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伝書鴉ふたたび ~または、ある妙案のこと~

 三時を迎える前に帰途に就いた僕と小見を待ち構えていたのは、翌朝の凄まじい眠気だった。もちろんこれは慣れない夜更かしのせいでもあったのだけれど、何よりも明確な答えのない、オンディーヌの被害対策が頭にちらつくせいだった。

「――どうにか一日乗り切った、って顔ッスね」

「よぉ、お前だって……」

 放課後、駄菓子屋の前で鉢合わせた僕と小見は、お互いの腫れぼったい瞼を見てから、力なくそばのベンチへ座り込んだ。日増しに夕焼け空が長くなってきて、街路樹の青葉がますます香りを増してゆく。心の弾む季節の到来を前に、僕たちは早々と夏バテにでもなったようなけだるい体をさらしていた。

「――自分を危ない目に遭わせた、憎たらしい奴だってのはわかってるんだけどさぁ」

「何がッスか?」

 渡した小銭で、あの果肉入りのオレンジジュースを買ってきてくれた小見に、僕は思いのうちをぶちまけた。

「何がって、オンディーヌのことだよ。……悪さをする奴ならともかく、なすすべもなく迷っているっていうんじゃ、恨み言の一つも言えやしない。つくづく、妖精ってのは得な存在だよなぁ」

「これじゃ『私は貝になりたい』じゃなくって、『私は妖精になりたい』ッスね。――希少な存在が相手じゃ、まさか蚊取り線香で撃退! なんてわけにもいかないッスもんねぇ」

 さらっと恐ろしいことを言いながら、小見はタブを起こし、喉を鳴らしてジュースを流し込む。直に恐ろしい目にはあっていないのも手伝ってか、案外この後輩は飄々と事を受け止めている。

「蚊取り線香なんか焚いたら、ガスパールの仲間内に袋叩きだよ。希少な妖精になんてことを、ってさ」

「そう言われてみたら、そうッスねぇ」

 いつの間にか飲み切った空き缶を近場の屑籠へ投げると、小見は軽い伸びをしてから、息の抜けるようなスカスカとした口笛を吹き始めた。音程の整わないそのメロディを聞き流していると、口をついてこんな節が出てきた。

「……こっちの水は、あーまいぞ。そっちの水は苦いぞ……」

「――アハッ、よく考えたらオンディーヌって、蛍みたいッスね」

 水辺の妖精にちなんで、童謡の「蛍」を吹きだしたのだろうかと思ったが、どうやら違ったようだった。

「センパイ、あれって宮沢賢治の童話だったッスかね、蛍を捕まえて提灯にするの……」

 メルヘンなことを口にする後輩に、多分それはホタルブクロという花のことだというのは何だか野暮な気もした。なんだか趣のある光景だが、生き物を明かり代わりに、というのはちょっと残酷な気もする。

「だいたい、提灯じゃ上から逃げちゃうだろ。網でも張って、それこそガラスで……」

 小見に付き合って適当なことをでまかせに話したその時だった。爪先からじわじわと、弱い電気の駆け上がるような感覚に襲われたのは――。

「――そうか、その手があったのか」

「な、なんスかセンパイ、ジュースぬるくなるッスよ」

「そんなの後回しだ。小見、あの伝書鴉、こっちからは呼べないのか」

 ひとり興奮する僕に小見はいささか引きつつも、鴉が立ち寄るという場所を教えてくれた。

「直接は無理だけど、集配場所みたいになってるところがあるって教えてもらったッス。駅前の六角ビルの四階にある青いポストと、すぐ近くだと……」

「サンキュー小見、また明日な!」

 話を聞き終わらぬうちに、僕は駐輪場の自転車めがけて猛ダッシュを決め込んでいた。

 駅前の六角ビルといえば、いつからあるのかわからない、傘岡駅の東口にある煉瓦造りの雑居ビルである。といって何か怪談めいた話があるわけでもなく、いつも軒先で、長椅子に腰を下ろしたおじいさんが猫をなでているので有名だったが、まさかそんなところに連絡場所があるとは思わなかった。

 大急ぎで踏切を越し、徐行運転の路面電車の横をかすめると、僕はあっという間に六角ビルの前にたどり着いた。今日に限って、あのおじいさんと三毛猫も見当たらない。

「……お邪魔します」

 開けっ放しになったガラス戸をくぐり、大人がすれ違うのがやっとの幅の階段を四階まで登ると、たしかに、そこだけきちんと塗りの整った、青いポストがあった。見ると、横っ腹にはちゃんと、集配の時間まで書いてある。今日の最終は午後の七時きっかりとなっている。

「今から帰って書けば、ちょうど間に合うかな」

 通りがかりに見た時計店の電光掲示版は四時十分過ぎを差していた。ここから帰って一筆、とも思ったが、その往復の時間が惜しい。

「――無作法だけど、ここでやっちゃおうか」

 もらいもののルーズリーフがあったのを思い出すと、よく女子生徒が授業中に回すような手製の封筒へ、僕は思いついた案を書き留め、そのままポストへ放り投げた。

 そのまま逃げるように六角ビルの階段を下り切ると、頭上に甲高い鴉の鳴き声が響き渡る。まさか待機しているわけでもないだろう、とスタンドを上げて帰り支度をしていると、開け放たれたアルミサッシの中へ、一羽の鴉が吸い込まれるように飛び込んでいった。

「……速達料金、請求されるのかなぁ」

 あまりにも早い到来に驚く僕をよそに、例の手紙をくわえた伝書鴉は悠々たる羽ばたきで傘岡の空へ飛び立っていった――。



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