23話 先立つもの
若いときはねえ。先立つものがなくても何とか……なんとか。
夕方、商館へ戻ると閉館時間を過ぎていたので、ベガートと彼の部屋で話をした。ウチは卸し主体で、店舗を持つ小売業に比べると、この時間帯の作業は少ない。
「実は。私は王立サロメア大学の経済商学部の卒業生なのです」
ベガートは、経理の仕事部屋を出ると、僕に丁寧な話し方になる。
学士だということは誰かから聞いたことがあったけれど、サロメア大学だったとは。
「へえ。そうだったんですね」
経理で仕事をしているけれど、彼個人のことで僕が知っていることは少ない。せいぜい出自が商家の3男坊だというぐらいだ。あとは、僕が物心がついた頃には、リオネス商会の支配人だったと思う。
そういえば、商家の3男坊という立場は、僕と同じだ。
そうか。彼は自家を継ぐことはなかったが、商人には成ったんだな。
「サロメア大学は、他の王立大学や国立大学と同じで、一般的には7月中旬に試験、8月に合否発表、合格すれば10月に入学です。編入試験というのもありましたが、かなり難度が高いようです」
聞きながら、ノートに書き付ける。
「それで、実は学費の件なんですが。自分で工面できるものでしょうか。コナン兄さんは奨学金というものがあるって言ってたんですが」
「レオン殿。お金の話でしたら、まずは会頭か副会頭に相談されるのがよろしいかと思います」
「うう」
間違いないが。
「ただ、レオン殿の気持ちはよく分かります。私も奨学金をもらって学費に充てましたから」
「へえ。すごいですね」
「いいえ。すごくはありません。確か入学時に1000セシル程度払い込んだ記憶があります」
「1000セシル!」
結構な大金だ。
この前もらった譲渡一時金含めて、ぎりぎりそれぐらいの貯金はあるけれど。払ってしまうと、その後の生活が成り立たない。サロメア大学に入学するなら奨学金を申請するしかないな。
「さっき、奨学金をもらったとおっしゃいましたが、返済は厳しくなかったですか?」
「いやあ、実は返済していないんです」
「えっ、本当ですか」
「私は卒業後、しばらく王都の役人を務めたのですが。まず公務員になると返済延期になり、長く務めると返済は免除になるんです」
「おおう。詳しく教えてください」
「はい。奨学金は、大きく分けて公設奨学金と私設奨学金があります。文字通り、前者は王国政府もしくは領政府が援助する制度です。援助額は多くありませんが、おおよそ全体の半額が無償援助で、残る半額を返済すればよいのです。ただし、私の頃は最低5年間公務員として務めると返済免除になりました。期間は今でも変わっていないかどうか、確認が必要ですな」
5年かあ、結構長いな。
「また後者は、個人や企業が援助する制度です。条件は援助者によって千差万別ですね。おおむね公設よりは、援助額が多く、返済額が少ないものの、学業成績に対する条件が高いですね。まずそもそも、入学時の席次が高くないと成立しません」
なるほど。だけど、なぜ個人が援助するんだろう。
「私設奨学金の援助者には、どんな利得があるのですか?」
「ははは。気になりますか。まあ、知っておいた方がよろしいでしょう。まずは、寄付行為のひとつとして、税の減免措置が得られます。さらに慈善家としての名誉が得られますね。あとは……」
「あとは?」
「被援助者が優秀であれば囲い込む、あるいは一族に編入などといううわさもありましたね。まあ極端な例ですが」
「へえ」
「いずれにしても、試験合格が前提です。サロメア大学の評価は高いので合格すれば、公設奨学金は堅いところです」
おお。
「ですから、まずはそちらを目指されるとよろしいかと思います。ただ、多くの学部、学科がありますから、必要であれば日程や願書、最近の状況や手続きを調べますよ?」
「本当ですか。お願いできますか?」
「承りました。必ず会頭か副会頭に相談してください」
「ありがとうございます」
†
嫌な予感しかしない。
母様の部屋の前だ。扉の前で溜息が出た。
店から奥館へ戻った時に、メイドのウルスラから奥様、つまり母様が僕を探していたと告げられここまで来た。
僕に何の用だろう。
まあ、さっき僕が言い出した、大学の話ではないと思うけれど。
ノックして一拍待ち。レオンですと名乗る。
「お入りなさい」
「ご用と聞いてきましたが、なんでしょう」
「そこにお座りなさい」
長い話のようだ。
「まあまあ。母と話をするのにそんなに警戒することはないでしょう」
むう。母様には隠し事はできないな。
「良い話ですよ。あなたが出願した特許が登録されました」
「おおう」
早かったな。本当に良い話だった。弁理士さんは審査優先手続きがあると言っていたが、その手数料を支払ったのだろう。
「まだ異議申立期間が終わってはいないから、万全ではないけれど、一安心だわね」
「はい」
じゃあ……。
「話は、終わってはいませんよ。全くあなたって子は」
腰を上げるのは、まだ早かったか。
「それで、レオンが作った試作品の一部機能が再現ができないのよ」
おっと、雲行きが怪しくなってきた。
「再現というと、もう職人に作らせたのですか?」
「その通りよ。これからリオネス商会の商品にするのだからね。あなたが、国家資格を取って、商会の専属職人になるというなら別だけど」
今のところ、専属職人になるつもりはない。それはともかく。
魔導具、魔道具、魔石を不特定の客に売る場合は、国家資格を持った職人か、もしくはその職人が主任管理者となっている工房で製造する必要がある。以前工房を見学した時に聞いた話だ。
それに資格を取るには、一般的には数年の実務経験が必要らしい。なんか抜け道もあるらしいけれど。
「はい。ところで、一部というのは何の機能ですか?」
母様は、にぃっと笑った。
見た目はとても品の良い笑顔だが、生まれてこのかた一緒に暮らしている僕には分かる。悪だくみだ。
「請求の範囲第7項、演色機能よ」
ああ、やっぱり。再現できなさそうなところは、そこだよな。
演色機能とは、光の色、つまり色相、彩度、それに輝度を調整できることだ。一般的な魔灯のように白色やら黄色がかった光の色は、怜央の記憶によるといくつかの周波数が異なる光が混ざった色らしい。
市販の魔灯に使われる発光魔石は、光の周波数が違うフィラメント3種を魔導回路と直列につなげていた。それを、僕は並列に変えた。フィラメントごとに流す魔束量を制御することにより、光の色相と光量を調整可能にしたというわけだ。
まあ直列、並列は一長一短だ。おそらく、この魔石の魔導回路を最初に作った人も、分かっていて、太陽光に近付けるだけなら直列で十分と判断したのだろう。まあ、色相は黄色みと青味でばらつきはあるが。
「いや、演色機能は魔結晶の方も厳選しないと」
ちゃんと試作品の説明書に書いたぞ。
「もちろん、レオンの説明書は、私も読んでおぼろげながらに分かっているし、魔石の職人も理解しているはずだわ。これがそのうまく行かなかった魔石よ」
「はい」
魔石を受け取る。
おお、ぱっと見では良さげな材料、つまり高品質な魔結晶を使ったのはわかる。
脳内システムを起動して、魔導回路アプリを立ち上げ、逆解析をかける。数秒後、新しいウインドウが開いて、魔導等価回路が表示された。
フィラメントが相当大きいな。光量がでかい用途らしい……とすると。
「ああ、やっぱり」
フィラメントの各色に対する抵抗値設定値がそのままだ。
もともとの原色フィラメントの体積比がばらばらだったので、それぞれの発光量に影響する。なので体積比が許容範囲に入るよう指示は書いた。しかし、ここまでフィラメントを大きくすると、ゲインの方も調整が必要だ。
「やっぱりって?」
「えっ」
母様の顔からほほ笑みが消え、眉をひそめている。
しまった。
「まさかと思うけれど、魔石を見ただけで、不具合の状況がわかった訳じゃないわよね」
「ううっ」
「はあぁぁ。あなたの部屋には職人が使うような拡大鏡や、道具類が見当たらないのはどうしてなのかと悩んでいたのよ。でも大体わかったわ」
「黙って、僕の部屋に入ったのですか?」
「あらっ、親が子供の部屋に入って何が悪いのかしら?」
まったく悪いとは思っていなさそうだ。
「レオンがリオネス商会の出入りの職人とは違って、魔術だけで魔石を作ることができるというのは聞いていたけれど。魔石がどうなっているか、見ただけで判断できるとはね」
ばれた───
「その顔。あなたって子は本当に」
「ううう……」
「まあ、いいわ。職人が、試作品を作った者に会わせてくれというけれど。おおっぴらには無理ね」
まあいいわって。
「あのう」
「何?」
「それで終わりですか」
「ええ、そうよ。レオンのことで、いちいち驚いていたら身が持たないわ」
「はあ」
「そもそもね。人と違うことは何も悪くないことだわ。それが一部でも優れていると思えるならば、なおさらよ。専門の職人ができなかったことをやれるのは異能。異能者を常人の枠に押し込めるのは害悪でしかないわ」
おおおぅ。
「黙っていたことを、怒っては?」
「まあ、正直なところ、少しはあるけれど。誰にだって、人には話せないこともある。家族にだってね。いいわ。職人には会わせられないけれど、レオンが気が付いたことを、丁寧に紙に書いて、まあそれが何回か往復するかもしれないけれどね。それと、とりあえず、12個魔石が要るの。元の魔結晶はすぐに用意するわ。いつまでにできる?」
「12個ですか。じゃあ、あ……」
「あっ、って何よ。あさってとか言わないでね」
いや、明日って言おうと思ったんだけど。
「はぁぁ……レオン。廊下やホールの魔灯を作った時に結構無理をしたのを知っているんですからね。何をやっているかまでは知らないけれど。それに、他のこともちゃんとやらないと駄目よ」
「じゃあ、月曜までに」
5日ある。
「急ぐより、ちゃんと不良が出ないようにするのよ」
「はい」
ふーむ、よほど大切な納入先に違いない。
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訂正履歴
2023/10/21 公的奨学金→公設奨学金,誤字訂正
2024/03/24 誤字訂正(1700awC73Yqnさん ありがとうございます)
2025/04/02 誤字訂正 (cdさん ありがとうございます)
2025/04/09 誤字訂正 (布団圧縮袋さん ありがとうございます)