ついに出た「天の川のはぎれ」
なるべく人目につかないように、と思いながら狭い路地を抜け、遠くに車の明かりが見えればそっと身を隠し――というようなひどく神経のいることをしているうちに、とうとう夜中の二時になってしまった。
昼間なら三十分もあればつく距離にある「入らずの林」の前についたとき、僕は達成感よりも、徒労と疲労のほうが湧き上がってくることに気付いて、ため息をついてしまった。
「なんか、損した気分だなあ」
果たしてどれほど不気味なものか、と期待をして向かった「入らずの林」が、よりにもよって今夜が雲一つない星空だったということもあって、恐ろしい――というよりはちょっとムードのある、それこそノルウェーあたりで見られそうな趣に仕上がっていたのも、いくらか肩透かしを食ったようで気にいらなかった。
「天体観測でもするような人なら、ムード満点でいいんだろうけどなあ」
周囲の街灯がさほど明るくないことも手伝って、どんどんと夜目に慣れてくる僕の視界には、明るさも大きさもまちまちの星空が憎らしいくらいくっきりと映っていた。道すがらに買ったジュースを片手にしばらく空を見ていると、さすがに眠くなってきた。
「早く帰って寝よ……」
夜も深くなってきているから、さっきに比べれば寝ている人の数の方が多いに違いない。そう思いながら、行きに比べて大胆な調子でペダルを漕いだのがよくなかった。
「――やばっ」
まっすぐ行けば大通りに出る、大きな踏切の真ん中で、ポケットに突っ込んだ小銭入れがズボンから落ちてしまった。その場で止まるには速度が出すぎていて、対岸へ自転車を置いてから引き返すと、僕は渡り板の上へ家から持ってきた小さな懐中電灯の光を浴びせ、懸命に財布の行方を探した。
やがて、真っ黒い渡り板とレールの間に緑色をした小銭入れが挟まっているのに気づくと、僕はほっと胸をなでおろして、今度は落ちないように、上着のポケットの中へとねじ込んだ。
「さあて、さっさと帰って――」
ひとり呟きながら振り返り、自転車の方へ戻ろうとした時だった。
「……ん?」
一瞬、僕は目の前で何が起こっているのか理解できずに固まってしまった。新幹線の高架線の下、小さな堀川沿いの道からこちらに向かってぼんやりと光りながら近づいてくる、淡い輝き――。蛍にしては時期が早いよな、という考えが回る程度に落ち着いたころになって、僕の脳裏に、いつか羽佐間が話したあの言葉がよみがえってきた。
――天の川のはぎれ』に出くわすと、片足持ってかれちまうらしいぜ。
「……あれか!」
学生服の下で、鳥肌の立つのが分かった。噂になっている怪しい光の群れは実在する代物だったのだ。感動にも、驚愕にも似た感情が僕の胸の内でどんどん濃くなっていく。
それと同時に、僕の頭にはある考えがふつふつと湧きだした。こいつの正体はいったい何なのか、ということである。
蛍と比べれば遥かに明るいが、水銀灯やナイターランプのような激しさはない。なにか珍しい昆虫が日本に渡来してきたのだろうか……?
あれやこれやと考えるうちに、僕はいつしか、渡り板の行列の上をふらふらと歩き始めていた。あの光はいったいなんなのか――さんざん苦労してここまで来た徒労感などはどこかへ消えて、頭の中はその正体を見てやろう、ただそれだけに支配され、ますます歩みも早まっていく。そして、
「――わあっ!」
線路の下をくぐる、堀川の上にかかった小さな鉄橋へ差し掛かったところで、僕は片足を枕木の隙間にとられ、盛大に転んでしまった。とっさに手をつく暇もなく、上半身を鋼鉄製のレールでひどく打ったせいで、立ち上がる気力もわかない。じわじわと迫る痛みがいくらか落ち着くのを待ちながら、僕は頭の上でちらちらと輝く、その光の正体を見届けようと必死に目を凝らした。だが、数メートルばかりは距離があるせいで、一向に姿形がわからない。
「――あんなの追いかけたら、こうもなるよなぁ」
尾ひれのついた噂話と思っていたけが人の話が事実とわかって、やり場のない怒りをこぶしに込めてレールを叩く。すると、それを待っていたかのように、心臓に悪い音が僕の前後から高らかに響きだした――。
「しまった――!」
年季の入ったベル式のチン、チン、という警笛と一緒に、跳ね橋のようにあがっていた遮断機がゆっくりと下がり始めたのだ。体の痛みこそ抜けきったものの、はまり込み方が悪かったのか、いくら頑張っても右足が抜けない。
「――た、た、た……」
びりびりとレールを揺らして迫る貨物列車の存在にすっかり縮み上がって、たすけて、という声ものどでつっかえて出てこない。このままでは車輪の餌食になってしまう――。
たった十四年の人生が、あっという間に終わるような気がして、だんだんと血の気の失せていくのが分かった。