113話 魔導鏡(下) 分数の扱い方
分数。小学校で分数の授業が始まった頃。しばらく学校を休んだ。休み明けに例えば1/2とかの概念が理解できなかった。分数を数値ではなく演算子(その言葉はしらなかったけれど)と思い込んでいたので、1/2と言われて何の1/2なのか?という疑問が残り。1/2+1/4とか、いやいや、何の1/2と何の1/4かわからないのに、答えが出せるわけがないとかしばらく悩んだ遠い思い出(長いって)。
工学部の実験室。
ターレス、リヒャルト両先生が部屋に付いてくれているが、光学科の先輩は居ない。もう反射率測定魔道具を自分で使えるようになったからね。
「レオン君。それか?」
「はい」
木製の丸棒の先に、直径50ミルメトほどの輪が付いている物をターレス先生に手渡す。その横に近付いたリヒャルト先生が、そろって眉をひそめた。
「小さい手鏡というか、その枠だけのように見えるが。この輪の中が鏡になるのか?」
「そうです」
「ほう。魔術で鏡とは聞いていたが、枠だけで何もないとは思わなかった」
「確かに」
「ちなみにその輪は魔術と関係がありません」
「はっ?」
「端に触ると、鏡面の平面度に影響が出るので、その目安に付けています」
「ふむ。まあ実際に見て見ないとよく分からないな。一度起動してみてくれないか」
「そうですね。起動します。いったん戻してください」
「わかった」
受け取って念を込める。
≪アクティベ≫
「どうぞ」
リヒャルト先生に渡す。
「おお、すごい。私の顔が……ああ、ターレス先生、どうぞ」
先輩講師に渡した。
「うむ、むぅ」
喜びかけたターレス先生の顔が曇った。
「うぅぅむ。確かに魔術で鏡面を作るのは、すごい。すごいこととは思うが」
「先生?」
「だが見るからに暗い」
「そう言われれば」
「反射率はざっと0.8というところじゃないか?」
「そんなところですか。既存の鏡より低いですね」
「あぁぁ、いや、悪い。新技術だものな、これから改良するというわけだな」
先生が、少し哀れむように、励ますように僕の顔を見る。
「はい。もちろん改良はしていきます。しかし、反射率については、第1段の目標を達したと思っています」
「いや。君は0.99と言っていたじゃないか!」
すこし語気が上がった。真面目だからな、先生は。
「まあまあ、先生。興奮なさらず。レオン君には、成算があると思いますよ」
「むう。しかしだな」
「先生よりも、少し付き合いが長いですから、確信があります。彼は詭弁を弄するようなことはしません」
「先生、実はその反射率なんですが」
「いや、説明を聞く前にだ。ここに測定魔導具があるのだ、ともかく測定しよう」
「……はい」
ちゃんと説明を聞いてもらってから、測定したかったのだけど。まあ仕方ない。
「待ってくれ。公正のため、私が測定しよう」
ターレス先生は、魔導具の2つある暗箱の1つを開け、可動部に魔導鏡を光軸を調整しながら固定した。
「では測定する」
「いや、先生……」
「レオン君。ターレス先生に任せよう」
「はぁ、はい」
まだ不完全な状態なのだけど。1つずつ見て貰うか。
測定が始まると、先生がレンズをのぞき込んだ。
ターレス先生の表情がますます強張っていく。
1条件目の結果を紙に書き込むと、先生は僕を睨んだ。
もう、おおよそ結果は決したいうことだろう。しかし、そこで手を止めることはなく、先生は全ての条件を測定し終わった。紙を見ながら、平均値を計算されている。
「残念ながら、反射率は平均で0.78だ。どう目標を達したのか、説明してもらおうか!」
いやあ、怒っていらっしゃる。
「申し訳ありません。やはり先に説明すべきでした。実は、もうひとつ魔道具を使わないと、この研究での意味を成しません」
「どういうことかね、測定に細工するということか」
「細工というか、この魔導鏡の時間平均反射率は、先生が仰った通りなのですが」
「むぅ!」
「ん? お待ちください。先生」
「なんだね、リヒャルト君!」
「レオン君は、聞き捨てならないことを言った気がします」
「んん?」
「条件ごとの平均ではなく、時間平均と言ったよな」
「はい」
「時間平均? 説明してくれ」
「レオン君」
「はい。この魔導鏡の反射率は、時間で変動するのです」
「変動?」
「はい。反射率が、ほぼ1から0.5程度の間を変動します」
「むぅぅ……」
「あっ! 変動するから、時間に対して平均すればターレス先生が測定された値0.78ぐらいになるというわけか?
「その通りです」
「ふーむ。魔術だとそういうことがありうるのか。しかし、そもそも私には変動しているようには見えないのだが」
「変動しているように見えないのは、人間の目では追えないほど高周波数で変動しているからです」
「ふむ。人間の目は1秒間に100周期以上は追えないと言われているが、それ以上ということか」
「はい」
逐一尋ねてくるリヒャルト先生と対照的に、ターレス先生はますます眉根を寄せて、深く考え込んだ。
「レオン君が、言ったことはわかるが。その平均的な反射率が低ければ、鏡としては結局性能が低いということではないのか?」
「一般的にはそうだろうと思いますが、僕の目的に対しては違います」
「すまん。私にはわからない」
リヒャルト先生も天井を仰いだ。
「僕の目標を達していることは、この測定方法ではわかりませんが、すこし手を加えると実証できます」
「んん?」
「よろしければ、実証しますが」
「待て、待て、何をするつもりだ。この測定魔道具は工学部からの借り物なのだから……」
「大丈夫です。壊したり、回復できなくなるようなことにはなりません」
先生方は、顔を見合わせた。
「いいだろう。やってみてくれ」
リヒャルト先生もうなずいた。
「ありがとうございます。使うのはこれです、先程と同じ形ですが、全く違う物です」
魔導収納から取り出す。
「ああ」
「形は同じように見えるが」
起動して、2人に見せる。
「はい。魔導で張る境界が違います。起動しました」
「んん? なんか、鏡面の向こうがうっすらと透けて見えないか?」
「ああ、たしかに」
「鏡面じゃないのか?」
「はい。光をある程度吸収して、残りの大部分は乱反射させています。光源の暗箱を開けて、これを光源と透過口の間に固定します」
「ほう」
ターレス先生は首をひねっている。
「以上で、準備ができました」
第1の暗箱の蓋を閉じた。
「では測定します」
「いや、私がやる」
「はっ、はい。お願いします」
ターレス先生のけんまくに少し押された。
測定魔導具を起動して、先生がレンズをのぞき込んだ。
リヒャルト先生が、笑ってこちらを見てる。ええと、これは。僕を信頼してくれているということかなぁ。
「何だと!」
「どうされました? 先生」
「ああ、いや、最後まで測らせてくれ!」
「もちろん。どうぞ」
しばらくすると、ターレス先生は顔を上げて集計を始めた。そして、こちらをますます強く睨まれた。
「ふーむ。あり得ない」
「いやいや、先生。反射率はどうだったんですか?」
「ああ、0.992以上だ」
「以上?」
「この測定魔道具の測定上限値を超えている。どういうことか説明してくれ。レオン君」
「はい。一言で言えば分数です」
「分数?」
「先生には失礼な説明ですが」
「そんなことはどうでもいい。続けてくれ」
「はい。この測定魔道具は複数の条件を平均するので複雑な手順ですが、要は魔石が入っている第2の箱、そこに入ってくる光量で、鏡から反射してくる光量を割ります」
「ああ」
「だから分数なわけですが。この分数を1に近付けるにはどうするか」
「分子を増やすしかないだろう」
先に言われた。
「ええ、普通はそうです」
「普通?」
「そうか。分母を減らしてもいいのか」
「いやいや、リヒャルト君。算術上はそうだが、分母を減らしてもだな、反射率は変わらないのだか……いや、反射率は変わるのか! んん! あっ、ああ……」
「先生、何かわかったのですか?」
「魔術の方はさっぱりだが、やっていることはおぼろげながらにな。つまるところ鏡の変動する反射率がほぼ1の時のみ、新しく入れた魔道具が光を通すのだろう?」
「はい。おっしゃる通りです」
さすがだ! 僕が数日間で考えたことを一瞬か。
「そうかあ、なるほどな。いや、そうか、そうか。確かに、この方がレオン君の目的に適う」
「ちょっと先生。ひとりで納得しないでくださいよ。私にも説明してください」
「なに。さっき君が言った通りだよ、リヒャルト君」
「へっ?」
「分母は光源の光量ではなく、あくまで透過口を通過する光量だ。つまり、光源と透過口の間に入れる魔導具。ややこしいな。新しく入れた魔道具をなんて呼べば良い?」
「では、シャッターとお呼びください」
とっさに思いついた単語を答えた。
「シャッター? 何語だ? まあいい。鏡が反射率が高いときは、そのシャッターを透過させ、反射率が低いときは閉じるんだ」
「ほうほう」
「つまり、断続的な光源になるわけだ。だから分母が減って、光量は減るが、率としては関係ない。反射率は1というわけだ」
「ふぅむ。はぁぁ、そういうことですか。つまり後から入れたのが白っぽかったのは、遮るのが目的だから。鏡と同期できてさえいれば、反射でも吸収でも構わないと言うことですね」
リヒャルト先生も察しがいい。
そう。刻印魔導具が用途の鏡は、選択的に反射率が1に近ければいいのだ。その真意は後々でなければ意味を成さないが。
「おもしろいな。レオン君。短気になって、悪かった」
「いえ、ご理解をいただけてよかったです」
「次は光源だな」
「いや、そうなんですけどね。あっははは」
「そうですよ、鏡のように一歩一歩進みましょう」
「いやあ、この鏡の一歩は途方もなく広いぞ」
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訂正履歴
2024/06/08 細々訂正
2025/04/05 誤字訂正 (長尾 尾長さん ありがとうございます)
2025/04/11 誤字訂正 (むむなさん ありがとうございます)
2025/04/24 文章修正 (十勝央さん ありがとうございます)
2025/05/06 誤字訂正 (アルピーさん ありがとうございます)