125話 小旅行(5) 暗黒の世界
人感センサーのある個室?
分かれ道だ。右だったよな。
目を瞑ると、ヴィラの居間で見た地図が浮かび上がる。やはり右だ。
しばらく進むと少し開けた場所となり、自分の足音が変わった事に気づく。丸い砂利?
既視感───
ああ、故郷。別荘地にある丘の林の中にある場所。そうだ、あそこも古代の遺跡、ほこらがあるんだった。
不意に懐かしさが胸を満たし、歩く速さが上がった。
「ここか」
さっき曲がったところから登ってきた道が途絶えた。
こんもりした盛り土の側面にぽっかり口を開けている。あそこにそっくりだな。
「あれ?!」
しゃがんでのぞき込むと、入口から1メトほど奥に木の板が見えた。穴の断面をびっちりと塞いでいるではないか。
「はあぁぁ」
中には入れないようだ。がっかりして何だか興奮が冷めてきた。冷静に考えると、僕は何のために、ここへ来たのか。別に特段歴史好きでもないのに、ほこらをわざわざ見に来るなんて、何を期待していたのだろうか。
ん?
ほこらの入口の傍に、少し古びた看板が立っている。えーと。中に度々不審者が立ち入ったため、入口を封鎖します。地主。紀元487年って3年前か。
看板に書かれているのは、それだけだ。特に由緒書きもない。
「帰ろう」
さすがに地主の意向に逆らおうという気にはならない。ならば、これ以上、ここにいる意味はない。
なっ!
踵を返した刹那、視界が暗転し、浮遊感が身体を包んだ。
とっさに地を蹴ろうとしたが、足は空を切って何物にも触れなかった。
僕はどこかに落ちて───
いや。無重量状態だが、落下しているわけではない。全く風を感じない。着ているローブもはためかない。
違う!
息が吸えない。吐けもしない。何も見えない闇が、混乱に拍車を掛ける。
落ち着け。
呼吸はできないが、苦しくはない。
これがいつまで続くかわからないが。
おかしい。
魔導感知で、何も感じられない。それどころか、いつも大地から受け取っている魔力すら届かない。王都はおろか、竜脈から外れた場所でも存在したというのに。
どういうことだ? 僕は夢を見ているのか?
右も、左も。上も下も、少なくとも数百メトに渡って、何もない。地面さえなくなって、重力すら感じ取れない。
ともかく暗くて何も見えないでは、推理が成り立たない。
≪ルーチェ≫
頭の斜め上に光源が灯った。
瞳孔が落ちつくと、全身を怖気が貫く。
確かに魔術は発動した。光を受けた着ているローブや、僕自身の手も見えた。
が、それだけだ。それに魔術の発動が、何か普段と違う気がした。
周囲には、何も見えない。
暗黒だけが占める視界。いきなり夜になった?
いや足元にさっきまで踏んでいた砂利もない。もしかして、倒れて頭を打ったか、それで意識が?
もしそうなら、どれだけ良かっただろう。
目をつぶると、いつも見える脳内システムの時刻表示が消えている。
魔導感知も普段ならば、地面が反応する。それを背景ノイズとして排除しているのだが、そのフィルターを無効化しても、全く反応がない。
この魔導感知と視界は矛盾していない、つまり、これらを事実だと仮定すると、僕の周りには何も存在しないことになる。
そんなことがあり得るだろうか?
あり得るとすれば、ここはさっきまで? いや、僕が生きてきた世界とは違う場所という結論に達する。
ばかばかしいと思う心が萎えて、頭の奥がしびれていく。まさか───
腹の奥に燻っていた思いつきが、脳裏を支配した。
亜空間なのか?
僕が普段使っている魔導収納の収納先。
亜空間は、因果律が異なる世界。たとえ立ち入っても、何も影響を及ぼすことができない。時間軸が異なる世界。
そういう仮説を、脳内システムのドキュメントで読んだ。
ならば、亜空間の何物にも触れることはできないし、何かが僕を支えることもない。
呼吸ができないのは、そのせいか。苦しくないのは、よく分からないが、時間が過ぎていないのかも知れない。たいして功を奏していないが、じたばたと身動きできていることは矛盾する気もする。だが、そもそもどういう原理かもわからないのだ。
魔力が受け取れないのも、当然のできごとか。
正しいのか誤っているのかすらわからないが、仮説は立った。
では問題は……この仮説に基づけば、どうすれば元の世界に帰ることができるかだ。なかなかに絶望的な状況だ。
我ながら追い込まれている。
溜息すら吐けない。
ふむ。
あれこれ悩む時間は、もう残っていないかもしれない。
急に窒息するかもしれない。
元の世界の時間経過が急峻で、僕だけ取り残されている可能性もある。長く居て良くなることはひとつも思い浮かばない。
であるならば、やることはひとつだ。
訂正しよう、思い付くことは他にない。
どんな副作用が起こるかもしれない。それでもアデルの居る世界に戻らないとな。
目をつぶる必要もない。闇を背景にシスラボ・シムコネを立ち上げた。
シェルを開いてワームホール! v0.2_13を呼び出す。
呼び出されたブロック線図の中程。
左右の大きなブロック群のすきま。それらを結ぶ細く一筋のパス。
ワームホールのワームホールたる所以。
亜空間内部に墜ちて行く部分だ。
そこに、伝達関数の箱がひとつ。v0.2_13以降のバージョンには常備している。というか、僕が付け加えたのだ。危険回避のために。
よって、取り除くことも可能だ。
クリックして中を開く。機能は単純、そのパスを通り抜ける物を選別することだ。
1番上の項目。
人間のフィルタリングを無効化へ。
名前を変更して保存。
わかりやすく、ワームホール v99.9っと。
とうとう、作ってしまった。どんな物でも紋章間をただ通すだけの魔術。もはや、人間すら除外することはない。
ぶっつけ本番だが仕方ない。どうせ試行しても、ここでは観測もできない。
起動───
僕の命を懸ける割には、随分貧相なトグルスイッチを弾いた。
ふむ。発動紋が現れない。ポゼッサーサブセットを有効化して以来初の出来事だ。
魔束密度が足らないのか。やりなおす───いや。今は僕の体内に残った魔力を費やすしかない。やりなおせば、じり貧だ。
全身の魔力を使って、1回きりの勝負。腹の奥底が熱く煮えるようだ。
魔力が巡る。
常闇の世界が燃え上がるように輝きだした。
†
バダバダバダ……
何の音だ。音?
髪が頬をくすぐる。風だ。風?
目を開くと、僕は青い面に向けて高速で進んで居る。
水面───
落下している。
目を閉じて、トグルスイッチを倒す。
ああ、僕の回りに魔力が存在しているぞ。
≪黒洞々 v1.0≫
設定、-3.0。
グフッ。
肺にたまっていたものを吐き出した。
急制動が掛かって、風とローブのはためきが収まっていく。
落下速度減少に連動して、負の重力を低減。
10秒ほどで落下が止まった。
「ここは?」
声が出た。無意識に呼吸している。特段苦しくはない、吸い慣れた大気だ。
どうやら元居た世界で間違いない。魔導が伝わってくる。
この輪郭。アーロ湖だ。
時間は……ああ、10時35分だ。
はあぁぁ、助かった。アデルを泣かさずにすみそうだ。
あそこが本館で、そこから北へ3つめの棟。あそこだ。
負の重力を斜めに変えて、ゆるやかに落下しつつ、目星を付けた建物に向かう。
湖の汀で、黒洞々《シュエラー》を切った。
うっ。
気が付くと、膝を砂浜について、肩で息をしていた。
子供の頃、魔術を使い始めた頃と同じ。魔力を相当消費したようだ。
しかし。
ヴィラへのわずかな道程を、大汗を掻きながら進む。窓から中をのぞくと、そこにはアデルの大きなカバンが見えた。
「はぁぁぁぁ……」
†
───胞は 圏外に出たか
───もはや手が届かぬ
───覚醒は
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訂正履歴
2024/07/17 誤字訂正
2025/04/11 誤字訂正 (むむなさん ありがとうございます)
2025/04/14 ワームホール魔術の記述変更(徒花さん ありがとうございます)