224話 画家の代理人
代理人とはちょっと違うかも知れませんが、絵があるからゴッホとタンギー爺さんの関係とか、印象派を支えたパトロンは有名ですね。
「画家ですか? オーナー」
トードウ商会に来た僕は、会議室で代表とティーラさんと向かい合った。
イザベラ先輩の代理人の件を相談しに来たのだ。
「よりによって、画家とは」
ティーラさんが、額に手を持って行った。
やっぱり難しいか。
先輩には画家の代理人までできるかどうかはわからないので、聞いてくると保留気味にしたのだが。
「普通に財務としての代理人はできますが、制作企画の方はむつかしいですねえ。専門性が高いんですよ。それに、作品の取引は人脈がないと」
ティーラさんが遠慮なく答えた。ラナ先輩と同じことを言っている。
だめか。
まあわかる。価格が高い商品の商売は大体そうだ。価値と価格が比例しないからだ。価値が高くなるほど、わずかな価値差に対する価格差が大きくなる。一般にはそれを希少価値と呼ぶのだが。
ともかく専門外の人間が、そんな線形性のないものを判断するのは困難で、目利きという存在に委ねざるを得ない。つまり、あの人が言うのだから正しい値付けなのだろう、損はしないだろうと期待というか信用が必要になる。だから人脈が大事なのだ。母様が、外商を担っているのはそういうところだ。
「あのう。私、前職で財団の文化財管理と芸術家支援業務をやっていた時期がありますので、人脈の方はそれなりにあります。ただ、売る側ではなく、買う側でしたが」
「ええ、聞いていないですが」
僕も聞いていない。
そういえば、美術館によく行くって言っていた。実際に、王立美術館でも会ったしな。
「とはいえ、さすがに制作企画は厳しいですね」
むう。
「ところで、画家というのはどなたなのですか?」
言っても大丈夫だよな。
「ウチの大学のイザベラって……」
「サロメア大学、イザベラ? はぁ、蒼のイザベラ!」
うん。
「そうだけど……えっ、何?」
ふたりとも興奮したように、立ち上がった。
「知っているんだ」
「知っていますよ」
「私でも知っています」
やっぱり有名らしい。
「しかし、同じ大学と言っても……あっ。麗しの君!」
代表が僕を指す。
「しっ、失礼しました。いやあ、似ていると思っていましたけど。やっぱりそうだったんですか」
「はっ、代表。麗しのって、なんです? 教えてください」
「ああ、そうね。冬にあったサロメア芸術展、絵画部門金賞をそのイザベラさんが受賞したのだけど。受賞作の絵が、麗しの君よ。描かれた天使が、オーナーそっくりなの。なるほど、そういうことだったんですね」
何か合点がいったようにうなずく。
「違わないけど」
「はぁ、大物が来ましたね」
「大物なんだ」
きっと、睨まれた。
「サロメア画壇の若き旗手と言われていますからねえ」
絵に関してはすごい人だと、素人ながらに思っていたけど。
「でも、変ですねえ。蒼のイザベラならば、代理人のなり手なんか、いくらでもいるんじゃないですか?」
「ああ、代理人候補が居たけど、折り合いが悪くなったそうだ。その人が、結構大手の画廊の人らしい」
それで、他の代理人が二の足を踏んでいるわけだ。
「あぁ……」
「それもあって、女性を代理人にしたいって言っていた」
「だからウチって、ことなんですね」
「そうだね」
「うーむ。美術の専門家が居れば、なんとかなるんですが……」
†
───ラナ視点
4月も下旬に入って、だいぶ日が長くなってきた。春の夕暮れに吹く風が心地よい。
おとつい。私がぼそっと言った代理人のことで、レオン様の商会、トードウ商会というところに来た。今日はイザベラちゃんの話なんだけど、まあイザベラちゃんは、芸術家にしばしば居る、他人との意思疎通がおそろしく苦手な質だ。自分が認めた人以外は、なかなかひどい扱いをする。
せめて、代理人を決める手助けをしてあげたい。
もう授業もないし、隣にいらっしゃるレオン様に会えているからいいけれど。
それなのに……。
「イザベラちゃんが来ませんね。レオン様」
なんで、来ないんだろう。誰かとケンカをしていないだろうか。
おかしいな。レオン様の誘いなら、どんな用があっても来るはずだ。なんなら数時間前に来そうなものだが。
「すみません。アリエスさん」
レオン様の隣に立っているのは、トードウ商会の代表だそうだ。さっき紹介された。顔が、かなり似ているから親戚に違いない。
「いいえ」
馬車鉄が過ぎ去ったが、イザベラ先輩は降りては来なかった。
「中に入っていましょう」
「いいえ、私。来るまでここで待っています。おふたりは入ってください」
ふぅとレオン様が嘆息した。
「すみません。うそをつきました。イザベラ先輩は来ません」
「はっ?」
「今日お呼びしたのは、ラナ先輩だけです。そのまま伝えても来ていただけない気がしまして」
ひとりだって知っていれば、逡巡したのは間違いはない。
「それは……そうですけど。でも、なぜ私だけを?」
「イザベラさんに話をする前の方がいいと思いまして」
どういうことだろう……まさか?!
いやいや。無用なときめきだ。あの2年のベルティアさんとか、クラウディアさんとかのすごい美人と仲良くしているのに、わざわざ十人並み以下の私をどうこうしようなんて考えるわけもなかった。
それよりも……イザベラちゃんが来ないのであれば、待っている意味はない。
「わかりました」
建物の中に入ると、いかつい男の人が階段の前で威嚇していたが、代表が何かを見せるとどいてくれたので、階段を上がった。
「ここです」
扉にトードウ商会と書かれていた。
†
会議室に通された。
事務所には他に女の人ばかり3人居たけれど、そこからひとりが合流した。ティーラさんという人だ。
「本日、来ていただいた理由ですが」
「はい」
代表だ。
「ラナさんには、大変失礼なことを申し上げるかもしれません。しかし、オーナーのお考えですので」
さっき説明されたが、オーナーというのはレオン様のことだ。何語なんだろう。知らない単語だ。
「ああ、いえ。考えというのは?」
「実は、イザベラさんの代理人を当商会で引き受けるには、足りていない人材があります」
「人材」
「当商会は財務代行には強いと自負しています。また、私が某財団に居るときに、芸術家支援事業を担当していましたので、業界に人脈はそれなりにあるのですが。画家の代理人はそれだけでは成れません」
そう。代理人は後援者という意味もあるが、販売斡旋、展示会の企画・手配・運営、そもそも作品制作の企画もやってくれると、イザベラちゃんのような新人には良いだろう。
だから、共通して美術の知見がないと厳しい。したがって画廊の経営者がよく成るのだけど。でも、ああなってしまうと。激しく口論する光景を思い出す。
気難しいからなあ、彼女は。決裂原因の何割かは彼女が悪かったと思っている。
もちろん、レオン様が代理人だったら、ほとんどのことは唯々諾々としたがってしまうだろう。けれど、それは誰のためにもならない気がする。
「そうですね。やはり、絵画自体に詳しい人でないと難しいですよね」
ああ、レオン様が提案してくれたけど、だめだったってわけだ。
なるほど。私への用とは、イザベラちゃんを傷つけずにやんわり断るという役割だ。だから彼女自身は呼ばなかったのか。さすが、レオン様はお優しい。
「意見が合ったようで、うれしいです。ところで、ラナさんは今年度でサロメア大学を卒業されて、故郷にお帰りになるという意向だそうですが」
「えっ、ええ。そのつもりですが」
なぜ、私のことを話題にするのだろうか?
「失礼ながら故郷とは?」
そういえば失礼なことを言うとおっしゃったけど。何が失礼なのだろう。というか、ここに来てから、ずっと話がよく分からないことばかりだ。レオン様がいるからぽぅとなっているだけじゃないようだ。
「あの。ラデン伯爵領都のラデーヌという町です」
「ああ、ラデーヌですか。一度行ったことがあります。こう言っては何ですが、それほど大きい町ではないですね」
「その通り……ですね」
土地は広いけれど、人口が少ない。
「立ち入ったことを訊きますが、ラデーヌに戻って画家を目指されるのですか?」
本当に立ち入ってきた。しかし、それを訊いてどうするのだろう。
「4年間でわかりました。画家としては、生きていけるとは思えないので、家業の工房の手伝いをしようかと」
「それは、必ずしも悪くはないとは思います」
「はあ」
「でも、ラナさんは、それをしたいのか、それともそうせざるを得ないのか。いずれでしょう?」
うわっ。
言葉は優しいけれど、本質を突いてくる。
「はぁ……」
「代表。ちょっと。言葉が過ぎるよ」
「はい。申し訳ありません。ラナさん」
「いいんです。正直、後者です。王都で食べていくだけなら、何とかなるかも知れません。ただ、画家でなくても、美術に関わる仕事は狭き門なのです。故郷に帰れば、美術ではなく工芸ですが、工房でやることはあるので」
レオン様が、眉根を寄せている。ああ、言わなくても良いことを言ってしまった。未練だわ。
「でも。今日はイザベラちゃんの話ですよね。なぜ私のことを訊くんですか?」
「それが、最初に申し上げた失礼な話なのですが。回りくどくなって済みません。イザベラさんのために、ウチの商会で働いてみませんか?」
「えっ、ん、ん?」
「画家の代理人をするために足りない、制作者としての知識と企画力を発揮するための人材になっていただけませんかという話です」
ああ、そういう話か。疑問が消えて霧が晴れていくようだ。いやでも。
「おっしゃることはわかりましたが、私に務まるかどうか?」
「先輩」
えっ、レオン様。
「去年、執事喫茶の看板を作ってくれましたよね」
「イザベラちゃんと一緒にですけど」
「あの図案は、先輩が考えてくれたんですよね。茨を描いたのはイザベラ先輩でしょうけど」
そう。あの看板の肝はそこだ。私が描いていれば、あそこまで生き生きとした勢いは出なかったろう。
「そうですけど」
「あのイザベラ先輩を協力させて、形にさせた手腕はご自分では評価しませんか? イザベラ先輩は、ラナ先輩の実力を買っていますよ」
「もし、私が断ったら、こちらがイザベラちゃんの代理人になるという線は?」
「卑怯な言い方になりますが。私どもで、できないことを引き受けるわけにはいきません」
「わかりました。少し時間をいただいても良いでしょうか?」
「もちろんです。ラナさんの将来にとって重大なことですから。よく考えてください」
レオン様も、目をつぶって深くうなずいた。
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訂正履歴
2025/07/13 誤字訂正 (布団圧縮袋さん ありがとうございます)