閑話3 虎の尾を踏む
虎を使った慣用句は多いですねえ。
王都西区にある軍務省。軍務局の庁舎の一室。
制服に1つの星を持つ階級章を着けた男が、大きく開いた窓を背に座っている。5月も後半に差し掛かり、暑いのだろう、盛んに自らを扇いでいる。
扉が3度鳴った。
「失礼します。次長閣下」
「うむ」
敬礼したのは部屋の主の副官だ。
「報告します。サロメア大学関連の調査結果が出ました」
「聞こう」
「はっ! まず、第1の対象である魔導学部長エドワード・ハーシェルですが。サロメア大学より前の教員の履歴の記録がありません」
「なんだと?」
「それが突如、学部長に着任しました。これは教育省の指示のようです」
「むう」
「出自は地方の同名の伯爵家に連なる一族であることが分かりました」
「伯爵? 当主ではないようだが?」
地方の伯爵当主であれば、領主であることを示す称号【デュ】を名乗るのが通例。伯爵家であったとしても、当主でなければ、どうということはない。次長は突き出した腹の上の胸を撫で下ろす。
「はい。ただ、姉が教育相の一族に嫁いでおります」
大臣の顔が次長の脳裏をかすめる。
「大臣の引き立てで成り上がったということか?」
「はあ。それと、着任は5年前のことですが、その翌年、紀元486年。例の軍人育成費の勧告が出ます。同年より軍籍学生の受入数がほぼ半数になっております」
そちらの方は、軍務省内部の話なので、すぐさま内容が把握できた。
なかなかにまずい状況だったようで、更迭された高官が数人もいる。軍は金を使うだけで基本的には収入を得ない組織だ。ゆえに独立性が高い財務当局には弱い。
予算を絞られると、内部で責任追及が始まるのだ。
「つまり、対象は教育者としてではなく、大学と軍と切り離すべく、教育省の密命を帯びて、着任した可能性が高いというという訳か?」
「財務省とのつながりも疑われます。理由は詳らかではありませんが、同大学の多くの理事と学長も交代が起こっています」
「わかった」
「はっ! 次に第2の対象、レオンという学生ですが」
「うむ」
「出身はエミリー伯爵領エミリア。国内中堅どころの商会であるリオネス商会の創業者一族です」
「商人か?」
「はい。なお同人は男ばかりの第3子ですので、この年初で独立したことになっております。ですが、いまだ結び付きは強いようです」
「おどかしおって、商人か。こっちは気に掛ける必要はなさそうだ……ん? そういえば、リオネスという名を最近聞いた気がするが……」
「はい。王都の国立劇場に照明魔道具の取引をしたという件ではないでしょうか?」
「ふぅむ、そうかもしれない」
「なお、その一件は王太子妃殿下のお声掛かりという話でした」
「王族か、くぅ……」
「続けてもよろしいでしょうか」
「ああ」
「ご指示のありました、奨学金の件です。後援団体は、ラケーシス財団と判明しました」
「ラケーシス……それで、どんな財団だ?」
「はい、総務課に照会したところ、かなり古くからある財団である以外の情報は得られませんでした。いかがいたしましょう。ひきつづき……」
「いや。ここまでで十分だ。ご苦労」
「はっ! では失礼いたします」
状況を総合するに、さらなる手出しは危険だ。次長は見た目にそぐわない危機回避の勘を発揮した。しかし、あらぬところから、反応があった。
2日後。
「失礼いたします」
部屋に見覚えのない士官が入って来た。
階級章は少佐だ。
「初めまして。小官は情報部3課の者です。名は……名乗らぬ方が閣下のお為と存じます」
「むう。情報部3課?」
痩せて癇の強そうな顔。酷薄そうな目鼻立ちが、所属を納得させる。
「はい」
情報部は軍務省内でも独立性が高く、軍務大臣直属の機関であり、3課は国内治安維持目的の諜報部隊だ。
「何の用かな? 当方に特段の心当たりがないが」
「でしょうな。では、今日は、新たな次長閣下に示唆を伝えに参りました」
「示唆?」
「ご忠告と言い換えても構いません」
「むう」
「では、用件を申し上げる。閣下の副官がラケーシス財団のことを総務に照会されましたな」
否定するのは無理だな。次長はそう判断した。
「ああ、その通りだ」
「そうですか」
ふうと少佐は息をついた。
「当該の財団には、関わらないことを強く勧めます」
「なんだと」
「軍務局次長といえども、ことを構えるのは言うにおよばず。むやみに嗅ぎ回るだけでも、ただでは済まないということです」
「ラケーシス財団とは、それほどのものなのか?」
「はっははは。ですが、興味も示されぬ方が身のためです。2度とは申し上げません。ご忠告はいたしました。退役まで健やかにお過ごしされることを望むのであるなら……お分かりになりましたね」
「あっああ……感謝する」
「では、失礼いたします」
情報部の男は、踵を返して部屋を出て行った。
くう。手を出さねば良いかと思ったが、そうも行かないようだ。
迅速に手配せねば。
† † †
「あそこは!」
魔導学部の教務棟。長い廊下の向こう。教員の個人部屋の前で、大勢が屯している。
同学部の助手、レムザは色めき立って走り寄った。
「なっ、あんたら何をしているんだ!」
訊かずとも、廊下には木箱が並び、部屋から荷物を運び出しているのは明らかだ。
教員ではなく、職員。総務部の者達だろう。
「ん? 何って。事務長、教員の方がみえていますが」
開いている扉へ向けて叫ぶと、中から事務長ブルトスが出てきた。
「おや。レムザ先生ではないですか」
「これはどういう。この部屋、ジェラルド准教授の部屋ですよ」
「もちろんわかっておりますよ」
事務長は廊下の左右をゆっくりと眺めると、声を顰めた。
「そういえば。先生は准教授と組んでいらっしゃいましたな?」
「はっ、はあ……」
「今のご様子ですと、先生もご存じでないようですな」
「はっ?」
「数日で人事が公表されるのでよろしいでしょう。准教授ですが、軍を通じて辞表を出されました」
「辞表! バカな!」
「声が大きいです」
「すっ、すみません」
「私も同意見です。辞表には、軍に戻られると書いてありましたが」
「この時期にですか?」
「ええ、学生の評価を付けねばならない、大切なこの時期にですよ。まあ、大学祭以降、無断欠勤で休講が続いておりましたからな。何か変だとは思っておりましたが。困ったものです。このような短期間では後任を据えるわけにもいきません。先生にもご協力をお願いしますよ」
「はっ、はあ」
「それでご覧の通り、准教授の荷物をまとめて軍に発送せねばなりません。んん、先生! 先生!」
レムザは、廊下を走り出していた。
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2024/06/05 誤字訂正(1700awC73Yqnさん ありがとうございます)
2025/04/07 誤字訂正 (是名 秋彦さん ありがとうございます)
2025/04/09 誤字訂正 (布団圧縮袋さん ありがとうございます)
2025/06/15 誤字訂正 (笑門来福さん ありがとうございます)