186話 忍び旅(6) 名所と再会
ふるさとは遠きにありて思うもの、ではないですが。今話の名所は行きたいかというと……。
ボランチェの宿に1泊した日。
午前中は曇天で寒そうなので、部屋でアデルとまったりしていた。
午後、雲が切れて好天となると、さすがにうずうずしてきた。
「アデル。外に出てみない? 町の方じゃなくて、上の方」
「上かぁ。観光客って少ないかなあ」
温泉街はそれなりに人が居たから、変装が必要になり、億劫になるのはわかるが。
「備え付けの地図に遊歩道があるって書いてあったからさ。僕が偵察してくるよ」
「うーん。待ってる」
†
「おかえり。早かったわねえ」
15分くらいで偵察……下見から帰って来た。アデルは出掛ける気が満々なのか、既に着替えていた。
「川筋には誰も居なかったよ」
「川筋。えっと」
「うん。なかなか良い景色だったよ。雪とか残っていたから、人が行かないんだと思う」
アデルの足元を見るが、履いている靴は大丈夫そうだ。踵は高くない。彼女は、女性としては大柄な方だからなのか、普段も大体そうだ。舞台では身長差を付けるためか、踵が高い靴も履いているが。
「ええぇ、レオンちゃんはよく行けたわねえ……あ、そうか。空を飛べるものね」
「そういうこと。見せたいところがあるんだ」
「じゃあ、行こう。ちゃんと厚着したから」
宿を出た。右は温泉街。左は町が切れて冬枯れの山々に至る街道。
「寒いけど、すがすがしいわねえ」
「そうだね」
2人で目を細める。
「行こう」
左へ歩を進めた。
10分近く歩くと、右の道端から渓谷へ降りる遊歩道に続く分かれ道がある。
「この下?」
「そうだけど。途中に雪溜まりができてる」
「えっ、でも行くんだよね」
細い街道から、石段を下っていく。
この辺で良いだろう。周りは木々で包まれている
「アデル。下まで飛んで降りるよ」
「うん」
慣れたもので、はにかみつつ抱き付いてきた。
光学迷彩と飛行魔術を行使。障害を回避して、川沿いの遊歩道に降り立った。
辺りを見回しつつ、魔導感知も確認したがさすがに誰も居ない。
魔術を解除した。
「ああ、綺麗。ふぅぅ」
遊歩道は明らかに除雪されているが、谷の半分は雪に埋まっている。一気に息が白くなった。谷の規模から見て、夏場は水量が多いのだろうが、今は辛うじて水の流れがある程度だ。
≪銀繭 v2.1≫
張り直した。主に光学迷彩として使用しているが───
「あれ? 暖かくなった。魔術?」
「うん」
銀繭には対流と熱伝導を大幅に低減する役割もある。完全ではないが。
「あれ? そういえば、湯気が上がってないわね」
アデルが言った通り、馬車の車窓から見える程、下流の方は川から湯気が上がっていた。
「源泉が西の方に見えた崖の向こう側にあるんだけど。そこから泊まっている宿とか温泉街の宿などへ湯を引いているから、この辺りには温泉の影響はないみたいだね」
数百メトばかり下の沢から、使用しない温泉水に流れ込んで居る。それだけではなく硫化水素のガスも流れ込んで時折濃度が濃くなり、危険なところがあると地図に描いてあった。確かに下流方向には遊歩道が存在しない。
「そうなんだ」
「それで、アデルに見せたいところは、上流にあるんだ。行こう」
登って行くと、谷が二股に分かれている。両岸は切り立った崖だが、合流点の中程は堆く砂利やら小石が堆積している。あれぐらいが良いかもな。
それはまたにしよう。
水の流量から見て向こう、つまり左岸側が本流か。こちらが支流だろう。遠目に見ながら、多少起伏と勾配がある遊歩道をたどっていくと、アデルの息が上がる前に着いた。
「右側を見てごらん」
そう。見せたかった場所だ。
はぁぁ。
彼女は息を飲んだ。
顔を上げて目を見開き、わずがにアゴが落ちて唇が明いていた。
「氷……滝なのよね。滝って凍るものなんだ」
落差は4メトあまり。
地図に書いてあった名は、メルサの滝。今は凍結していて、氷滝、いや氷瀑というべきか。
「綺麗───」
水が流れ落ちる経路そのままに、数多の氷針が墜ちる途中で時を止めたようだ。
「うっすら蒼いわねえ」
「うん」
蒼白というのだろう。
確か、氷は赤い波長の可視光を多く吸収するからだったか。
「こんなの、初めて見た。うれしい」
ぎゅっと抱き付いてきた。
僕もうれしさがこみ上げてきた。
1分ばかりそうしていたが、落ちついたのか身体を離して滝に向き合う。
「すごいわねえ。こんな景色があるなんて。来て良かった」
「じゃあ、そろそろいこうか」
「もうちょっと。こうして」
抱き合って、アデルの心ゆくまで滝を眺めた。
遊歩道を進むと、地図通り石段があり、ゆっくりと登って行くとやがて街道へ出た。
登るほどに暖かくなってきたので、迷彩魔術は解いてある。
「へえ」
アデルが首を振って街道の先を見ている。
「あっ」
ん?
「おお、おまえさん達は」
「あの時のおじいさん」
泊まっている宿に来る時の馬車に同乗した人だ。
しかし、着ている服が全く違う。今は農民が着るような丈夫さ一辺倒という服だ。そして、なにやら背負っている。
アデルが、ゆっくりと僕の後ろに回り込む。あわてて眼鏡を掛けたようだ。
「なんじゃあ。谷の方から上がって来たようじゃが」
見られたか。
「はい。滝を観に」
「ほおん。それで見られたかな?」
上がってきた経路には、大きな支障はなかった。
「はい。凍っていて、とても美しかったです」
「そうかそうか。しかし、寒かっただろう」
「凍えちゃいました」
「ふうむ。また会ったのも何かの引き合わせだろう。ウチで茶でも飲んでいくと良い」
「えっ。この辺りにお住まいなのですか」
「ああ、畑から戻るところじゃ。すぐ近くだ、お出でなされ」
むぅ。
「おじゃましようよ。悪い人には見えないし」
「ア……君がそう言うなら。おじゃまします」
「うん。それがええ。それがええ。ついて来なせえい」
アデルと顔を見合わせる。
「はい」
ん。背負っていたのは袋か。結構大きい。畑? その収穫物が入っているのだろうか?
「おじいさん。重いでしょう。持ちましょう」
「ああ、いやいや。歳は喰っとるが、なんのなんの矍鑠としたものじゃ」
「はあ」
街道を5分ばかり登り、やや広い枝道へ左折。そのまま進むとそこそこ大きなお屋敷が木立の中から現れた。
「えっ」
アデルも気が付いたようだ。
ここなのか。
王都の下宿よりもやや大きい位の2階建ての館が建っている。外観は、結構金が掛かってそうに見える立派な物だ。ただ、やはりホテルではなく民家だ。
送迎馬車に乗っていたから、ラ・バルバロッテの別館に宿泊しているものと考えていた。だが、資料にはそのような施設はなかったから、不審に思ってはいたが。
農夫の格好をした老人は、何の躊躇もなくどかどかと屋敷に入って行く。
アデルも急に不安になったのか。僕の方を見た。
「あの、こちらは?」
「ああ、儂の別荘じゃ。お入りなされ」
「別荘」
ふむ。あの馬車で送られて来たのはここだったのか。
そのまま、玄関に行く。
「おお。帰ったぞ」
扉を開けると中に呼びかけた。
しばらく待っていると、中から誰から玄関にやって来た。あの時のおばあさんだ。
「まあ、おかえりなさい。あれ、あの時のお嬢さんたちじゃない」
んんん。何か心苦しいなあ。
「んん。滝を見て来たそうじゃ。冷えているからな、茶を出してやってくれ」
「滝をぉぉ。そりゃあ、寒かったでしょう。入って入って」
「おじゃまします」
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訂正履歴
2025/03/30 誤字訂正 (やまびこさん ありがとうございます)
2025/04/04 誤字訂正 (Alunaさん ありがとうございます)