11話 家事手伝い
憧れの職業?名です。
「できました」
立ち上がって、計算書を支配人ベガートさんの机に置く。
今日は経理仕事の手伝いの日だ。
「あいかわらず速いですね、レオン」
彼は、僕が書き上げた物を手に取ると、綴じたページをめくりだした。彼は商館のここ、事務部屋では僕のことを殿とか君とかを付けずに、名前だけで呼ぶ。
商会の3男坊ではなく、レオンとして働いて居るからだ。もっとも従業員ではなく見習いだけれど。それなりの給金をもらっている。
目を閉じると、脳内システムの時計は11時25分だった。最近のことだが、便利そうだったので常時表示にした。僕の働く時間は、週3日、9時から12時まで。まだ30分ほど残っている。朝、命じられた仕事は、全てが終わった。この計算書が最後だった。
「ええと。何か他に仕事があればやりますよ」
この部屋には、ベガートさん以外にも経理の従業員がいる。
「はいはい、レオンさん。もうちょっと待ってくれますか。こっちの計算書が上がりますから、検算を」
「はい。わかりました」
少し離れた席の若い男に肯く。
「ルッツ。レオンに検算させる前提で、計算をおろそかにしないように」
「もっ、もちろんです」
回りを見回したが、あとは反応がない。自席に座り直して眼を閉じた。ここで働き出してからそろそろ2年か。手伝いを始めた頃、ベガートさん以外は、いくら会頭の三男坊だからといって、12歳のガキに経理をやらせるのかよという顔をしていたが、だいぶ信用を得られてきた気がする。
仕事を始める少し前のことを思い出した。
†
「おっと。誰かと思えば、レオン殿でしたか」
本棚に挟まれた窓から夕暮れ時の陽光が差し込んでいる。映し出した顔は、ベガートだった。
「あのう、ここに出入りすることは、母様に……」
ここは、商会の本館にある資料室だ。商会の古い事業資料の他、お爺様が集めたたくさんの本が収蔵されている。
魔術のドキュメントを読むのは楽しいけれど、半日も読み続けるとさすがに飽きる。そういう時は外出したいのだが、まだ付き添いが必要だ。係のウルスラの都合もあり、いつでもというわけには行かない。それで、敷地内でどこか気分転換できる場所はないかと物色したところ、たくさんの本があると聞いて、出入りの許可を母様にもらったのだ。
僕と商館の従業員達とはあまり接点はないけれど、ベガートはモーガン先生がお辞めになってから、春から簿記を教えてもらっていて顔見知りだ。
「いえ、それは構わないのですが」
僕の読んでいる本をのぞき込んだ。
「ほう、解析幾何の本ですか。失礼ながら、読んで中身はわかるのですか?」
「まあ、大体は」
元々算術は得意だったし、怜央の知識を得てからは、なおさらだ。制御ではさまざまな線図を使うし、伝達関数を決めるには運動方程式などの微分方程式などの知識も使うからな。
ベガートは、小さくうなってから顎を摘まんだ。
何だろう。
「ならば。簿記などレオン殿には簡単でしたな」
「いや。方向性が違うと言うか、簿記は簿記で難しいところはあるよ」
王国における簿記は、地球でいう複式だった。
貸借対照表も損益計算書も、形式は違うものの記載すべき内容は同じだった。怜央は工学部だったそうだけれど、一般教養で習ったらしく知識に有った。
「レオン殿は、12歳でしたな」
「うん」
「そろそろ家事の手伝いをされるお年頃」
うなずく。
逆に遅いぐらいだ。2歳上のハイン兄さんも、おととしにはもう手伝っていた。
12歳と言えば、農家では当たり前のように一家の労働力となっている。商家の子でも小売りの場合は、接客を手伝っている子も多いそうだ。
「お小遣いも必要になりますな」
「まっ。まあ」
ウチは裕福だが、子には厳しい。普通に過ごしていては金などくれないのだ。だから、僕はまともに金なんか持ったことがない。
それはともかく、ベガートは何を言いたいのだろう。
「経理部門は、王都支店に人を出した都合も有りまして。数年前から新たに雇ってはいるのですが、有り体に言えば人材不足なのです」
「えっ。それは、僕に商会の経理の仕事を手伝えってこと?」
「はい」
「えっ、だけど」
経理の人間は、算術ができるだけでは務まらない。経験とそれに、金を扱うだけに人物というか信用が必要……ああ信用はあるのか、経営者の身内だからな。
「経理は専門性も高いため、商館内でも給金の高い方ですぞ」
いや、これといって欲しいものはないけれど。その表情が読み取られたのだろう。
「レオン殿は、まだお分かりにならないとは思いますが。金のないのは首がないのと同じ、などと世間では申します」
「首!」
「そうです。言うまでもありませんが、金よりも大事な物もあります。ただ、そうだとしても、金がなければ万事、悪しき状態に追い込まれやすいのが世の常。レオン殿もそう遠くない時期に、否応なくそう感じられるかと」
そうだな。僕も3年後には、15歳になれば、独り立ちしなければならない。ベガートが僕を殿呼びするのも、そう長くはない。
「わかった。いや、わかりました。よろしくお願いします」
引き受けたなら、この人は僕の上役だ。言葉は選ぶべきだ。
それにベガートさんは、僕が経理の仕事に耐える可能性があると思ってくれているのだ。期待に応えたいな。
「それは嬉しいですな。副会頭に話を通しておきます。では……ああ、ここに資料を取りに来たのでした。失礼」
支配人はにっこりと笑って振り返り、僕の横を通って資料室の奥へ行った。
†
「レオンさん。よろしくお願いします」
「はい」
いつの間にか、僕の席の前に立っていたルッツさんから、計算書と伝票の束を受け取る。もうあれから、そろそろ2年経つんだなあ。
計算書の表紙をめくり、数表を見る。いつもながら、綺麗な字だ。
王都支部における衣料仕入れの会計だ。計算書に焦点を合わせると、システムが立ち上がり、金額のところに多くの赤い四角枠が填まっていき数字が読み取られる。システムにあった光学式文字読取機能と自作ソフト組み合わせによるものだ。瞬く間に集計が進んでいく。
これを作る前は、計算よりシステムへの入力に時間が掛かっていた。ここでの仕事を始めて3カ月目ぐらいに初期バージョンを作って、何回か改善を施している。文字認識にほぼ間違いはないが、無作為に手計算で部分的に検算を実施する。まあ当然ながら間違いはない。
こっちは問題なしと。
計算書を置き、伝票の束をめくって突き合わせる。
これも、項目と金額を自動で読み取りシステムに記録する。紙の質が良くないので、あまり速くめくると、千切れそうなので速度を落としている。それでも数分で116件の読み取りが終わった。
116件?
計算書を見直す。やっぱりこっちは117件だ。
おかしいな。
計算書には、重複した項目はなく、数え直したが件数も合っている。ということは、こっちか。
飛ばしてめくってしまったか、2枚くっついているかだな。
さっきより慎重にめくり直したが、やはり116枚しかない。伝票がくっついても居なかった。計算書と突き合わせて見ると、78枚目と79枚目の間の項目がないとわかった。
「ルッツさん」
「はい。えっ? 何か間違っていましたか?」
彼は何度か瞬いた。
「計算書にある、灰色熊毛皮生地3枚という伝票が見当たらないのですが」
「いや、ありましたよ。確かに見ました」
まあ、そうだよな。前後とは項目が違うから、起こりにくい間違いだ。
「ですが」
「ルッツ」
左から声が掛かった。
「はい。支配人」
「君の机の下に、何やら紙が落ちているが」
「えっ?」
ルッツさんは、椅子を引いてしゃがみ込んだ。
「あっ、灰色熊毛皮……ああ」
声の主は、済まなさそうな声で立ち上がった。
「レオンさん、仰ったように、一枚の伝票が外れて落ちていました。申し訳ない」
「ああ、いえ。見つかって良かったです」
彼から伝票を受け取り、千切れた穴にひもを通して、破れた部分に別の紙を貼って補修する。
僕は、支配人さんの顔を見た。
「なんでしょう?」
「こちらの検算が終わりました。間違いは見つかりませんでした」
計算書と伝票の束を、彼の机に置いた。
この人、僕が検算を始める前から、伝票が一枚落ちていることに気が付いていたよな。それで、黙っていたと。
「そうですか。ごくろうさま」
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訂正履歴
2023/10/07 人名間違い レガート→ベガート
2025/03/27 誤字訂正 (白鉛さん ありがとうございます)
2025/04/12 誤字訂正 (asisさん ありがとうございます)