144話 トードウ商会
書いてて腹が減った。
大学2年生の初日が終わり、そのまま馬車鉄に乗ってレズルー街にやって来た。秋の日はつるべ落としというが、まだ4時過ぎだ。さすがに地平線より上にある。
1本奥に入って、石造りの建物に入る。玄関の奥のホールには、屈強な男が2人立っていて威嚇している。
入居者証を見せると、にぃと表情を変えて通される。あの笑顔は、持てなしのつもりかもしれないが、逆効果だよな。
階段を昇り、右に折れた部屋。扉に小さくトードウ商会と社標が貼られていた。この前に来たときも、こうなっていたかな? アリエスさんが開けたから良く見ていなかった。
扉を開けて入ると、衝立が正面に置かれていて、事務室を目隠ししている。
「はい。少々お待ちください」
やや甲高い声。パタパタと足音がして、若い女が出てきた。
笑顔が一瞬で曇る。声で分かっていたが、アリエスさんではない。
浅黒い肌に黒い髪。背はさほど高くないが細身だ。見るからに移民と分かる。出自は南方に違いない。
「ええと、どちら様でしょうか? こちらはトードウ商会ですが」
あからさまに不安そうだ。
「わかっている。サラというのは?」
「わっ、私ですけど」
眉間のしわが深くなる。
衝立の向こうから、アリエスさんが姿を現した。
「オーナー、お待ちしておりました」
「えっ、オーナー?」
「そうですよ。サラ、応接室にお茶を。あなたの分を含めて3客ね」
「はい」
今日は、彼女に来るように言われていたのだ。
応接に入って、ソファーに腰掛ける。
「大学から直接ですか?」
「うん。今日から2年生だ」
「いいですねえ。大学というのは」
「まあ当事者はそうでもないけれど、まあ休みが長いからね」
「どうです、サラは?」
「いや、さっき会ったばかりだから、どうもこうもないが」
「それはそうですよ。見た目の話です」
「事務の従業員に、見た目は関係ないと思うが」
アリエスさんから、株主の立場の時は威厳を持ってと言われている。
「それは良かった。長く働いてもらうつもりなので、くれぐれも手を出さないでください」
僕をどういう人間だと思っているのか。一応睨んでおく。
「失礼いたします」
サラが、茶を運んできた。
「どうぞ」
茶器を3客置いて、彼女もアリエスさんの横に座った。
「サラ。自己紹介を」
「あっ、はい。ううん。サラと申します。22歳、独身です。よろしくお願いします」
アリエスさんがこめかみに手を持って行く。
「そうではなく、職歴を」
「あっ、はい。13歳からラケーシス財団の移民就学支援事業で5年間学び……」
そういう事業もやっているんだ。それにしても、やはり移民か。
「……財団からいくつかの団体へ派遣されて、事務と財務の実務をやって参りました」
ふむ。
「こちらは、オーナー。わが社の筆頭株主です。ほとんどの株を持っていらっしゃるので、実質トードウ商会の持ち主です。サラもよく承知しておくように。あと、わが社の商材である特許の発明者は、今のところ全てこの方です」
「えっ?」
サラが、まじまじと僕を見た。
「あっ、あのう。オーナー様は……」
「ああ、サラ。オーナーというのは称号ですから、さらなる敬称は不要です」
僕を何と呼ぶかについては、アリエスさんに古代エルフ語で持ち主は何と呼ぶかと訊かれたので、でまかせでオーナーと答えたのが採用されてしまった。
「えっ、お名前じゃないんですか?」
「違います。サラは、お顔を覚えなさい」
「大丈夫です。もう忘れないです」
「そう。では、何かの時は仰ることにしたがうように」
「いや、トードウ商会は、アリエス代表の物だ、そういうことは極力控える」
「ええと、お名前は教えてもらえないんですか? あと随分お若そうなんですが、年齢とか? それと、オーナーと代表は……なんだか顔が似てますけど」
「サラ、オーナーのことは詮索しないように」
「はっ。はい」
アリエスさんの鋭い目付きで、サラはしゅんとなった。
「オーナー。何かお言葉があれば」
「そうだね。私の特許で造作を掛けるが、よろしく頼む」
「はい!」
よく分からないが、うれしそうだ。
「サラ、話は終わりです。執務に戻りなさい」
「はい。失礼します」
部屋を辞していった。
「オーナー。余り期待を持たさないでください」
はっ?
何の期待だ。よくわからん。
「さて、本日。コンラート商会の常務がお越しになり、昨日よりスチームアイロンの生産を開始されたとのことです」
おお、いよいよか。耐久試験に合格したということか。
「ついては、商標使用契約を結ぶ予定となりました」
「うむ」
コンラート商会は、リオネス商会の魔石を購入してアイロンに実装することになっている。よって特許権はそこで消尽しており、トードウ商会と取引する必要はない(消尽:魔石購入時にライセンス料を払っているので、アイロンを作った時に追加で支払う必要はないという意味)。しかし、特許許諾料を正規に払っていることを証明するために、アイロンに商標を刻印したいそうだ。
「こちらが契約書案です」
契約書案を見ると、契約金は年間更新で3千セシル(3百万円相当)だそうだ。
創立日翌日に、商標申請していたが元が取れたな。
「特に異論はない。代表に任せる」
「はい。それと、リオネス商会との取引基本契約の調印済契約書が届きました。それと、スチームアイロン用魔石の使用許諾料の取り決め書です。どうぞ」
「うむ」
着々と事務が進んでいくな。
こっちは正式なので印紙も貼ってある。
ふむ。しっかり債権回収条項も入っている。ダンカン叔父のおかげか、アリエスさんの手腕かは分からないけれど。契約はまともだな。
取り決め書の方は……。
リオネス商会は同魔石1個当たり75ダルクを支払うことになっている。初月は1000個ぐらいのものだろう。
あと、リオネス商会以外の特許使用許諾する場合は、割高にするつもりだ。手数料は払っているが、今まで、商談を進めてもらった彼の商会への優遇策だ。
「この75ダルクは、どう思う」
大学の売店で買った一般的な機種は6セシル強だから、その1割を超えている。
「スチームアイロンの市販予定価格の5分程度ですから、妥当かと思います」
「5分? 15セシルぐらいで売るということか?」
「はい。そのように聞いております」
既存機種の倍以上か。そういうものか商売は。
「了解だ」
「はい。そして、記念すべき商会の初売上となりました」
「おめでとう」
「ありがとうございます」
†
とっぷり日が暮れた。
はあ。腹が減った。
予想通り長話になってしまった。途中でサラは帰らせていたけれど。茶菓子だけではなあ。最近食欲が増しているからなあ。
今日はあらかじめ夕食は要らないと申し出てあるから、今さら帰ってもな……いままでは、夕食時に間に合わず、リーアさんが3階に運び上げてくれた、冷めてしまった食べ物でも特に何とも思わず食べていたのだけど。どうもね。
そうだ。
足が下宿を通り越して西へ向かうと、人が賑わってきた。庶民向けの飲食店や食料品店が並ぶベイター街だ。さらに進むと、商店街の端に来た。
「おっ!」
「こんばんは」
構えが汚い店の前から、前掛けを着けた男が出てきた。
「鶏をもらえますか」
「なんだ、ウチの客か。あるぞ、丸焼き」
7、8人が座れば満席になる店に入り、油がすこし浮いているテーブルの木の椅子に腰掛ける。
「じゃあ、丸焼き1羽分と黒パン、それとエールを」
「へい」
店主は奥に引っ込んだ。
「お待ちどう」
「どうも」
「これもな」
サラダだ。
「いや、これは頼んで……」
「ああ、レオンだったか。育ち盛りだろうが、肉だけじゃなくて野菜も喰わねえとな。俺のオゴリだ」
たしかに。
「ありがとう」
鶏の皮は飴色に焼き上がっており、骨を外してぶつ切りになっている。湯気とともに香気が漂う。皿にはわずかに褐色な肉汁が染み出して、とてもうまそうだ。
フォークで肉を刺して、口に運ぶ。そしてエールで流し込むと、うまさが倍になった。
うーん。たまにはこういうのも悪くない。
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訂正履歴
2024/10/02 誤字訂正
2025/03/30 誤字訂正(n28lxa8Iさん ありがとうございます)