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駄菓子屋と後輩と、街のことと

 用を足して、ついでに切れかけのシャー芯でも買っていこうと購買のほうへ行ったときだった。見覚えのある背格好の後輩が、スッス、ススッス、スッススス……と、変な節回しの歌を歌いながら、刷りたてのプリントの束を抱えてこちらへ近寄ってくるのが目に入った。僕の近所に住んでいる一個下の後輩で、同じ委員会に所属している小見美子(こみみこ)である。

「よう、小見じゃんか」

「あ、蜂須賀パイセンじゃないッスか。おっすおっすです」

 普段なら右の手をぶらぶらと振ってくるのだが、両手がふさがっているのではそれもかなわないず、小見は代わりにプリントの山を上下させてあいさつをしてくる。

「危なっかしい奴だなあ。ちょっとは前見ろよ」

 山のてっぺんからショートカットの前髪を覗かせ、小見は困った顔で、

「ンなこと言ったって、これじゃあ見えませんよ」

 と、不機嫌そうにのたまう。

「しょうがないなあ……半分持ってやるからよこしな」

「すんませんねえ、こんなに刷る羽目になるとは思わなくて……」

 軽印刷機特有の、甘いカーボン臭がただようプリントの束を半分抱えると、小見と共に昼休みの喧騒が続く廊下をのっそりと歩き出す。謄写委員会という、学級だよりから自習用のプリント、先生お手製の副読本を刷るのを手伝うポジションにいる僕と小見は、よくこうして印刷物を運ぶことがあるのだ。

「定期試験以外の印刷を生徒に丸投げって、考えようによっちゃあ問題だよな」

「まあ、いいじゃないっすか。コッソリ漫画の同人誌を作ってる子もいるらしいですけど……あたしらには関係ないッス」

「ハハハ、そりゃいいや……」

 放課後、学級通信や学校だよりの印刷の際にこっそり行われているらしい秘密印刷のことで花を咲かせるうちに、小見のクラスの門前に到着した。

「じゃ、あとは任せたぜ」

「ハイハイ。ありがとやンした……。あ、そうそう」

「なんだい」

 帰りかけて後ろへまわしていた足を前に戻すと、小見がポケットから可愛らしい赤いがま口を出して、

「親戚のおっちゃんから小遣いもらったンすよ。放課後暇だったら、お礼にもんじゃ焼きおごるッス」

 という、ガラになく殊勝な提案を持ち掛けてきた。

「悪ぃねえ、じゃ、お言葉に甘えて……」

「ほんじゃ、裏門で待ってるッスよ」

 ペロッと舌を覗かせると、小見は手近にいたクラスメイトをしょっ引いて、

「ほらほらっ、サッサとプリントさばくっす~」

 元気にハッパをかける、その後ろ姿を一瞥すると、なりかけた予鈴に背を押されるように、自分の教室へと駆け足で向かった。案の定、シャー芯は買い損ねたが――。


 放課後、約束通りにプールのそばにある裏門へ向かうと、小見が下手なタップダンスもどきを踊りながら僕を待ち構えていた。

「あ、やっと来た。遅いじゃないですか」

「悪かったよ。羽佐間のやつに引き留められてなあ」

 羽佐間という名前に、あー、あの頭悪そうな人ですか、と小見は辛辣なことを言う。ついでに言えば、小見は機嫌の良しあしで口調が変わる特異体質の持ち主である。もっとも、小学生の頃から彼女のことを知っている僕でも、いまだにそのタイミングがわかっていないのだが――。

「ま、ひとまず来たからよしとしましょう。これですっぽかされてたら、バカ食いして請求書だけ突き付けてましたよ」

「ひでえなあ――」

「それは冗談として、サッサと行きましょう。早くしないと材料がなくなりますよ」

 学校裏の、電車道にほど近いところにある駄菓子屋は、僕の通う中学校のOB・OGならば一度は食べたことのある、もんじゃ焼きの名店なのだ。ちなみに、小見がやたらと急かすのには理由があって、数年前、近くに新興の住宅地が出来てからというもの、小学生というライバルが出現したのでウカウカしていると在庫を食いつくされてしまう懸念があるのだ。

 だが、幸いなことにこの日の駄菓子屋は客足が少なく、二、三人のランドセルを背負った上品そうな女の子たちがジュースを飲んでいる以外には誰もいなかった。それを幸いに、堂々と鉄板の置いてある座敷へ上がると、僕と小見は慣れた調子でもんじゃ焼きとソース焼きそばを頼んだ。

 六十過ぎのおばちゃんが奥の鉄板で焼きそばを焼いてから、こちらへ持ってくるのを待つ間、先に運ばれてきたもんじゃのタネを鉄板にぶちまける。そばの冷蔵庫から持ってきたオレンジジュースを飲みながら始まった世間話は、お互いの午後の授業の話から、じきに行われるプール開き、そして、あの「天の川のはぎれ」へと移っていった。

「――そういや、なんか話題になってますね。ま、夜中に外なんか出ないから関係ないんですけどね」

 ほどよく焼けたもんじゃをはがしながら、小見は息を弾ませてそれにパクつく。まあ、当然の反応と言えば当然の反応だった。

「そりゃあオレも同じだけどさあ、なんか気にはなるじゃん」

「そうですかあ? 男子の心ってわっかんないですね。いつまでもいつまでも、カードとメダルばっか集めてるじゃないですか」

「どうだろう……少なくともオレは違うけどな。せいぜい、ラジオ体操のスタンプカードぐらいだよ」

 適当に相槌を打っておくと、健康的ですねえ、と、まともに受け取ったらしく、阿呆らしい顔を見せる小見の顔が視界に入ってきた。

「――でもまあ、そのうちに噂も消えるんじゃないかなあ。被害者が出てるっていうのも、なんかのデマカセかもしれないし……」

「あ、でも――」

 小見が小さな人差し指をぴんと伸ばし、ヘラを皿の上に置く。

「でも、美濃中の陸上部員で怪我人が出た、ってのは本当らしいですよ。うちのクラスの陸上の子が、誰それが出ないんだって、とか言ってたのを聞いた覚えが……」

 小見が嘘をつくようなタイプでないのはよく知っていたから、この言葉にはひどく重みがあった。誰、とまではわからないが、噂になる程度のなにがしかが実際に起こっているのは確かなようだ。現実を突きつけられたせいか、一気に食欲が遠のく。

「どうしたんスか、柄でもない」

「いやあ、ちょっとね。――いいよ、焼きそば全部くれてやる」

「なんスか、せっかく奢ってあげようと殊勝な心意気でいたのに……まあ、全部いただきますケド」

 いつの間にか砕けた口調になっていた小見に、残りのもんじゃと焼きそばを押し付けると、僕は口元をソースだらけにする後輩を眺めながら、オレンジジュースをちびちびとなめた。

 学校へ戻り、自転車を引き取りに駐輪場へ戻ると、傘岡駅前の大時計が「赤とんぼ」を鳴らし始めた。学生服の袖をめくると、ちょうど文字盤の上を秒針が通り過ぎ、五時になったところだった。

「――さっさと帰って、本でも読むかな」

 ランプの点くのを確かめて校門を出ると、朝からやっているガス管工事のせいで徐行運転している南傘岡線の路面電車が通り過ぎるのを待って、電車道沿いに続く歩道をひと気のないのを幸いとばかりに、一気に駆け抜けた。

 ラッシュアワーのど真ん中となれば家路を急ぐマイカーや、バス停、電停に数珠つなぎになる市バス、市電の乗降客で街中はひどく慌しい。停留所の前を通りかかるたびに、バスならクラクション、市電ならフートゴングのチンチン鳴る音が、自動ドアのエアーといっしょにせわしなく鳴り響く。そして、そこへすかさず、飲み屋の赤ちょうちんやバーのネオンサイン、レストランのショウウィンドウが暗がりのなかで煌々と光りだすのだから、おじさん達にはたまらないだろう。

「――おっとと、危ないな……」

 黄色信号でぎりぎりに交差点を右折した大型トラックにあわててブレーキを引くと、あちこちから忌々しげにクラクションが鳴り響く。新興国向け市場で大儲けしている大手の製紙会社・日堂製紙のマークが入ったトラックを見かけない日はないし、ここ数年来、武蔵川沿いに並ぶ第一から第三までの工場の煙突から煙が上がっていないところを見た覚えはもちろんない。聞くところでは、近々第四工場を作るというから、おそらくそれに伴う社宅や宅地開発がますます進むのだろう。

「ま、寂れていくよりはいいのかなァ……」

 信号が変わり、交差点の専用信号でひっかかっている路面電車の列を横目に見送ると、僕はペダルをグイと踏み込んで、家までの残りわずかな距離を飛ぶように走り抜ける。

 ――こんなにまぶしい街に、怪談は流行らないよなあ。

 きっと、小見が聞いたのも何か別の話なのだろう。奇々怪々な「天の川のはぎれ」などは存在しないのだ。きっと、誰かの気の迷いが見せた幻だろう――。

 胸の中で一人呟くと、武蔵川を越えて新興団地・希望が丘の方へ向かう西傘岡線の路面電車がそれに対する返事のようなフートゴングを鳴らす。電車は今来た道を逆方向に、街明かりの中へその巨体を沈めようと走り去っていった。


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