184話 忍び旅(4) 疑心暗鬼
疑心、暗鬼を生ず。疑い出すと何でもないことが怖くなる意味ですが。良い表現です。
雲が切れたのか、月明かりが美しくもさめざめとした横顔を浮かび上からせた。
「アデル?」
糸を引くようにこちらを向いた。
泣いている。
呆けた相貌。
ふたたび、前を向くと自らの曲げた膝に突っ伏した。
「アデル。どうしたの? 大丈夫?」
「レオン……ちゃん」
意識が? 顔を上げたが視線が不自然だ。
「レオンだよ」
「レオンちゃん……行かないで……」
んん? 僕の方を向いてない。
「僕はここに居るよ」
背中を抱いて引き寄せる。
「暖かい」
僕の胸が、アデルの背中に貼り付いている。
「君の愛しい者は、どこにも行かないよ」
「レオン、レオン、レ……オ」
僕の腕の中でクタッとなった。アデルはまぶたを閉ざしている。
呼吸は───普通だ。眠ったのか?
アデルの左腕に填まったバングルを意識すると、彼女の生体情報が視界に浮かぶ。
むう。
脈拍_心拍数正常、血圧、呼吸数、体温、全部正常範囲内だ。
やっぱり身体的には眠った状態か。
とりあえず、このまま寝かせよう。
身体をずらせて彼女を傾けていくと、大きな眼をぱっちりと開いた。
「レオンちゃん。ああっ、レオンちゃん」
抱き付かれた。覚醒したかな?
心拍数と体温が上がっていく。まずいか?
「アデル?」
「ごめんね、ごめんね……」
「ともかく、寝た方がいい」
引き離そうとしたら、もっと強い力で抱き付かれる。
「いや。また、こわい夢を見るわ」
「また?」
あっ。
声は出さなかったけど、そういう顔になった。
彼女のしたいようにさせよう。
僕は抱き締めて、頭をなでる。
それがよかったのかどうか。ふるえが収まっていき心拍数が落ちていく
そして、鼓動を数百数えた頃、熱かったアデルと体温が同じになった。
「僕に、何か言いたいことがあるの?」
何か言い掛けて止まった。
「いいよ。このまま抱き合って寝る?」
「うぅぅ、レオンちゃんが、どこかへ行っちゃうの」
「ん」
ああ、夢の話か。
「アデルを置いてなんか行かないよ」
「そう」
「信じられない?」
「…………」
信じてくれてないようだ。これは言っておかないと。
アデルのアゴを持ち上げて、髪を掻き分ける。
「僕が愛しているのは、アデルだけだよ。信じて欲しい」
アデルの顔が刹那に綻んだが、見る間に強張っていく。
ダメか。
「レオンちゃんは、天使じゃないの?」
「はっ? あの絵……」
イザベラ先輩の絵か。
「天使と思ったのは、そう……だけど。前から、なにかすこし。だって、空だって飛べるし。すごい魔道具を次々創っちゃうし」
「くぅぅ。いっ、いや。それは魔術だから」
言い訳───真実だが通じない。
「僕は天使なんかじゃない、父様と母様の子だ」
「あのお美しい伯母さまだって……」
むっ。
僕が、いや誰でも良い。
特定の人間を、一般的な人間と証明するのは無理だ。
逆は簡単だ。
ここが違うから、普通じゃないと言えば良い。
それに……僕を普通の人間だと納得させることが、目指すところじゃない。
「わかった。僕が普通じゃないところを告白しよう」
「レオンちゃん? やっぱりそうなの?」
「僕は、今から言うこと以外はただの人間なんだ」
「以外」
「そう。誰にも、兄さん達にも言ったことがない秘密があるんだ」
「秘密?」
「聞いてくれる」
アデルは頬をこわばらせたが、唇を引き結んでゆっくりとうなずいた。
「じゃあ、始めるよ。僕がヨハン君よりちょっと大きくなったころ、不思議な夢を良く見たんだ」
「夢?」
「うん。僕は1人で。まわりが白い綿のようなものに包まれた場所にいるんだ」
「へえ」
「それで、僕は僕だけど違う人間なんだ。名前も藤堂怜央という」
「トードウ・レオ。えっ?」
「そう。トードウ商会はそこから名付けたんだ。彼のことは怜央と呼ぶよ」
「うん」
「怜央は、この世界の人間じゃなくて、地球という惑星……まあ世界だね。そこにあったたくさんの国のひとつ。日本という国の人間なんだ」
彼女は、何度か瞬いた。信じる信じないという以前の状態に見えるな。
「その世界には魔術や魔力はなかったけれど、代わりに科学が発達していて、セシーリアより遙かに発展していたんだ。そこで怜央は、僕と同じように大学生だったんだけど、事故で死んでしまうんだ」
「えっ?」
「信じられないと思うけれど」
「んーーーー」
「それで、最初に話した白いところに行って、おまえはもっと生きるはずだったんだけど、神様の不手際で死んだんだって言われて」
「えっ、誰に?」
「たぶん神様かな。それで、生まれ変わらせるけど、何か希望があるかって訊かれたんだ」
「へぇぇぇ、なんて言ったの?」
「制御を。これまでのように制御をやりたいですって言った」
まじまじと僕を見る。
「うぅぅん。制御ってよくわからないけれど、何かを操るってこと?」
「そう。秩序だって、人間が思った通りにね。怜央の記憶と知識の一部を、生まれ変わった僕は受け継いでいるんだ。そして、その知識を生かして、魔術の制御に使っているんだ」
「だから、すごい魔術を使ったり、魔道具を作ったりできるってこと?」
「うん。大ざっぱに言うと、そういうことなんだ」
アデルの視線がぐるぐる動く、僕の言ったことを考えているようだ。
沈黙。
ずいぶん長く感じたが、実際には数分だったかもしれない。
アデルに差していた月光が途切れた。
「そうだ。もしかして、ガルフェン伯爵の振り付けとかもそうなの?」
「ああ、あれね」
例のチュウニ文化だ。
「うん。日本の物語で似たようなのが有るんだ。言えなくて、ごめんね」
「そうか。そうなのね」
「幻滅した?」
「なぜ?」
「僕の中のいろいろなものが。怜央からの借り物だから」
「借り物……」
アデルは眉間にしわを寄せた。
「うーん。じゃあ、俳優と同じだね」
「はっ?」
「俳優なんてさ、全部借り物で成り立っているんだよ」
「いや」
「だってさ、お芝居の筋は先生が書いてくれるし、個別には(舞台)監督さんが見てくれる。それに大道具さんや小道具さん、化粧士さん、劇場にいるみんなが用意してくれたものがあるから演じられる。それを全部借りて、俳優は舞台に立てるの」
「でも、アデルはアデルでがんばって、工夫して……」
アデルはにっこり笑った。
「ほらっ。それはレオンちゃんも一緒でしょ」
「う、うん」
どっちが諭そうとしていたかわからなくなった。
「はぁぁ……レオンちゃんにも悩みがあることがわかったわ」
「そりゃあ、あるさ。僕だって」
「そうか。天使様じゃないってことだわ。よくわかった」
「うん」
アデルが再び僕に抱き付いた。
「わたし。レオンちゃんを信じることにする。打ち明けてくれて、ありがとう」
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訂正履歴
2025/02/26 細かに訂正
2025/04/09 誤字訂正 (布団圧縮袋さん ありがとうございます)