240話 祭りが終わって
祭りが終わった後の寂寥感と言ったら……いやコミケのことじゃないですよ。
(今週末の臨時投稿はありません)
「おはようございます」
「おはよう。レオンさん」
下宿の食堂へ行くと、テレーゼ夫人が既に食卓に着いていた。
「大学祭は大変だったようね」
「はい。何とか」
昨日付のサロメア新報にも、大学祭のことが報じられていたから、定期購読している夫人も読まれて、心配されているのだろう。
振替休日になった月曜日。
そうでなくとも。今年度は研究を大学でやることがなくなってしまっている。
「おはよう。レオン」
リーアさんが、スープを持って来てくれた。
「おはようございます」
3人で食卓に着き、朝食を始めた。
「あのう。夫人」
「何かしら?」
「おとついの夜なのですが、夫人の義理の娘さんであるゼラーク夫人が、ついそこの路地で僕を待っていまして」
夫人が持っていた匙がピクッと震えて一瞬止まった。しかし、すぐ皿に下ろされた。
「まあ。エルヴァさんに」
そうか。エルヴァ・デュ・ゼラークというお名前か。
「はい。僕にお話があるということで、3番街の喫茶店に行きました。もちろん執事さんであろう方々と一緒にですが」
対面のリーアさんがギュッと眉根を寄せた。嫌な話題なのだろう。
「それで、どんな話でした?」
「はい。僕にこの家から退去してほしいとのことでした」
「あの女狐……」
リーアさんが絞り出すように吐き出した。
「念のために、ゼラーク夫人には、僕が7月に退去する予定だとは言ってはいません」
「そう」
対照的に、夫人は特に興奮することもなく真顔だった。続けよう。
「それで、なぜ僕を退去させたいのかを伺ったところ、ゼラーク夫人はおっしゃいました。あなたが持病をお持ちだから、一日でも早く引き取りたいと」
「わかったわ。その話は、食事の後にしましょう」
それっきり、3人は無言で朝食を終えた。
†
食後のお茶を喫しながら、夫人は語り始めた。
「エルヴァさんが言ったことは、本当よ」
「奥様……」
「私は、生まれつき心臓が弱くてね。子供の頃、成人できるかどうかは五分五分とお医者様に言われたの。でも、ここまで生きているから、成人できる方の五分にはなったのでしょう。でも、まれにとても胸が痛む発作を起こしてね、しばらくは動けなくなるの」
そうだったのか。
「ああ、心配ないわ。これまでは激しく動いて負担を掛けなければ、大丈夫だったわ。とはいえ、私も歳を取りましたから、いつ悪化して、再び発作が起こるかも知れないわ。だから、下宿を続けていくのは、もうこの辺にした方が良いと思うの」
「えっ?!」
「奥様!」
「そうなると、この家に住んでいる必要がなくなるわ」
そうだったのか。
やはり、僕が卒業したら、ここを出ていかせる約束をしたのは、そういう理由だったんだ。
もし下宿を続けるつもりで、入居者が必要であれば、内々にキアンさんに相談してみようと思っていたが。下宿を続けないなら意味がない。そうなると、これ以上、僕はこの件に関わるべきではない。
「奥様、だめです。ヤツは、奥様から爵位を取り上げ、それに外聞を取り繕うために、奥様を引き取ろうとしているのです」
なんだって!
「爵位は、あの人が亡くなって5年以上たっているから、既に継承できないわ」
夫人が男爵を継承していないということは、自動的に代替わりできる永代の爵位じゃないわけだ。それでも継承を届け出れば、結構な確率で実現するとは聞いているが。しかし、時間切れか。
夫人、外聞の方は? 否定はなしか。いや……。
「わかりました。立ち入ったことを訊きまして……ごめんなさい」
僕は椅子を引いて、立ち上がり掛けた。
「レオンさん。もう少し話を聞いてくれる」
「はい。でも……」
「いいのよ。レオンさんは、顔は似ていないけれど、優しい所がセザールと似ていたからね。2年間、とても楽しかったわ」
うっ。
「奥様」
「セザールは、かわいそうなことをしたわ。自分が病気で辛いと思ったことはなかったけれど。私に似てしまって、あの子も心臓がね……」
遺伝してしまったのか。
「あの子が18歳になって、初めて発作を起こしたとき、自分自身を呪ったもの。それで、主人も私も、セザールが住んだこの家を残したかったけれど、未練だったわ。レオンさんが巣立っていくなら、この館も役割を果たし終えたのよ」
ああ……。
リーアさんががっくりと肩を落とした。それでも、夫人は淡々と語りつづける。
「そこで、レオンさんに頼みがあるわ」
「僕にですか」
「そう」
「何でしょう」
「リーアさんのことよ」
ん?
「レオンさん。新しい家では、メイドが必要なのよね?」
「はい」
「そのメイドさんとして、リーアさんを雇ってほしいの」
「えっ?!」
「奥様」
「どうかしら?」
「わっ、私は、奥様と一緒に……」
「ゼラーク男爵領ヘ行くというの?」
「もちろんです」
「だめよ。リーアさんを、あんな田舎に連れてはいけないわ」
「しかし……」
「リーアさんは、王都から出たことがないのでしょう? それに、まだ若いのだから、こんなおばあちゃんに仕えていては、ためにならないわ!」
「うぅ。奥様。嫌です!」
リーアさんが、テレーゼ夫人に抱き付くと大声で泣き始めた。
「考えてくれるかしら。レオンさん」
「もちろん」
「良く考えて、返事をしてね」
「はい」
僕は、見てはならぬものを見て、泣き声に追われるように食堂を後にした。
†
部屋に戻ると、トードウ商会に向けて、ファクシミリ魔術を使った。
僕の新居のメイド(掃除、洗濯職種)の有力候補が現れたので、募集については見合わせてほしい。食事を作ってくれる人は引き続き探してほしいと。
数分後、代表から返信があった。その有力候補とは誰ですか? 何歳ですか?
ほぼ詰問だ。まあ、仕方がない。突然だからな。
下宿のメイドである、リーアさん。年齢は……知らないけれど。
「おそらく、20歳代中盤から後半と」
脳内で書いて送ると、さらに1分たたず、ご意向はわかりましたが、その方と直接会って判断すると返ってきた。
うーん。今は会わせるわけにいかないな。リーアさんのことだ。嫌だ。テレーゼ夫人について行くと言って断られそうだ。
どうなんだろうなあ。
気心も知れているし、仕事ぶりも悪くない。
リーアさんじゃなければ駄目とは思っていないが、テレーゼ夫人から頼まれたし、彼女さえよければ、僕としては雇うことに否やはない。
ただ、代表がどう思うか。
リーアさんを雇うことになったとしても、僕が直接雇うことはない。
代表の審査は厳しそうだ。そもそも、メイド候補は年配の人を探すと言っていたし。僕がアデル以外の女性に手を出すとでも思っているのだろうか? 思っていなければ、そんな条件を付けないよなあ。
さて、良い切っ掛けだ。今後はどうするか、しっかり考えよう。
大学ではやることがないが、ターレス先生からは、年度末になってきたので、ラケーシス財団に報告することがあるなら、それを進めておいてくれと言われている。先生方も僕にだけ構っているわけにはいかないのだろう。
週1回くらいは来てくれと言われているので、お言葉に甘えるつもりだ。
それはそれとして、終了はしたけれど奨学金は大いに助かった。ちゃんと財団に義理は果たさないとな。まあ、思いがけず学位論文となったものもあるし、魔導学会用の資料もあるので、まとめ直せば良い。学科長に出すのは6月中旬で良いだろう。あと1カ月ある。
脳内システムのおかげで文章やら図が簡単に流用できるので、もうできているも同然だ。
したがって、しばらくは学業ではなく、商会の仕事に注力しよう。
いろいろ仕事がたまっているからな。
例の件は、代表に任せておけば良いとして、僕がやるべきはバルドスさんというか、ウーゼルクランの案件だな。
大型スチームアイロンの件だ。
秘密保持契約を結んだし、調査費用をもらっているからな。生半可な報告はできない。早めに報告をしたいものだ。だが僕1人の見解だけでまとめるのは危険だ。
今日は何度か目になってしまったが、対策のためのファクシミリを代表へ送った。
†
その日の夕食時、リーアさんは姿を見せず、テレーゼ夫人とふたりきりだった。気になって館内に能動型の感知魔術を放ったが、リーアさんの感はなかった。
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