2話 蘇る記憶
初日の2話目投稿です。よろしくお願い致します。
「どうしました? レオン殿」
あっ、ああ。
顔を見上げると、目の前で起こっていた恐ろしいことが収まった。
眉根を寄せた先生の顔が見える。
「レオン?」
隣に座ったハイン兄さんが心配している。
「あっ、んん、なんか目が! ああ、いえ。目、目にゴミが入ったんです。でも、もう大丈夫。取れたようです」
あわててまぶたを擦る。
先生が、深く息を吐いた。
「そうですか、よろしい。では。羊皮紙に描かれた魔術アクァの起動紋について、発動を試した結果を報告してもらいましょう。まずは、コナン殿」
ふう。
なんとか誤魔化せたようだ。
「はい。30回程試したのですが、発動したのは3回です」
わあ、3回もできたのか。
いいなあ。うらやましい。
「どの程度、水が出ましたか?」
「量ですか? ええと。一番たくさん出た時で、おそらくそちらの水差し程の量でした。残りは、コップぐらいです」
先生のテーブルには、メイドが用意したのだろう、銀の水差しと錫のコップが置かれている。上等な来客用だ。
しかし、あんなにたくさんの水を出すことができるなんて。すごいや兄さん。
「ほう。初めてにしては、なかなかというところでしょう」
コナン兄さんは、さっきまで強張っていたが、ほっとしたようで頬が緩んだ。
「では、ハイン殿。いかがでしたかな」
「僕は20回試しました。そして5回発動しました。水の量は大体コップ一杯ぐらいです」
「おお。12歳にしては良い確率です」
確率?
「ただ、ハイン殿のこと。後半は余り発動しなかったのでありませんか?」
「えっ? どこかで、見ていたんですか?」
「見てはおりません。普段の様子に基づいた推理です」
「はっ、はぁ」
「ハイン殿。継続こそ大切ということを忘れてはなりません」
「はい」
ハイン兄さんは色んなことで筋が良いと言われるけれど。それ以上に、飽きっぽいのをどうにかしなさいとも母様から言われている。
推理と仰ったが、そもそも先生は勘が鋭い。
「よろしい。では、レオン殿」
「はっ、はい」
僕の番だ。
「ぼっ、僕は、15回試したのですが。水は出ませんでした」
「1度もですか?」
「はい」
「ふむ」
先生が眉根を寄せた。兄さん達への反応と打って変わってがっかりしている。
「全ての人間は魔力を持っていますが、その多少は個々人によるところが大きいです。それに、第2次性徴……いえ、ハイン殿の歳頃から大きく向上するもの。かく言う私もそうでした」
ええと。僕を慰めてくれているのだろうか。
「魔力はわかりませんが……どうしても、この起動紋が覚えられないのです」
「覚える?」
「魔術を使うには、この起動紋を思い浮かべて、強く念じるのですよねえ。でも、どうにも、この文字が。全部は」
そう。魔導具を使わずに魔術を使うには、この複雑な起動紋を正確に覚えなければならないのだ。どうも僕は、訳の分からないことを、ただただ覚えるというのは苦手だ。
文字だって、普段使っている文字じゃない、古代のものだそうで僕には読めない。
「レオン殿。それは、上級の魔術師がやることです。初心の者は、前回説明したように、ずっと起動紋を凝視してすぐさま目を閉じ、目の奥にまだ起動紋が残っているうちに、念じるのです」
「はい。でも、それでは意味が」
「あいかわらず強情だなあ、レオンは! ああ、すみません」
先生に睨まれて、ハイン兄さんは顔を伏せた。
「レオン殿。起動紋は細かな紋様の組み合わせでできています。ただ、そこに使われている古代エルフ語を解している者など、この国でもごく限られるのですよ。文字はおよそ30程ですが、何度も魔術を発動していれば、文字ではなく紋様として、自然と目に焼き付いて覚えるものです。そのように心掛けるように」
「はっ、はい」
「課題の状況はわかりました。それでは講義に入りましょう。羊皮紙は片付けて戴いて結構です」
羊皮紙の右上で、あの三角形は未だに明滅しているようだけど、なるべく見ないようにして丸めてカバンに仕舞った。
「よろしいですかな? 魔術とは、高貴な古代のエルフが編んだ学術であることは、前にも申し上げた通りです」
エルフとは、僕達人族とは違う種族だそうだ。色白で耳が長い容姿らしい。少なくとも絵本にはそう描かれていた。でも僕はエルフなんて生まれてから会ったことも見たこともないから、本当は居ないんじゃと思っていた。でも、この前の歴史の授業で、エルフは実在して、魔力が強く長命だったと教わった。
コナン兄さんは先生の言葉を真剣な顔で聞き、ハイン兄さんは能書きが長いよと少し退屈な顔をしている。
「ですが、魔術の大半は失伝、つまりは起動紋も、それ以外も概念や成り立ちが失われています。何と嘆かわしいことでしょう。しかし、どうして失われたのでしょうか? コナン殿」
「はっ、はい。エルフ族が、500年程前の竜脈大変動に耐えられなかったからです」
「正解です。歴史の授業で申し上げました。生命を竜脈に依存したエルフ族の大半は、竜脈の大きな移動を期に衰退していったと」
そうなんだ。さすがコナン兄さん。
「では、竜脈とは? ハイン殿」
「はい。たしか、地の底を流れる聖なる魔導の流れです」
「その通り。したがって、魔術を使う上でも大いに関係があります」
これは先週の授業で聞いた。見たことはないが、大きな川のように流れているそうだ。
ハイン兄さんが、僕の方を見た。
あっ。次は僕の番?
「我々人族は、竜脈に依存しませんが、利用はしています。作物も良く育つので、上級の耕作地あるいは牧畜地はおおよそ竜脈の上にあります。さらに言えば、人類の敵である魔獣は、聖なる魔導、つまりは竜脈を忌避します」
そう、魔獣だ。
魔獣は、邪なる物。
家畜や人間を襲う。肉を食べるのではない。魔力を吸い上げるためだ。
それと、普通の動物は雄と雌が番になって子を産むけど、魔獣は違うらしい。この世界の理の外なのだそうだ。
とても恐いやつらだが、町から離れるとたくさん居るそうだ。僕は出会ったことはないけれど。
「特に竜脈の大地からの吹き出し口である竜穴は、魔獣を阻む結界とも言えます。そのため、ほとんどの大きな都市が、竜穴の上に築かれているわけです。ここエミリアの町も例外ではありません。エミリアの周辺には2つの竜脈があります。おおむね北から南、それと北北西から南南東に走り、その交点が竜穴です。では、エミリアの町のどこに竜穴はありますか? レオン殿」
「はい。御領主様のお城にあります」
よかった、簡単な問題だった。
「はい、結構です。エミリアの町は、竜穴がある御領主エミリー伯爵城を中心に発達してきました。竜穴の結界の広さは、それぞれ異なりますが、エミリア付近の結界は東西5キルメト(キルメト≒km)程です。ですが、活溌期にはやや結界が狭まるので、注意が必要です。次の活溌期はいつですか? コナン殿」
「はい。前回は春先の先月に終わりましたから、次は来月の末です」
「その通り、活溌期は3ヶ月に1度。これは皆さん、常識かも知れませんが、今がどの時期かは忘れがちです。注意するように」
「「「はい」」」
うん。僕でも知って居ることだ。活溌期にはここから東にあるウチの私有地でも、奥の方には行かないようにねと、母様からよく言われる。
「では話を魔術に戻しましょう。高位魔術は、我が国に限らず、どの国においても秘匿されています。しかし。程度の低い魔術の起動紋は公開されており、一部は魔術師以外も使うことができます。あなた方の家はリオネス商会。主要な商品のひとつに魔道具があることは知っていますね」
知っていますとも。僕ら3兄弟の家は、このエミリアの町でも指折りの商会だ。
そして、父様がその会頭なのだ。
結構な裕福な家だから、モルガン先生のようなすごい先生を呼ぶこともできる。
普通の家では無理なことだ。
「その基礎となる魔術は、いずれ商人になるとしても、算術と並んで役に立つ術と心得るように」
「「「はい」」」
だから、しっかりと学ばないとだめだ。そうは思うのだけど。
†
「さて、もう時計の砂も少なくなりました。次回までの課題を出しておきましょう」
はあ。とても長く感じた魔術の授業がようやく終わる。先生は、ご自身の大きな鞄から前回と同じように羊皮紙を取り出し、僕たちそれぞれに配った。
「この魔術はブリーゼ、手の先から風が噴き出す魔術です。発動しても涼を取る程度の風。強くありませんから、危なくはありません。どの程度発動したかは、次回の魔術授業で訊きます。それでは今日の授業を終わりとします」
「ありがとうございました」
「「ありがとうございました」」
先生は軽く会釈されて、部屋を出ていかれた。
「また課題かぁ」
「あっはは。この前ハインは、たった1時間でやめていたじゃないか」
「えっ。まさか先生に告げ口したの?」
「するわけないだろう。モルガン先生は、よく僕らのことを観察されているぞ」
「そっ、そうだよね。ごめん、兄さん」
そうそう。そんなことをコナン兄さんがするわけはない。いつでも、僕たち弟を庇ってくれるんだ。それはハイン兄さんもわかっている。
「でも、先生と言えば、なんか具合が悪そうじゃなかった? 心配だね」
「そうだな。今日も何回か咳き込んでいらしたな。あっ、そっち頼むぞ、ハイン」
コナン兄さんが水差しを持って出ていた。大柄で謹厳実直、自慢の兄さんだ。
「はい。兄さん。ああ。レオンはゆっくりしてろ」
「ありがとう、ハイン兄さん」
トレイを持ち上げると、コナン兄さんの後を追っていった。
ハイン兄さんも、いたずら好きだけど、先生のことまで心配するとても優しい兄さんだ。
さて。
さっき貰った羊皮紙を開いて見る。
ああ、やっぱり。この羊皮紙も、右上の方で三角形が明滅している。
ゆっくり、ゆっくりだ……三角形を意識する。
おっ。三角形が凹む感じがして、起動紋が見たこともない意匠に変化した。
三角形の下の文字も変わった。さっきは一気に下に行ったから、目まぐるしかったけれど。うーむ。やっぱり、意味がわからない。
ゆっくり下に。
また意匠が変化した。下へずらす、意匠が変化。次々変化していく。
どれも知らない意匠だ……そう思った矢先、変化が止まった。
「こっ、これって、ブロック線図じゃないか……はっ?」
ブロック線図。
自分で発した言葉に、自分が驚く。
見たことのないはずの図形。知らないはずの文字。
だけど、それらの意味するところが、なぜか分かる。理解できてしまう。
どうなっているんだ!
まさか、また夢を見ているんじゃ。それにしては生々しすぎる。
フィードバックループにスコープ……。
制御ソフトを作るためのアプリケーション。
どういうわけか、ひどくなつかしさを感じる。
上端に表示された題目は、BREEZE with limited functions ver1.31。
英語だ。
その右に、SYSLAB_Simuconnect v20XX.4.21 エミュレータって表示されている。
やっぱり、シスラボ・シムコネだ。
そうだ、僕はこれを使っていた。いろいろな対象を制御していた。
そう気づいた時、背筋を冷たい物が駆け上った。
藤堂怜央、23歳。**大学大学院修士2年……研究室。
情報の奔流が、頭の中を駆け巡る。
これは誰かの記憶───
手がわなわなと強ばり、怖気で身体が揺れた。
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訂正履歴
2023/09/23 誤字訂正
2024/04/07 凄い→すごいの表記統一
2024/06/06 我が国に留まらず→我が国に限らず(NoNameさん ありがとうございます)
2025/03/26 誤字訂正(長尾 尾長さん ありがとうございます)