222話 陥りがちな罠
今までそれで良かったからって,思考停止するときが……
注:今週末の臨時投稿はありません。
夕食を取って自室に引っ込んだすぐあと、マギフォンが掛かってきた。
「やあ、アデル」
『うん。レオンちゃん』
「今日はちょっと早いね。何かあった?」
まだ8時になっていない。いつもは大体9時過ぎに掛けるし、掛かってくる。
『あったわよ』
なんか少し機嫌が悪い。
『ティーラさんが楽屋にやって来て、レオンちゃんが転居先を決めたって』
「いや、決めていないよ」
『えっ?』
「アデルが良いならば、ここでも良いかなとは言ったけど。代表に」
『でも、そこだったら、私とは別の家になるのよね。なんでよ! 一緒に住みたいって言ったでしょ……もう』
感情が爆発している。ティーラさん、中途半端な情報を伝えたな。
「違うって」
『じゃあ、どういうこと?』
窓の外を見る。明るい月の夜だ。
「そうだね、現地に行ってみよう」
『えっ?』
†
彼女の部屋に行ったら、ふくれ面だった。
「言い訳したってダメなんだから。レオンちゃんは、私と一緒に住みたいの? 住みたくないの?」
「住みたいに決まっているよ。でも、どこでも良いって訳じゃないよ。アデルは俳優なんだから、結婚前に男と同居していると知られるのは外聞が悪すぎるでしょ」
「それは、そうだけどさ」
唇を尖らせているが、だいぶ機嫌が戻って来た、あと一押しだな。
「それで、代表が考えてくれたのさ」
「アリエスさんが、何を?」
「説明してもわかりづらいから、現地に行こう。空から行くから」
「えっ?」
†
「ふわぁ。空を飛ぶのは久しぶりだわ。すごく気持ち良い。あぁ。でも、家のことは別なんだからね」
「着いたよ」
空というよりは、空中だ。高度で言えば100メトもない。夜だが、もちろん光学迷彩は行使している。
「えっ。もう着いたの?」
「場所は聞いていなかった?」
「別の家だからって聞いたから……」
まったく直情径行だなあ。
住む所が僕と別と聞いて、その後の話が耳に入ってこなかった、そんなところだろう。普段は冷静で理知的なのだが、時折我を忘れるところがあるよな。
「ここって、どの辺り?」
「うん。南区と東区が接している辺りだよ。南東外区ってところ」
「外区なんだ」
「まあ、南西外区に比べると治安は良い方らしいけどね」
「ふうん」
月明かりに浮かぶアデルは思案顔だ。
「今の家と近いことはいいけれど。やっぱりレオンちゃんと別の家は嫌なの」
「まあ別の家ではあるけどね。その家が、僕が住んだらどうかって勧められている家」
「うん。思ったより大きいわね。十分2人で住めるわ」
「確かに大きいんだよね。それで、アデルの家にしたらどうかって言われているのが、そっち」
「えっ、ここなの?!」
驚いた顔は少し幼く見える。
「だから、中庭を挟んで両側の家はどうかって」
「えっ、ええ? お隣同士ってこと?」
「そうだね。面している通りは逆側だから、玄関は反対側だね」
顔がぱぁと明るくなっていく。
「ちょっ、ちょっと待って、もしかして庭を通って行き来できるってこと? それに庭は他の家に囲まれて、外から見えないわね?」
アデル自身が、行き来する気が満々なんだが。
「そうだね」
「じゃあ、ここにする」
「はっ?」
「ここに決めようよ。レオンちゃん」
「ここで、いいの?」
「だって、こんなに良い所は他にないよ」
いきなりアデルが乗り気になった。
たしかに、こういう土地の形の確率は低い。さらに言えば、両方が売り出されている条件を加えると、無二に近いだろう。
「わかった、その前提で。とにかく、ちゃんと間取りは確かめないと。住んでからだと、いろいろ面倒くさいよ」
「はぁい。あなた」
あなたって。
「どうしたの、そんなにおどろいて。だって、一緒に住んだら私たち夫婦でしょう?」
「夫婦か」
「ひとつお願いがあるわ。雨風に邪魔されないように、行き来できるようにして欲しいなぁ」
「考えておくよ」
「うれしい」
† † †
大学祭実施日が近付いて来て、展示品の準備が佳境を迎えていた。
≪操鏡・交弦掃引 v0.5 1:1≫
黒い壁に緑の光線が、円を描いた。
良い感じだ。かなり真円に近く見える。
固定器から迸った純粋光を、発振用とは別の魔導鏡に入射させている。その魔導鏡は純粋光を反射しているのだが、鏡面が3次元的に振動しているので、反射した純粋光の向きが変わる。振動の向きとしては、縦は正弦波、横は余弦波となるように制御しているので、変角周期を最大変角と一致させると、純粋光の軌跡は円となる。
思い通り純粋光光軸を動かすためには、専用の可動魔導鏡が必要になるまでの認識があった。しかし、鏡面の反射角制御は、地球でも前例が多数あるから難しくはない。僕は、愚かにもそう思っていた。
なに、大したことはない。簡単なモデルだ。
軸ごとに回転系運動方程式を解けば良い。微分方程式を積分形にするだけ。いつもの手段だ。難しく聞こえるかも知れないが、全くそんなことはない。シムコネの得意技だ、当たり前のように用意されている積分ブロックを配置して、2重ループを組めば簡単にモデル化できる。
そう思っていた、10日程前の僕を殴りたい。
いろいろ材料が集まってきて、じゃあ、モデル化を始めようとなった5日程前、ふと気が付いた。
モデル化は出力を角度として、角加速度と角速度の段階を作って、慣性モーメント(質量と回転半径2乗の積の合計)と粘性摩擦とを、それぞれ乗算すれば……あれ?
魔導鏡の慣性モーメントって、いくつだ? 質量がないから慣性モーメントは0では?
血の気が引く。おそるおそる、乗数ブロックに入力すると……当然エラーだ。
方程式が立てられない。
トルクは、角加速度と慣性モーメントの積だ。
仮に誤差程度に小さい値を設定したとしても、少しでもトルクを加えようものなら、異常に加速してとんでもない角速度になる。
システムが全く安定しない。
制御として致命的だ。
物理でもそうだ。そもそもどうやって実体のない魔導鏡にトルクを印加するのか?
ああ。なんて僕は愚かなんだ。
間抜けな制御屋が陥りがちな罠だ。勝手にハードウエアをわかった気になって、モデル化し始めて行き詰まる。今回は自分で気が付いたけど、よくあるのはメカ屋さんに、何? そのモデル。現実と違うよと指摘されて愕然とするやつ。
絶望した僕は、恥ずかしさのあまり、下宿に帰ってふて寝した。
地球では下手の考え休むに似たりと言うらしい。
次の日、つまり4日前。一晩寝て落ちついた僕は考え直す。
魔導鏡の角度微調整は今までも等価的にやっていたことを思い出したのだ。
魔導鏡の有効寿命はごく短いので、毎度魔導鏡を生成して、諸元を変えていた。つまり存在する鏡の角度を変えるのではなくて、都度違う角度の鏡を用意するのだ。
要するに、そのままで良いのでは?
そう。魔導鏡の角度を変更するときは、全部でこれをやるしかないのだ。
なんとかなったと思ったが、そう簡単には行かなかった。演出によって魔導鏡生成の角度ばらつきが無視できなくなった。まあ光軸が動いているときは、ごまかせるが、ぴたっと止まったときはそうもいかない。ゆらゆら揺れられたら様にならないのだ。
それも2軸のPID制御では結局うまく行かず、鏡面ごとに6軸制御が必要となったおかげで、やるべき制御があっという間に膨れ上がっていく。
しかし、僕には脳内システムがあり、シスラボ・シムコネが動作するのだ。
いやあ、楽しい、楽しい。久しぶりに数日徹夜しそうな勢いで制御モデルを作り上げた。
われながら難儀な性格だよな。制御が困難であるほど燃える。そしてできたときの達成感が段違いだ。
うん。魔道具や魔導器作りも楽しいのだが、やっぱり制御の比じゃない。神様に頼んでくれた怜央に感謝だ。
≪操鏡・交弦掃引 v0.5 5:6≫
軌跡がまるで編み物の目のような図形に変わる。四角い範囲の中に波が折り重なって複雑に見えるが、実は変角周期を短くしただけだ。
よし。あとは、どんどん動きの制御モデルを増やしていくぞ!
それから角度掃引のモデルができたので、純粋光の光条を見栄え良く見える演出類型をいくつか作った。そして、今日。大学の60号棟のとある教室で実験を始め、おおよそ思った通りの動作を確認した。
基本のしくみはできたけど。
問題は……学部長からレオン君の思った通りで良いよと言われたけれど、横に立っていた学科長が眉根を寄せていたことだ。
やり過ぎると、公金を使って何を作っているんだと言い出す官僚も居るらしいからな、程度を弁えないといけない。どの程度に収めるかは誰かに見せて反応を見てからだ。
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訂正履歴
2025/07/04 誤字訂正(コペルHSさん ありがとうございます)
2025/07/16 61号棟→60号棟