181話 忍び旅(1) 往路
世を忍ぶ旅。どうなんすかねえ。
「じゃあ。行こうか、アデル」
「うん」
年が革まった朝。彼女の部屋に行って、荷物を魔導収納に入れた。
≪銀繭 v2.1≫
「へえ。本当に見えなくなるんだ」
アデルが、玄関脇の鏡を見てる。
「あっはは」
外に出て扉を施錠すると、僕らの他には誰も居ない中庭まで降りて来た。
「つかまって」
「うん」
アデルが、うれしそうに抱き付いてきた。
「飛ぶよ」
うなずいたので、飛行魔術を発動する。
≪黒翼 v2.3≫
設定-1.0。
すうっと墜ちるように、舞い上がった。瞬く間に高度500メトに達する。
「何度飛んでも。気持ちがいいわあ」
「それはよかった」
自分で制御していることもあって、僕は恐怖を覚えない。が、高い所がダメな人も居る。コナン兄さんも余り得意ではなかったし、ウルスラも脚立に登るのもいやというほど全然ダメだった。
アデルが、平気でよかった。
「それで、エルボランって、どっちの方角だと思う?」
「んん、さあ……」
「えぇぇ。アデルは行ったことがあるんだよね?」
「あるけど。王都からまっすぐに向かったわけじゃないし……」
確かに街道のほとんどは、竜脈の上に敷かれているから、遠くなればなるほど、行程がまっすぐにはならない。
「レオンちゃんって、子供の頃はいじめっ子だったでしょう?」
はっ?
「そんなことはないけれど」
いつも一緒にいたコナン兄さんは、そういうのが大嫌いだったからな。
おっと、アデルが愉快そうだ。
「ここからですと、南南西にございます。奥様」
「あらそう。よろしく頼みますわ、レオンさん」
「かしこまりました。ふふふ」
「あははは」
重力勾配を生成すると、音もなく僕らは加速を始めた。
エルボランへ向けて。
瞬く間に南区の上空を突っ切ると、竜脈沿いの田園風景を飛び越え、寒々とした草原の上に出る。
「あれ。羊を放牧してる」
「本当だ」
褐色掛かった白い小さな点の群れが、北に向かって移動していた。
「寒くないのかしら」
「いっぱい毛を生やしているからねえ」
「あはは、そうね」
そう言っている内に視界から消えた。
「もうちょっとゆっくり飛ぶ?」
空気の固まりとともに飛んでいるから寒くはない。今の飛行速度は時速300キルメトほどで、魔力消費効率が良い。しかし……。
「んん。なんで?」
「景色がめまぐるしくない?」
アデルは首を振った。
「ええぇ、レオンちゃんと飛んでいるだけで楽しいよ」
「……そう」
顔が熱い
「じゃあ、景色は良さそうな所に差し掛かったら、速度を落とすよ」
「うん。おねがい」
僕らは真っすぐ飛ばず、右に左に折れながら、それでも1時間余りで目的地周辺まで来た。それほど標高が高くない山々が連なりつつ、街道が渓谷をなぞるように伸びている。
「あそこだわ」
1キルメトばかり西に、盆地が見えている。方々を見ながら、そこへ降下するとエルボランに到達した。路地裏に降りて、迷彩魔術を解除して大通りに出てきた。
「ちょっと早かったかしら」
「そうだね」
10時過ぎだ。
最終目的地である宿への送迎馬車が迎えに来るのは1時だから、まだ数時間ある。
その前に食事をするのは予定どおりだが。
「半年ぶりだわ。わたしが、この町を案内してあげる」
「辻馬車に乗る?」
「ううん。そんなに広い町じゃないし、大丈夫」
まあ、たしかに上空から見た限りは、王都の5区のひとつ分のさらに1/4ぐらいだろう。あとは眼鏡とカツラで、一見アデルには見えないけれど大丈夫かな。
「エルボランはねえ、北側に遺跡が多いのよ」
「そうなんだ」
現在セシーリアで大きな宗教となっている聖神教会とは別の、確かリアデス教の準聖地があったそうだが、現在ではさびれてしまった。その建物は残っているが、宗教施設ではなく遺跡扱いで聖職者はいないそうだ。
アデルが言っているのはそれだろう。
通りに沿って歩きながら、ここがなに、あそこがあれとアデルの説明を10分あまり聞いていると石造りの大きい建物の前に出た。仮柵を巡らして足場とはしごが掛けられている。工事かなと思ったら、看板の掛け替えをしているようだ。
エルボラン劇場と書いてあるな。そうか。持ち上げようとしている看板は、次の公演の宣伝らしい。
僕に寄ってきて耳打ちする。
「私、夏前にここで舞台をやったのよ」
「へえぇ」
評論誌に大好評と書かれていた公演のことだろう。王都の歌劇団常設のギュスターブ大劇場と比べると小さいけれど、エミリア劇場に比べると大きさは遜色がない。観光地だけあって、動員が見込めるのだろうか。
「ふーん、ルアダンが公演するんだ。行きましょ」
アデルに腕を引っ張られた。
ルアダン……同名の侯爵領都のことではなく、ルアダン歌劇団か。アデルが所属しているサロメア歌劇団と並ぶ、セシーリア3大歌劇団のひとつ。王都周辺での人気は、本拠地を置いている後者が圧倒的だが、評論誌によると演劇の実力は拮抗しているそうだ。
そうか。その歌劇団の関係者が近くにいるかもしれないからな。
そそくさと、その場を離れた。
街の散策は軽く済ませて、昼食を取った。お勧めの店があるけどなあとアデルは言っていたが、身バレ防止のために行ったことのない店にした。
「まあまあ、おいしかったんじゃない」
「そうだね」
「このあとどうする?」
時刻は、まだ12時半だ。
「一度、送迎馬車の待ち合わせ場所に行ってみようか?」
「うん」
通りを1本北へ入って、西に進むと行くと開けた場所があった。大小の馬車がざっと10両ばかり並んでいた。
これって……ああ、そうだ。
「全部、送迎馬車だ」
「あれって宿の名前ってこと?」
馬車の屋根に、看板が掲げられてある。
こうやって見ると、これから向かうボランチェという町には宿が多いようだ。
「お宿の名前ってなんだっけ?」
「ラ・バルバロッテだね」
「バルバロッテ、バルバロッテ……あれじゃない?」
アデルが指した先、洒落た書体で意中の宿名が刻まれている。2頭引きの馬車に6人乗りぐらいか。
「へえ。もう待っていてくれたんだね」
ちょっと早いけれど。
「いこっ!」
アデルに手を引っ張られて近付くと、馭者さんが前の方から回り込んで出てきた。
「レオンです」
「はい。おふたり様ですね。お待ちしておりました」
馭者さんが、胸に手を当てて会釈した。
「お荷物は?」
僕たちはそれぞれに小さいカバンしか持っていない。
「これだけです」
「はい」
不審に思われただろうか。
「お客様がそろわれました。まだ時刻になって居りませんが、出発してもよろしいでしょうか? 30分ほど掛かります」
アデルを振り返ると、うなずいた。
「はい。乗ります」
「それでは」
側面の扉を開けてくれた。
やはり6人乗りか。前列に向かいで2人2列の4人掛け、後尾に2人掛けだ。そこに老境の男女が既に座っていた。
軽く会釈して、中列に並んで座る。扉が閉まると間もなくなめらかに発車した。
「あのう……」
後列からの女性の声だ。まさか。背筋が寒くなる。
「はい」
アデルに目配せして、僕が振り返る。
「失礼だけど。あなた方は友達同士? それとも姉妹なの?」
なかなかに不躾な質問だが、温和そうなご夫人だ。深い意図があるようには思えない。とりあえず、アデルの正体には気が付いていなさそうだ。
しかし、姉妹ねえ。
「ええ。私が妹で、こちらが姉です」
「そう、そうよね。ほら、おじいさん。私の言った通りでしょ」
「おうぅ、そうか」
微妙な感じだったが、うなずいていた。
僕が体勢を戻すと、姉(?)は笑いを堪えていた。
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2025/02/15 誤字訂正(1700awC73Yqnさん ありがとうございます)
2025/04/09 誤字訂正 (布団圧縮袋さん ありがとうございます)