13話 日曜学校
書き溜めた在庫が少なくなってきましたので、次話以降、基本は火曜日、木曜日、土曜日に投稿いたします。よろしくお願いいたします。
昨夜、母様が僕に命じた用件は、この路地の先で待っている。
伯爵様の城、エミリー城に続く坂道前の大道から一筋南。
黒々とした尖塔の下、大きなアーチが連なる石造りの構え。エミリア聖堂。
さっきまで見えていたお城の築城と同時代に創られたと聞いている。それもそのはず。ここまでは大きくはない旧聖堂という物があったそうだが、その跡地には城が建っている。竜穴の所有者が、教会から伯爵様に移ったということだろう。
そんなことが頭をかすめた。だが今日ここに来たのは、全く関係のない用件だ。
僕と同年代、もしくは僕より幼い子供たちが向かっていく先は、大聖堂の脇にある建屋。
つまりは、日曜学校だ。
もうすぐ鐘が鳴るだろう10時から12時までは、僕たち最上級生向けの授業が行われるのだ。
怜央のせいにするのは悪いかもしれないけれど。彼の記憶や知識を得てから、どうにも信仰心が薄れてしまって。日曜学校を含め、礼拝にも足が遠のいてしまっている。前に来たのはいつだったか、1カ月ぐらい前かな。今日だって来たくはなかったが。
ここまで来たのだと心を決めて、人の流れに乗り、建屋に入る。
教室の後ろ扉から入り、小さい黒板へチョークで自分の名前を書く。そして、あらかじめ積んである、誰のとも分からない手垢にまみれた教本を一冊取る。今日は算術か。歴史とかじゃなくて幸いだ。
顔見知りが何人か居るが、軽く会釈するに留め、人気が少ないであろう中段の廊下脇の席に着く。
このクラスは、全員出席したとしても30人程。さらにそれほど出席率は高くないから、全体が埋まることはない。一番後に座って居ると、かえって悪目立ちするのだ。
あとは、授業開始までは寝たふりをして。それからは脳内システムのドキュメントを読んで、2時間をやり過ごそう。
「あっ、レオンちゃん!」
来たか。
幸い眼は閉じている。このまま気が付かないフリで居よう。
「レオンちゃん」
残念ながら、音源がすぐ横まで来た。どうやら、あきらめてはくれないらしい。
「おい! レオン、お嬢様が声を掛けているだろうが!」
あまりの大声に、教室がざわついた。男声だ。
「ベッセル。大声を出さないで、みんなの迷惑だわ」
「ヘい。すみません。お嬢様」
しかたない。
机に突っ伏していた姿勢から、緩慢に立ち上がる。顔を上げると、優雅で見目麗しい娘と正対する。
レナード商会のご令嬢だ。
「これはこれは、エイルさん。ご機嫌よう」
片足を引いて、慇懃にあいさつする。
「うん。おはよう。レオンちゃん。でも、エイルさんなんて、よそよそしいわ」
そう、親類だ。
彼女の祖母の弟さんは、ウチの爺様の妹の旦那さんだ。血の交わりはないな。
狭い町の中のこと。彼女とはおさななじみだ、同い年だけど、生まれ月が半年早いせいか、僕のことは弟相当のように思っているみたいだ。
彼女の家とは、広く言えば商売敵だが、レナード商会の商品は主に食料品で、衣料や高級物品を扱うウチとはあまり被っていない。
だから、よそよそしい理由は別にある。
エイルの両脇に居る大柄の男たち、彼女の取り巻きだ。たしか、レナード商会の出入りの大農家の子供。その次男だったか三男だったかのような気がする。
「日曜学校に2カ月半も来ないから、この間おば様にお目に掛かった時にお話ししたのよ」
あれ、そんなに怠けていたかな。
「ええ。昨夜母より、登校するように命じられまして」
彼女が母様に、ご注進したのか。
「それは良かったわ」
笑うと、美しさが際立つね。
まあ僕の好みはもう少し年上だから、彼女というか同年代の女子には、あまり異性としての魅力を感じない。やっぱり怜央の影響だろう。彼は23歳だったらしいからな。属人的な記憶はほとんどないけれど。
とはいえ、別に彼女のことは嫌いではない。ただ日曜学校で会う場合、取り巻き連中がうっとうしいだけだ。
「それでは」
これ以上は話がつながらないと思ったので、再び席に着く。
「じゃあ、レオンちゃんの隣に座るわね」
えっ?
「お嬢様。それは……」
「あら、なにか?」
取り巻きたちが苦情を訴えかけたが、エイルのひとにらみで大人しくなった。
だからといって、僕の方をにらまないでほしいのだけれども。
席は長椅子なので座ることはできる。
「いや。未婚女性は他家の男子と席を、同じくしないのではありませんでしたか?」
「あら、私とレオンちゃんは親類でしょう?」
そこまで言われば、いたしかたない。
廊下側にずれて、彼女が座る場所を空ける。
「ありがとう」
しなやかに腰掛けると、僕を見てにこやかにしている。
何か話題は。そうだ。
「ハイン兄さんは、元気だよ」
「ハインさん? ああ。そう」
特に心が動いていないように見える。
ハイン兄には、あまり興味がなさそうだ。彼がここを卒業する前は仲が良かった気がしたのだが。
「司祭様がお越しになったわ」
彼女の言う通り、聖衣をまとったジェフリー司祭様が教室の前方に入って来た。
「おはよう、皆さん。今日は算術ですね。前回は教本24ページまででした。25ページを開いて」
25ページ。ふと、隣を見ると既に当該のページが開いている。エイルは、ちゃんと毎週出席して、真面目に受講しているようだ。
教本のページを開くと、時間と距離と速度と書いてあった。エイルの関心が教本に向いたようなので、再び目を閉じて内職再開だ。
脳内システムで魔術ドキュメントを読み始めた。
†
「レオンちゃん。レオンちゃん」
ささやき声とともに肩を揺さぶられた。
いや寝てないって。目は閉じているから見分けは付かないと思うけれど。
しかたなく目を開ける
「あら、起きていたの?」
おっと、少し声が大きいぞ。
「エイル殿!」
「はい」
言わんこっちゃない。
司祭様に応えて、エイルが起立した。
「授業中に、私語とは感心しませんな。優等生のあなたらしくもない。よろしい。立ったついでに、問5を解いてください」
「えっ、あの」
問5ね。
池のほとりに、兄妹が住んでいました。池の周りを兄は30分、妹は45分で回ります。兄が先に家を出て10分たちました。今から妹が逆回りに回り始めたら、2人が出会うのは何分後ですか?
なんというか。問題のための問題という感じで、現実味がない文章だな。ここの水準だ。加減速のことは、考慮しないで良いのだろう。
「どうです? 今日の授業を聞いていれば、計算できるはずです。それとも前に来て黒板を使いますか?」
私語の反省を促すためだろうが、そこそこ意地悪だな。
「12分」
隣に居る彼女にしか聞き取れないくらいの音量でつぶやく。
「黒板は結構です。答えは12分です」
「ほう、正解です。皆さん、エイル殿に拍手を」
教室に手をたたく音が響き渡った。
さすが、お嬢様とはやす声も聞こえる。
「どうぞ座ってください。しかし、私語は慎んでください。ああ、レオン殿も同様に」
おっと、ばれていた。
「では、正解まで至った人は、少ないようですね。隣同士で教え合ってください。それでも分からない場合は挙手を」
司祭様の言葉で、教室が騒がしくなった。
「レオンちゃん。ありがとう。助かったわ。寝ずにちゃんと聞いていたのね」
聞いてはいないが、寝てはいないので、あいまいにうなずく。
「じゃあ、どうやって12分になるか、教えて」
しかたない。
ペンを握って、式を書く。
(1-10×1/30)/(1/30+1/45)=12
うーんとうなって彼女は計算を始めた。数分後。
「この式の答えが12になるのは、わかるけれど。意味が分からないわ。大体距離が分からないのに、何で解けるの。もっとくわしく」
うわぁ、面倒くさい。
「えーと。問5では、距離は必要ない」
厳密に言えば、距離と言っている限り、0や負の長さってことはない。
「そんなわけ……」
代数の作法で距離を未知数と置きたくなるけれど、日曜学校では代数は習わない。地球の14歳なら中学2年生だから、ばりばりに使っているけどね。意味のない知識が流れてくる。
「まあ、確かにちょっと意地悪だけどね。この大本の分数だけど、分子分母の両方に距離が入っているから、0より大きければ何でもいいんだ。だから1にしている。単位を付けるなら1キルメトでもいい」
首を捻っている。どうも釈然としないようだ。
「じゃあ、2キルメトにしよう。これでも答えは同じでしょ」
(2-10×2/30)/(2/30+2/45)=12
1分後。
「本当だ。なんで? 距離が変わっても、出会う時間が同じなんて」
「距離が2倍になっても、歩く時間が同じだから、速さも2倍になってるってことだよ」
「うううう。まあ、なんとなく。でも、なんだか、だまされているみたい」
わざわざ、そんな面倒くさいことはしない。
「それで、距離は片付いたから、前の式に戻るね。分子は距離だよ。1から兄の速度1/30に既に10分進んでいるから都合10/30を引いてる」
「あぁ、そういうことか」
「それで、分母の方は、兄の速さと妹の速さ1/45を足したのが、全体の速さなので、分数は時間になる」
「ええぇ? 逆方向に進むのに、なぜ速さを足すのよ?」
いや、いや、いや。きっちり1段階ずつ引っかかるね。まあ疑問に思うのは悪くないが。
「じゃあ、離れた位置からお互いに近付いてくる場合と、先に行ってる人を追いかける場合、どっちが早く出会う?」
「そりゃあ、近付いてくる……ああ、そうか。池の周りを回るのだから、近付くのか。そうかそうか、分かったわ」
ふむ。順序立てて丁寧に説明すれば、理解できるのか。地頭は悪くなさそうだ。
「やっぱり、レオンちゃんは賢いわね」
エイルの笑顔の向こうに、取り巻きたちの険しい顔が見える。
†
長い授業が終わり、司祭様が教室を出て行かれた。
「レオンちゃん、今日は楽しかったわ。お昼はどうするの。ウチに来て食べる?」
「いや。今日は予定があるので、真っすぐ戻るよ」
家に帰ってから、魔術の練習に行くだけだけど。予定は予定だ。
「あら、残念。じゃあ、いつでも遊びに来てね」
「じゃあ」
廊下側から抜け出すと、教本を積み上げられた山に戻して、そそくさと教室を出た。
それにしても、取り巻き連中、苦々しい顔つきで僕を見ていたなあ。エイルが居ないところで会ったら絡まれそうだ。
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訂正履歴
2023/10/01 少々加筆