236話 2年目の大学祭(8) 正体見たり
枯れ尾花と続くわけですが。こういう古めかしい言葉(俳句)は、時代劇とかほぼなくなっているので、接する機会がなくなっているのでは?
誰だ?
馬車の窓から頭は見えるが、さすがに暗くて判別が付かない。
「誰が威圧せよと命じましたか」
瞬時に男たちの接近が止まった。僕が反撃を行使する寸前だ。
「はっ! 奥様」
奥様?
馭者が馬車の扉を開けると、女性が降りてきた。
はっきりは見えないが、たぶん身分の高そうな人が着る衣装だ。視覚をガンマ補正しようかと思った時、雲に隠れていた月の光が差して顔が見えた。
「あなたは」
以前、下宿の玄関で一瞬見掛けた人。
テレーゼ夫人の義娘だ。
「男爵夫人」
「おや。どこかで会ったことがあったかしら? 領民ではないわよね」
まあ、そんな反応になるだろう。あの時もこっちを見てはいなかったし。
「まあいいわ。義母のことで話があります」
「テレーゼ夫人のことですね?」
何だろう? なぜ僕に?
「そうよ。さっきは悪かったけど、手荒なことをするつもりはないわ。その馬車に乗ってもらえるかしら?」
身分を肯定したということは、さほど僕を酷い目に遭わせる気はないようだ。
それに男爵夫人が、自ら待ち伏せするとは、相当な用件だろう。男爵は、大貴族ではないが真っ当な貴族だ。人によっては、平民とは口を利かない貴族も居るらしいからな。そういった意味では、気取らない人なのかも知れない。
「わかりました」
示された馬車におとなしく乗り込むと、まもなく走り出した。
15分程走ると、南区の中心である3番街に差し掛かり、やがて止まった。
東2番か。でかい街路をすこし西に行けば、レオーネがある。
馭者席につながる小窓が開いた。
「着きましたよ」
側窓から外を見る。
「喫茶店?」
誰かに誘われなければ、縁がないであろう店の前だ。
外から扉が開いた。さっきの男たち……ではない別の2人が居て、右を見ると男爵夫人が降りてきた。男たちは店の前で待っていたようだ。
迷いなく店内に入っていくので、僕も続く。
2階に上がって、個室に入った。
「私には、お茶を。あなたは」
「では同じ物を」
ここまで付き合ったのだ、頼んでも良いだろう。
当然だが、普通の格好をした給仕がさがっていった。
「私は、あなたが言ったようにゼラーク男爵家の者よ」
ゼラーク。
「失礼ながら、何とお呼びすれば?」
「奥様とお呼びしろ」
その奥様の背後に並んだ男のひとりが、忌々しそうに命じてきた。
「ふむ。明かりのあるところで見ると、報告にあったとおりの容貌ね」
ああ、そうですか。どうせ、男っぽくない見た目ということだろう。
「ベイター街の館に入って、何年かしら?」
「1年半です」
「そう」
無遠慮にまじまじと僕の顔を見ている。
僕も見返す。まあまあ整った顔立ち、30歳ぐらいだろうか。
話が始まるのかと思ったが、夫人はそれっきり黙り込んだ。
明日のこともあるから、手短に済ましてもらいたいのだが。
10分くらい待ったが、あいかわらずだんまりなので、いい加減焦れてきた。
「恐縮ながら、用件を……」
「失礼いたします」
間が悪かった。扉が開いて、さっきの給仕が入ってきた。
茶器を2客並べ、お茶を注ぐとさがっていった。
「用件の前にどうぞ」
ふむ。
奥様が一口喫したので、僕も続く。
まあまあの味だ。身贔屓かも知れないが、レオーネの方がうまい。
「用件を言いましょう。あなたに、ベイター街の館から出ていってもらいたいのよ。できればすぐに」
単刀直入だなあ。
まあ、下宿の住人に向けて、部外者が言いたいことがあるならば、そういうことだろう。
家賃や僕の生活態度に関しては、この人と利害関係はないからな。それで? 僕が出ていくとどんな利得があるのだろう。
「それは、僕とテレーゼ夫人の話で、あなた……奥様からとやかく言われる謂れはありません」
「貴様ぁ」
いきり立った、執事か家人であろう男を奥様が手を挙げて止めた。
「もちろん、ただでとは言わないわ。引っ越しにかかる費用と、迷惑料を進呈します」
ますますわからない。そこまでする利得はなんだ? それはともかく、7月になったら僕が退去することは知らないようだ。
「理由を聞かせていただけませんかね」
「理由……」
うわぁ。後ろの2人が、僕を思いきり睨み付けている。男爵夫人に向かって、なんという失礼なやつと思っているらしい。この男性たちに恨まれる理由がよく分からないのだが。
それからこの夫人に関係はないけれど、過去のことのように感じるが、王太子妃殿下と話をしたのは今朝だ。だからというわけでもないが、正直自分の領主でもない男爵に言われても、恐れ多いという気持ちが湧いてはこない。
「ふむ。致し方ないわね。理由は義母をわが男爵領に引き取りたいからよ」
引き取る?
「そりゃあ、自分の夫と息子を看取った館ですからね。離れがたいのはわかるけれど」
やはり、息子さんか。
「あの年で心臓に持病を抱えているのだから、自分の身を厭うてもらいたいのだけど」
「はっ。心臓? 持病……」
「その様子は、聞いていなかったようね。そうね、最後に発作を起こしたのは、知る限りもう4年前になるから知らなくても不思議はないわね。疑うなら、義母に聞いてみると良いわ」
どうやら本当のことのようだな。
「だからね。主人が手元に引き取りたいのはわかるでしょう。それと、義母からは、もう一度発作を起こすか、下宿人が途絶えれば、移住すると約束をしてもらっているの」
発作を起こすのを待つよりは建設的だが。
もしかして、テレーゼ夫人が僕に卒業したら出ていけと言うのと、関係があるのだろうか?
「どうかしら?」
「おっしゃることはわかりました。まずはテレーゼ夫人とお話しします」
「そう」
「それと。僕が退去するとしても、奥様からなにかをいただく気はありませんので。失礼します」
僕が立ち上がると、奥様が少しほほ笑んだ気がした。
† † †
大学祭2日目。
今日は、ややゆっくりと9時に大学に入った。すでに正門前には、数百人程度行列ができていた。頭が痛い。去年もこうだったかな。よく覚えていない。あの人たちが全部、僕の展示を見に来るわけではないと思うが。
実演会場である61号棟の大実習室へ行って、状態を確認したが、昨日帰るときと何も変わってはいなかった。その足で、順路を逆流して60号棟に入る。
ジラー研の展示会場を通りかかると、ミドガンさんが居た。
「おはようございます」
「おお。レオン、おはよう。これを見たか?」
新聞を差し出してきた。サロメア新報だ。
「今朝のは見ていないです」
受け取ると、1面の見出しにサロメア大学という文字が見えた。
「うわぁ」
昨日の朝に西門付近で起こった騒ぎの件が書いてあった。
「へえ。やっぱり政治団体だったんですね」
サロメアの颶風ねえ。知らないなあ。そもそも政治団体なんて知らないが。
「ああ。道路使用許可申請は出していたから、普通には捕まえるのが困難なんだが。すぐ横に憲兵隊がいたからなあ」
不敬罪の現行犯逮捕とある。
えっ?!
背後にレクスビー商会が居るのではないか?
同商会は前記団体に資金提供をしており、同商会傘下のベアトリス日報11日付朝刊に書かれた偏向報道へ繋がり、一連のサロメア大学を陥れる意図が見える。
「いい気味だが、運がないな」
運……なんだろうか?
サロメア新報といい、憲兵隊といい、あらかじめ反撃の駒を仕込んであったのではないか?
誰が?
学部長ならあり得る。少なくとも新聞社はそうだろうな。去年の大学祭でも、偉そうな軍人に対抗していたからなあ。
「どうした、レオン」
「いえ。特に」
気軽に口にできる仮説じゃない。
「あっ、そうだ。リヒャルト先生がウチを手伝ってくれるそうです。すみません」
「いや、人徳だ。レオンを放っておけないからなあ」
「ははは。ありがとうございます。朝礼があるので」
「おお、今日もがんばれ」
「はい」
さらに順路を逆流して、重点展示会場に至った。
奥の方が所在なさげにしているが、特に異常はない。
「おはよう」
「おはようございます。先生方」
ターレス、リヒャルト両先生だ。
「おはよう。後で、魔導具の操作を復習させてください」
「はい」
「よし、そろそろ朝礼の時間だ。いくぞ」
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訂正履歴
2025/08/11 誤字訂正(n28lxa8さん ありがとうございます)
2025/08/13 誤字訂正(布団圧縮袋さん ありがとうございます)