190話 忍び旅(10) 公開技報
じゃあ、公開技報にしましょうと、知財担当に言われるのは辛かった。遠い目。
「ううぅぅぅ、あぅ……はあ、はあ……」
アデルにしばらく重なったままでいると、彼女の呼吸がようやく調ってきた。
「ふぅぅ……なんだか、自分の身体じゃないみたい」
「えっ?」
心配そうな声音になったかな。
「いやそうじゃなくて。さっきとか……もう言わせないでよ」
顔を赤く染めてはにかんだ。
「なんだ」
そっちの話か。昨夜の件があるから考えすぎた。
「なあぁんだ、じゃないわよ。頭はふぁぁあってなるし、それが冷めてきてもおなかや腰がしばらくしびれてるのよ」
「不快?」
「んんん。わかるでしょう」
胸を指でなぞらないでくれるかな。
「なんていうか。私たち相性が良いのかな?」
「うーん。良いと思うよ、ただ……」
「ただ?」
「他の人と試してないから、確信がもてないけど」
「うんんん……確信は持たなくて良いから」
「ん?」
「そんなことのために……しなくていいからね」
「する気はないけど」
「ううう」
なんだろう?
「それはそれで、不安なのよね」
「んん。どういうこと?」
「レオンちゃんぐらいの男の子なんて、盛りの付いた獣みたいなものだからって、化粧士さんたちが言ってるのよね」
「えっ、ガリーさんとか?」
「まあ、彼女とか、もっと若い人とか」
まったく。ろくなことを言わないな。
舞台用の化粧には時間が掛かるそうだから、場つなぎでそういう話題を振るのだろう。まあ公演は連日だからな、時事とかの話題はすぐ尽きるだろうし。
「それで」
「若い男と付き合うと、際限なく求められて困るとか。まあ、のろけ話かもしれないけれど」
「うん」
「そういう意味では、レオンちゃんはそうでもないみたいだし」
「そうかもねえ」
「だから、私って魅力が少ないのかなあって」
「それはない」
「えっ?」
「他の人に、そういうことは思ったことがないって、何度も言ってるよね」
「そうなんだけど」
不満そうだ。
どうも平行線だな、この話題は。
†
翌朝。
建物に入っていくと、誰だ、このよそ者はって目で見られた。
まあ、実際によそ者なんだけど。
ここエルボランは、エミリアに比べると大きい町なのだが、構えといい造りといい冒険者ギルドは、似たような物だ。
総合受付の職員が、ずっとこっちを窺っているので、軽く会釈して通り過ぎる。エミリアと同じなら……やっぱり同じ配置だった。冒険者ギルドに来たが、用件は討伐依頼受注でも素材買い取りでもなく、ここ売店だ。
そこにはベニーさんと同年代に見える職員が居た。体形はがっちりしているけれど。
「ああぁ」
買う物は決まっているし、なければ他を当たる必要があるから、声を掛ける。手短に済ませたい。
「いらっしゃい」
結構しわがれた声だ。
「鍋を探してる。こう一抱えぐらいある、肉厚な鉄鍋がいいんだが」
ギルドに来ると無意識に口調が変わるな、条件反射みたいなものか。
「ふーん。あんた魔術士か、見掛けない顔だね」
いや、質問に答えてくれよ。
職能は、旅装ではなく、狩りに行くときのローブに着替えてあるからだろう。
「王都から来た。南支部所属だ」
「ふーん。おっと、鍋はそっちの壁側の棚の奥だ」
「わかった」
指示どおりに見に行くと、分厚い木の棚、一番下の段にあった。
結構重いが、引っ張って出す。
おお、持っているのと同じ型だ。鋳物だから製造している所が同じか、規格があるのだろう。
錆も浮いてないし、悪くない。しかし、そこにはひとつしかない。そのまま持ち上げて、会計に持っていく。
「同じ物をもう1個欲しいんだが」
「なんだい、重いことが持ってわかっただろう。これはなあ大きなパーティーで荷車に乗せて持っていくヤツだぞ。あんたみたいな華奢な……あっ」
片手をつかんで持ち上げてみせた。
「ふん。身体強化かい。まあいい。在庫は倉庫にある、ついてきな。こっちだ」
魔術は使ってないけどな。
会計の横にあった扉を抜けると屋外に出た。すぐさま小屋の壁が立ちはだかっていて、また扉がある。
「あんたは、ここで待ってな」
えっ?
言うが早いか、小屋に入っていった。
いやいや、客を屋外で待たすなよ。小屋とギルドの建屋の間を強風が吹き抜けていく。まあ僕は寒くないからいいけれど。なんで売店で待たせないんだ?
……あっ! あの人が居なくなった隙に、僕が何か盗んで逃げていくのを、警戒したって訳か。
よそものヘの仕打ちだな。
「あったよ。戻るよ」
意中の物を持って出てきた。
建屋に入って、会計に戻って来た。
「ギルド証を拝見」
「うむ」
懐から出した態で、ギルド証を見せる。
「あっ」
「ん?」
「いや、これは俺が使うわけじゃないから、ギルド員割引は不要だ」
「ふん。バカ正直だね」
全く客ヘの態度じゃないけど。なんか憎めないな。
「2つで、10セシク40ダルクだよ」
銀貨10枚と大銅貨4枚を払う。
「それでだ、領収書を出してくれ。宛名はウーゼル・クランで」
「ウーゼル・クラン? あんた、クランの人かい?」
「いいや、買ってきてくれと頼まれたんだ」
「ほおぉ。ふん。まあいい。まいどあり」
†
そのあと、園芸品店に寄ってから西街区へやって来た。エルボランの広い通りを進むと、この町を統治する代官所が見えてきた。エルボランは王都と同じ国の直轄領だ。
この辺りにあるはずだが……あった。
玄関のホールに入ると、雑居館だ。ギルドやら協会など、公的ではあるが国の組織とは違う団体がまとまって入っているようだ。冒険者ギルドは別だが、規模が違うし、物騒なギルド員がいるからなあ。
2階だ。
入ると、そこはこぢんまりとした事務所で、正面にカウンターがあり、中に中年の事務員さんが居た。他に来訪者はいないようだ。
「知財ギルド、エルボラン支部です。本日はどのようなご用件で?」
懐から知財ギルド員証を出す。
「今日は、公開技報を申請に来た」
「公開技報ですか、こちらへどうぞ」
ギルド員は、年会費を納めているので、客扱いの待遇だ。小部屋に案内された。
ソファーに腰掛けていると、一度出ていった、事務員さんが入ってきて、対面に座った。
「公開技報の申請書です」
「ありがとう」
前にも書いたことがある書式だ。
「明細書の方は」
「用意してある」
「では、拝見します」
擬装用のカバンから、書類を取り出して渡す。受け取った彼は、読み出したので、僕は申請書類を記入する。
5分程で書き上げると、ちょうど読み終わったようだった。
「承ります……はい、問題はありませんが」
「ん?」
「先願を調べてないので何とも言えませんが、少なくとも特許として出願できる内容だと思いますが」
「承知している」
公開技報は、出願した段階で公開され、先願がない限り出願内容の特許権を失う。ならば、それに何の意義があるかというと、後願の排除だ。公開技報の出願の後で、同様の特許出願があったとしても、公知例となり登録されない。要は自分の権利にもならないが、他人の特許にもならないことが保証されるのが、出願意義である。
「承りました。それでは、出願手数料は……」
†
「おかえり、早かったわねえ」
宿に戻ると、アデルが部屋に居た。
まだ昼前だ。
「まあね」
「お鍋はあった?」
「うん。同じ物が冒険者ギルドに売ってたよ」
「じゃあ、明日だね」
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訂正履歴
2025/03/19 くどい記述改善、微妙に加筆
2025/03/30 誤字訂正(n28lxa8Iさん ありがとうございます)