203話 税理士
税理士。士業のなかでも縁遠いですねえ。
この投稿以降、火曜日、金曜日の投稿にしたく思います。よろしくお願いいたします。
アデルの部屋に泊まった次の日。
下宿には午後から帰ることにして、それまではゆったりと過ごすことにした。
「えっ、レオンちゃん。なんか作ってくれるの?」
朝食と昼食の間だけど。2人で並ぶにはちょっと狭い台所に、僕も立った。
「作るっていうか、簡単な物だよ。料理ではなくて野菜用の調味料ね」
「あっ。なんか思いだしたのね、楽しみだわ。時間が掛かる?」
「いや、そんなに掛からないよ。10分位かな」
「道具は何を使う?」
「ボウルと泡立てるなにか」
「じゃあ、ボウルは、これを。はい、泡立て器」
無鉛の錫線を曲げたものを束ねた、お高いヤツだな。
「ありがとう。えっ、アデルも見ているの?」
「もちろん。作り方をしっかり覚えるから」
材料は用意してきた物を出庫する。
「へえ。卵、塩、蜂蜜に……これは?」
「お酢と綿実油」
「わかるような、わからないような組み合わせね」
「そう? じゃあ、始めるよ」
いや、拍手は良いから。
「まず、卵を割って塩とお酢を、まずはこれの半分位を入れる」
「ふむふむ」
「今日は全卵を使うけど、黄身と白身のどっちかだけでも良いらしい。そしてしっかり混ぜる。これがコツだから」
「おぉ……」
数分混ぜた。
「白くなってきた」
「そうしたら、また油を少し入れて、混ぜる」
それを数回くりかえした。途中で酢も加えて混ぜた。
「できあがり」
「ええ。本当に簡単だったわね。ふーん、とろとろだね。これは、見たことはないわ。味見して良い?」
アデルの手には、既に匙が握られている。そうか見たことがないのか。
「どうぞ」
「ふふん」
うれしそうに匙で掬うと、麗しい口へと運んだ。
「えぇ。なにこれ? おいしい。なめらかだし、全然酸っぱくはないけれど、爽やかだわ。なんて名前?」
「マヨネーズっていうんだ」
「ふっ、変な名前。だけど、良いわねえ。野菜だったら何にでも合いそう。いや。野菜だけじゃなくて……色んな料理に使えるわよ、きっと」
「そうだね。確かに地球でもそうだったよ、アデル。喜んでくれてうれしいけれど。お腹空いた」
「あっ、そうね。待っていて、すぐ作るわ」
アデルが卵を焼いている内に、僕はキュウリやニンジンを細長く切った。
食卓を囲む。
僕が、長細く切ったキュウリをつまんでマヨネーズに付けて食べると、アデルも真似をした。目を大きく見開いて、うれしそうに顔を振った。
「最高! いやあ、これだけの手間で、こんなにおいしいとは。地球人はすごいわね。それと。レオンちゃん、ありがとう」
「そうだね。あれっ」
「ん、どうしたの? レオンちゃん」
「あ、いや。代表から返信が来た」
「んん? ええと……」
さすがに何を言っているかわからないか。手を宙にあげると、どこからともなく紙が、手の中に湧いた。
「はい」
「えっ、読んで良いの?」
「いいよ」
「ええと。親愛なる代表へ。税理士に心当たりはありませんか……これってレオンちゃんの文字よね、何時書いたの?」
「さっき、ベッドの中でね」
手で書いたわけじゃなくて、脳内システムで文を作って送った。
書いてはいないが、僕の文字を取り込んで、よく似た字形を作って、ゆらぎ処理をしてあるから、あたかも僕の肉筆のように見えるはずだ。
「んん、どこでかは、あとにしよう。貴姉もご存じのアデレード嬢が探しています。週明けで結構ですので、回答をください。ああ、これで訊いてくれるんだ?」
「いや、もう訊いた。返信が来たって言ったよね。下の方も見て」
「えっ、ああ、ここね。あれ? 字が違うわ。オーナーへ。これって、レオンちゃんのことよね」
「そうそう」
「ふぅん。本日商会に出ておりますので、よろしければ午後にでもお越しになりませんか? アリエス。これって?」
「僕の送ったファクシミリ……魔術で送った紙に、書き足して代表が返信したってことだよ。休日はちゃんと休んでほしいんだけどな。あれ?」
アデルが頭を抱えている。
「なんていうか、いろいろありすぎて。まっ、まあ。レオンちゃんの言うことだから信じるけれど。それはそれとして、アリエスさんだけ、ずるい!」
「えっ?」
頬を膨らませている。
「だって、こんなしくみがあるなんて」
「ははは。仕事だよ。それに」
彼女の左腕に填めた、バングルを指す。
「あっ、そうか。ごめん。そうだったわ。私とだけよね、レオンちゃんとお話しできるの」
「ご理解いただけて幸いです。あははは。でも、変だな」
なんか引っ掛かる。
「何が?」
「なぜ午後なんて、そんなに急ぐ必要が? 税理士さんに心当たりがあるのかな」
「そうかも。私も付いて行って良い?」
「あぁ、うん」
†
昼過ぎ。すこし変装したアデルを連れて、トードウ商会へやって来た。
その玄関で守衛さんに見咎められた。入構許可証を見せる。
「お疲れさま。この人は連れだから」
「はい。どうぞ、お通りください」
訝しそうにアデルを見ていた。
階段を昇って、事務所を魔導感知する。サラさんはいないようだ。好都合だな。
ノックして、事務所に入る。
「代表?」
彼女の机の方へ呼びかけると、何か食べていた。
「オーナー。いらっしゃ……アデレードさんもご一緒だったんですね」
「あっ、昼食中だった? 僕たちは会議室で待っているから、ゆっくり食べて」
「いえ。今、食べ終わりましたので。少々お待ちください」
アデルは、事務所をキョロキョロと眺めている。
2人で、会議室に入って座る。
「へえ。商会ってこういうところだったんだ。意外と」
「地味だよね」
ソファーとかテーブルとか値踏みするように見ている。
「うっ、うん」
「お待たせ致しました。オーナー、そちらではなく、こちらに座ってください」
「あぁ、うん」
「どうぞ」
アデルの横から立ち上がり、代表がお茶を出してくれている間に、扉に近いソファーに座り直す。
「アデレードさんにお越しいただいたので、話が早くなりました」
「どういう意味?」
「結論から申し上げますと、アデレードさんの財務管理を私どもの商会でやらせていただきたいと考えております」
「はっ?」
アデルも、理解が追い付かないのか、何度か瞬いた。
「いやいや、アデルは俳優だよ。そんな管理なんて、商会にできるの?」
「管理させていただくのは、財務だけです。したがって、歌劇団との演劇に関する折衝や運営の協力などは当面行いません」
当面ね。まあ、でもそうか。財務だけなら技術的にはできるか。
「しかし、そんなに人手が取れるの? ほら、代表が休日出勤するぐらいだし」
「出勤しているのは、趣味なので」
「休日は休んでほしいんだけど」
「その件は、後程」
「あっ、うん」
「人手の件ですが、確かに最近は一時的に足らなくなる場合もありますので、もしアデレードさんがご契約くださる場合は、人員を増やす切っ掛けにします」
いや、足りないなら増やしてもらいたいんだけど。思っていた以上に売上は立っているし。
アデルがふぅんと笑った。
「財務管理ってどういうことを考えていますか? 税理士さんと同じ?」
「税理と、それ以外は……ある程度のお金を預けていただければ、諸般の出金を代行いたします。それと、歌劇団と年俸交渉があれば、代理交渉もお請けいたします」
「ふーん。いいわね。あと私には付き人が居るんだけど」
ユリアさんか。
「お望みであれば、そちらの方は、当方で雇用することとし、給与支払いや福利厚生を実施します」
「おぉぅ……」
アデルが僕を見た。機嫌が良くなっているから、これは結構乗り気になっているな。
まあ代表は一応親戚だから、アデルも信用できるだろうし。
「ちなみに、去年分の確定申告ってお願いできるの?」
期限はあと1カ月弱だ。
「もちろん。対価はいただきますが」
「フンフンフン……」
上機嫌になっている。
「まあ、財務を見てもらうと、私のことが丸わかりになるけど。アリエスさんはレオンちゃんのこともわかっているから、気を回さなくて良いし、悪くないかも」
「もしよろしければ、教えてください。歌劇団とどのような契約になっているのでしょうか?」
話が佳境になってきた。
「えぇと。専属契約は入団から4年で、あと3年残っているわ。それまでは、観客数なんかの成績に応じて自動的に年俸が決まるしくみね。一時金も出るけれど。あと物販については別途交渉ね。収入は……」
「ああ、ちょっと待って。僕は席を外すよ」
「別に良いわよ。そこに居て」
腰を上げかけたら止められた。
その後、具体的な金額が飛び交っていたが、意外と儲けているなあというのが感想だ。
「なるほど、わかりました。基本的に年俸代理交渉は数年間なしですね。では、私どもへの報酬の件ですが」
「うん」
「アデレードさんの総収入の2分でいかがしょうか?」
「ふーん。2分ねえ。レオンちゃんは、どう思う」
「えっ、いや。僕は、この商会の株主だから、なんとも」
「オーナー、そこは強力に勧めていただかないと。うふふふ」
結局、去年の確定申告は格安で商会が代行することになり、以降はアデルが前向きに考えることになった。でも契約することになるだろうと思っていたが、後日そうなった。
お読み頂き感謝致します。
ブクマもありがとうございます。
誤字報告戴いている方々、助かっております。
また皆様のご評価、ご感想が指針となります。
叱咤激励、御賛辞関わらずお待ちしています。
ぜひよろしくお願い致します。
Twitterもよろしく!
https://twitter.com/NittaUya
訂正履歴
2025/05/20 誤字訂正(げろるどさん、n28lxa8さん、布団圧縮袋さん、1700awC73Yqnさん ありがとうございました)