。それで今回は、ホテルで使われる業務用だ。スチーム機能は投入するつもりでいる」
ナタリアさんが眉根を寄せた。大丈夫って言わなかったかという風情だ。
「ある程度、私も考えている案があるが、それについて何か見落としがないかを確認したい。そこで、皆に協力してもらいたい。難しいことではない。恥ずかしい話だが、スチームアイロンの特許を書くまで、アイロン自体を使ったことがなかった。皆の方がアイロンのことは使っているだろうし、よく知っているはずだ」
皆、ティーラさんも含めてうなずいた。
「では、私がアイロンのことを何も知らないとして……」
「えっ」
「ご存じですよね?」
「まあ、それなりにはね、でも今だけは、知らないという態で、教えてもらいたい」
そう言いながら、60ミルメト角の小さい紙片の束とペンを出す。
「何を、お教えすればよいのですか?」
「うん。まずは、アイロンとは何のための物か教えてくれるかな」
「えっ。さすがにご存じ、いや、知らないという態……ですね」
「ああ、ひとつだけ、決まりがある」
「はい」
「他の人が出した案に文句を言わない。ケチをつけないだ。もちろん建設的な異論は問題ない。できるかな?」
「はい」
皆がうなずいた。
「じゃあ、話を戻して。アイロンとは何のための物かな?」
皆の顔を見ていく。
「決まっているじゃないですか。衣服のシワを取る物です」
「衣服かどうかは決まっていないから布にしよう。布のシワを取る……と。他には?」
紙片に書いた。
「他?」
「他にですか?」
「ああ、布を乾かすことにも使います」
「布を乾かすっと」
「あら、シワ取り以外にもありましたね」
「オーナー。それって一々書いていくんですか?」
「ああ、まずは1枚にひとつずつ書いていく。他には?」
「んんん……」
「まだありますか?」
「そうだ! 布に折り目を付けるのにも使います」
「なるほど。折り目を付けるか」
発言したサラさんが、にやっと笑った。
「他には」
「ああ、ひっくり返して、卵を焼く……いやなんでもないです」
ふーんとなって1分ほど待ったが、他には出てこなかった。
「じゃあ、とりあえずは、これぐらいで」
3枚の紙片ができた。
「これらは、アイロンの機能だ」
「機能」
「役割と言っても良い。次は、これら機能を実現するための手段を教えてくれ」
「手段ですか?」
「そう。例えば、しわを伸ばすための手段だ。どういう手段がある? まあ最初は実在のアイロンを思い浮かべても構わない」
「じゃあ、熱を加えるで」
すこし恥ずかしそうに、ナタリアさんが答えた。しかし。
「あのう。オーナーに訊きたいのですが。こんな当たり前のことをやっていて、意味があるんですか?」
発言者は、ティーラさんだ。
こんなことをやりたくないというわけではなく、表情としては、きちんと理解してやっていきたいようだ。なんとなく僕に似ている気がする。アデルによると、ちゃんと親身になってやってくれていると褒めていた。
「たしかに、現段階はあたりまえだが、それが埋まっていくとそうでもなくなって、整理されていく。それから、これを何巡か繰り返せば……」
「繰り返すんですか?」
「ああ、どんどん難度が上がっていく」
「ふーむ。わかりました」
その後、重み、蒸気を出すと案が出た。
「うん。他には?」
「うーん」
皆が考え込んだ。
「大事なことを見落としていないか?」
「大事なことですか?」
代表が眉を下げた。
「うむ。書いたことに関係がある。書かれた項目だけで、最初の機能が実現できるかな?」
皆は、熱、重み、蒸気と書いてある紙片群と、シワ取り、乾燥、折り目付けの紙片群を交互に見ている。うーむ、死角に入ったかな。
「あっ!」
「サラ、何?」
「ええと、でも」
「別に間違ってもいいわ、誰も文句を言わないし」
「そうでした。でっ、では。平面」
「平面?」
「アイロンの底って平たいじゃないですか。重くても平たいところを押し付けないとしわがのびないかなと」
「「「おぉー」」」
「鋭いな」
「オーナー。正解ですか?」
「そういうことではなくて、意見が合ったってことだ」
何かサラさんが身悶えて赤くなった。変な反応だな。その横で、ティーラさんが首を傾げていた。
「うん。良い感じだね。では前段はこの辺で良いかな」
「えっ、今までのは前段だったんですか?」
「そういうことだ。じゃあ、本題に入ろう」
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