159話 リバースエンジニアリング
リバースエンジニアリングという言葉は微妙なんだよなあ。
「オーナー。いらっしゃいませ」
大学を午前中で切り上げ、トードウ商会へやって来た。扉を開けるとサラさんが出迎えてくれた。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ。例の物はそちらに」
委細承知という感じで、代表が指し示す。
事務所の一角に、小さな机ほどの魔導具が設置されていた。すでに使用しているようだ。
ふむふむ。
しゃがみ込んで、眺めていると。
「ありがとうございます、オーナー。これの導入をご提案いただいたんですよね」
サラさんが、横に寄ってきた。賃貸したことに礼を言っているのだろう。10月は過去で1番収入が多かったしな。照明魔導具とアイロンがかなり売れているらしい。
「まあね」
彼女に関わることを代表が嫌がるので、素っ気ない態度を取る。僕が手を出さないかと心配しているらしい。まあ未婚女性だし、代表にとって大事な人物なのだろうから仕方ない。
そういう態度を取ったにもかかわらず、サラさんはとてもうれしそうだ。
「おかげで、すごく助かってます。書類の転記は私の仕事なので。でも……この事務所に2台も要らなかったのでは?」
「サラちゃん! オーナー。もう1台は、会議室にあります」
「じゃあ、そちらへ」
立ち上がって、奥の会議室に移動する。
「こちらです」
奥で代表が布を外すと、全く同じ魔導具が殺風景な会議室の一角に現れた。
「使ってみますか?」
「そうだね。改造するにしても、動作確認しておかないとね」
「はあ。改造ですか。何だかもったいない気がしますが」
代表が、取扱説明書を渡してくれた。表紙に書類複写魔導具と書いてある
大学の魔導学部や購買部に置いてあるのと同じ物だ。
「ははは。壊す気はないよ」
「まあ、オーナーの物ですから、壊れようと使えなくなろうと、大きなお世話ですけれど」
言葉とは裏腹に、微妙な目付きだ。
そう。この1台は賃貸ではなくて購入した。それもトードウ商会の物ではなくて、僕個人用に。だから貸与品と書かれた紙が貼られている。代金を渡して買ってもらったのも、設置してもらったのも商会だが。あと、インクとかを買う必要があれば、商会に買ってもらうことにしている。事務所の消耗品から分けてもらうと、契約上いろいろまずいからね。
脳内システムでシムコネ、リバースエンジニアリングスタジオの順で立ち上げる。
この機能は、怜央の記憶にはなかったから、脳内システム用の追加機能だろう。魔導具やら魔術がどういう術式やしくみで成り立っているかを、第三者が把握するための機能だ。この国の法律にはないが、使うにはそれなりにやましい気持ちが浮かぶ。
まあ、使うのだけど。悪用はしないので……。
魔導波プロトコル───傍受モード起動
───傍受モードが起動されました。傍受する空間範囲を指定してください
耳の奥で、スタジオアシスタントの声が聞こえると、視界に半透明の直方体が仮想現実で現れた。
視点を直方体の角へ持っていき、意識して動かすと3軸で回せるようになるので、複写魔導具の筐体の面におおよそ合わせる。そして直方体の面をつかんで、魔導具が収まるように、伸縮して合わせ込んだ。
───空間範囲が指定されました。傍受を開始しますか?
ああ、開始してくれ。
視界の端に、赤い丸が点灯した。
「あの、オーナー。こちらの使い方でしたら」
アシスタントではなく、代表だ。
「ああ、大丈夫だ。大学で何度も使っているから」
僕は手を振って答えると、まずは複写魔導具を起動する。
すると、魔導具の筐体に被って光が流れる。もちろん現実ではなく、仮想現実だ。まずは上面から下方へ流れ、魔導波が奥の方から筐体内の多くの部位に流れた。
そして、しばらく待つと、複写可能状態になったことを知らせる操作部の緑のランプが点灯した。
僕は魔導具上面の木のふたを開け、説明書を置いた。ふたを閉め、複写ボタンを押す。
魔導波が、上部の平面上から一点へ集約されて、そこから下向きに流れていく。そして。30秒ばかり待つと、シャーっと擦過音がした。
できたできた。
側面から吐き出された紙を取り上げると、説明書の表紙が複写されていた。
「大丈夫のようですね。では、私は事務所におりますので、何かありましたら、お声がけください」
「ありがとう。それと」
「あっ、はい」
「サラ……君にお茶は不要だと伝えてくれ」
「ええと。もう淹れ始めていると思いますが」
「そうか。じゃあ。いただこう」
数分後にお茶を出してもらい、何か話したそうにしているサラさんに、軽く礼を言っただけで説明書を真剣に見て、複写魔導具を操作していると、彼女は肩を落として会議室を出ていった。はあ。僕がやることを彼女に見られるのは、どうもな。
さて、この辺で良いだろう。
いくつか複写のモードを変えつつ、魔導具の代表的な操作をひととおり終えた。
───魔導波プロトコル───傍受モード終了
───プロトコル解析を開始します
さて、この解析はちょっと時間が掛かるから、別の作業をしよう。
複写魔導具の構造は、大まかに購買部で分析してある。
この魔導具、この規模だと魔導器と言ってもいい気がするが。一般人が扱うことができる、最も精巧な魔導具のひとつと言われていて、僕が生まれるはるか前、40年ぐらい昔から世の中に出回っているそうだ。
取扱説明書の冒頭に、古代エルフの魔導具由来の技術が使ってあると堂々と書かれている。実は違う機種がリオネス商会にもあった。そのことは経理の手伝いを始めたときに知ったのだけど。改めてみると、記述は真実かもしれないと思える。
製造元はラケン商会。国内の複写魔導具は、1社で独占しているそうだ。
魔導具は大きく分けて、上部に光学部と操作部があり、下部には動力部と印刷部がある。上部と下部はそれぞれ金属枠の木の筐体で覆われており、四隅の支柱でつながっている。分離するには、このネジだな。
ねじ頭の穴は6芒星型だ。外すにはあまり売っていない工具が必要になるが、そこは事前に見ていたので、わざわざ西区にまで出掛けて買ってきてある。
ええと、この大きさは3番の金具で合うようだ。
むむむ。最初は力が必要だったが、やっとネジが回った。
各2カ所のネジが外れたので、上下分離しよう。結構重そうなので、上部のみをいったん魔導収納に入庫した。どこに置こうかなあと思ったが、入れて置く方が場所を取らないから都合が良いか。
じゃあ、下部を見ていこう。向かって奥側に、魔力供給用の大きい魔石が多く入っている動力部がある。手前に印刷部があるが、上面には魔石が、1、2……見えるだけでも8個並んでいる。その下は、印刷する空間と紙とインクの容器を入れておく区画がある。
魔石は……
1:光学部からの光信号受信用
2:操作部との信号送受信用
3:インク転送用
4:紙の移送用
5:全体制御用がいくつか
仕組みとしては、光学部から複写原本の画像の光情報を受信、それを明度彩度を調整した画素情報に変換。インクを容器から吸い上げて、微細化したインクを紙表面に転送して、染みこませることで、画像を定着する。最後に印刷が終わった紙を横から排紙するという一連の工程だ。
怜央の記憶によると、下部のみを考えればインクジェット型という印刷機と似ているようだ。それとの違いは、紙送りと垂直方向への印刷ヘッドの往復移動の代わりに、印刷時は紙が動かず、インク自体が紙の全領域に2次元移動することだ。
ところで、上部を取り去ったことには理由がある。端的に言えば不要だから。僕がやりたいことは下部だけが役に立つのだ。
やりたいことは何かというと、脳内システムにある文書やら画像を紙に印刷することだ。直近では論文を印刷したいのだ。紙に手書きするのは面倒臭いし、時間も掛かる。下書きして清書なんてことに手番を取って時間を掛けたくない。
脳内システムのエディタで文章を書きつつ推敲したら、そのままデータで公表したい所だが、それは無理だからな。
とはいえ、そのままで印刷ができるわけではない。
基本的には、入力として画像データを、光学部に成り代わって渡す必要がある。もちろんそれを光情報で渡すのか、それとも印刷の画素単位のデータで渡すのかは考える必要がある。それから操作部の信号も渡す必要がある。あと光学部へ向かう信号を受け取って反応してやる機能を備えないと、印刷部にある制御魔石が、光学部が故障したと判断して、印刷が進まなくなる。
最終的には全体制御も造り換えるとして、今は時間がないので、手っ取り早く脳内ソフトウエアで光学部と操作部をエミュレートしてやるつもりだ。
───プロトコル解析が終了しました。プラントMILSモデルが作成できました
よしよし。
プラントとは、制御される側の機器、この場合は複写魔導具の下部のことだ。さらにMILSとはそのプラントモデルと僕の脳内の制御モデルをつないで全てソフトウエア上でシミュレーションすることだ。
シムコネ上にプラントMILSモデルをロードすると、やはり2つのインターフェースがある。対光学部用と対操作部用だ。あらかじめ作ってある印刷制御モデルを、そこに繋げる。
───制御ゲイン自動チューニングを開始しますか?
開始してくれ。
いやあ、楽だなあ。信号の強度や遅延などを全て自動で考慮して、制御ソフトを調整してくれる。
───制御ゲイン自動チューニングが終了しました。RCPを開始しますか?
開始。
RCPとは、できた制御モデルで実在のプラント、つまり複写魔導具の下部をつなげて、ソフトを微調整することだ。
つまり、実際に紙に印刷させつつ、制御モデルを確認できる。
さて、せっかくだから論文の下書きを印刷させよう。
目をつむり、シムコネ上の起動ボタンを意識する。低い音が聞こえてきた。音源は目の前の複写魔導具の下部だ。シムコネ上の準備完了ランプが光った。
よし。上位モデルつまり脳内システムから、論文の画像イメージを流し込んでいく。
ちゃんとデータが入って行っているようだ。
「オーナー。よろしいでしょうか?」
会議室の扉の外だ。
「どうぞ」
「失礼いたします。うっ、これは……」
代表が小さくうめいたとき、擦過音とともに魔導具の横から紙が排紙された。
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訂正履歴
2025/04/02 誤字訂正 (Paradisaea2さん ありがとうございます)
2025/04/30 誤字訂正 (とんぼさん ありがとうございます)