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その名は水精「オンディーヌ」

 人通りの少ないルートを回り、小見と一緒に入らずの林のガスパールの家へついたのは、あと十分で時刻が変わろうという頃合いだった。前回昇った縄梯子のところに、見慣れない赤い紐のあるのに気付いてそれを引くと、頭上でちりちりという鈴音が響く。すると、あの正方形の床板がパッと開いて、ガスパールがこちらへ声をかけてきた。

「やあ、君たちだったか。もうルドーヌが来てるから、あがっておいで」

「はーい! ――すっごいッスねえ、ほんっとにツリーハウスだぁ」

「だから言っただろ、ガスパールの家の方がすごいんだ、って……」

 ここへ来るまでの道中、ルドーヌさんとガスパールの家のどちらのほうがよくできているか、という実に身のない話で盛り上がっていたのだが、勝負はこちらに軍配があがったようだ。

 後から昇って来た小見の手を引いてやると、僕たちはガスパールとルドーヌさんの待つ、ツリーハウスの二階へと足を踏み入れた。あの日と同じ、淡いアルコールランプの明かりの中で、二人がやぁ、とにこやかに笑顔を向けてくる。

「美子ちゃんは初めてだったね。ようこそ、我が城へ」

 人数分のカップにあのタンポポのコーヒーを淹れながら、ガスパールはどこか誇らしげに部屋の中を手で差す。

「すっごいッスねえ、まるで秘密基地ッスよ」

「なかなか壮観よね。もうちょっと枝葉の具合がいいと、窓からよく満月が見えたりするんだけれど……ガスパール、あなたそっちの手入れをする気はないの?」

 片目をつむったまま、湯気の立つカップをそっと口へ近づけるルドーヌさんに、あいにくその予定はないねえ、とガスパールは肩をすくめながら返す。

 めいめいの手元へカップと、差し入れのクッキーが渡ると、ルドーヌさんが話の口火を切った。

「――手紙で伝えた通りなのだけれど、あの日の写真が出来上がったのよ。かなりハッキリ、二人のいう『天の川のはぎれ』の正体が写っていたわ」

 昔の雑のうのような肩掛け鞄から、ルドーヌさんが大判の封筒を取り出す。おもむろに引き出されたのは、四つ切に引き伸ばした大判の写真だった。

「……えっ?」

 その奇妙な被写体を前に、僕と小見は目を疑った。色鮮やかな印画紙には流しの上で物憂げな表情を覗かせる、さながらアゲハ蝶のような羽を背負い、青い色味のワンピースをまとった少女たちの姿が焼き付けられていたのだ。

「る、ルドーヌさん、これ……」

 奇妙な少女像に対し、率直な反応を示したのは小見だった。そんな小見へ、ルドーヌさんは腕を組んだまま気持ちはわかるわ、と肩をすぼめて呟く。

「あの日は遠巻きに見ていただけだったものね。私も現像が上がるまで、何が光っているのかすらわからなかったんだから、美子ちゃんが驚くのは無理ないわ」

「まさかこれが、あのぼやーっとした光の正体……? 妖精、ってことですか」

「そういうこと。ちょっとこれから読むのを、みんなで聞いててくれるかい」

 ガスパールはそう言うと、畳に転がしてあった分厚い辞書を卓上で開いた。そして、しおりを挟んであったあるページをめくると、その箇所を朗々たる調子で読み始めた。

「『オンディーヌ』。欧州の静かな水辺に生息する妖精。全長十センチ、蝶のような羽をもつ、人間の少女に似た容姿。蠱惑的な青白い輝きで人を惑わす。わが国では明治維新以降に第三帝政時代のフランスより流入。主に信州、越州、九州などの人里離れた水源地を居住地としている。しかし、一九七五年以降世界的に目撃情報が減少し、国際案内者協会では絶滅危惧種として再特級保護対象に指定している」

「――で、そのオンディーヌがこの街を騒がせてる正体だった、ってわけね。辞書に書いてある通り、もう何十年も目撃がなかったものだから、誰もこれと結びつけられなかったのよ」

 よくニュースで聞くような、ノウハウ不足で困っている会社の話と似ているので、なんだか拍子抜けしてしまった。知識が薄れる、というのはガスパールたちのような特殊な存在の人々の間にも共通する問題らしい。

「でもルドーヌさん、なんか変じゃないッスか? だって、オンディーヌって綺麗な水辺にいるんスよね。なんでそれが、煙突天国の傘岡の空や、ルドーヌさん家の台所に現れたんスかねえ」

「あ、そういえば……」

 小見に指摘に今更気づくと、ガスパールはそこがよくわからないんだ、と首をひねってみせる。

「いろいろ考えたけれど、二人そろって煮詰まっちゃってね。とりあえず、あの晩に近い状態に部屋をセッティングして、水回りに向けてカメラだけセットしておいたんだ。時計仕掛けで勝手に写真を撮ってくれるやつだから、多分朝までには何かしらフィルムが捉えてるんじゃないかな……」

 飲みさしのコーヒーカップを手にすると、ガスパールはそれを二口含んでから小さなため息をついた。

「――そもそも自分たちがこんな状態なのに、二人に何か聞こうっていうのが間違ってたかもしれないわね。ごめんなさいね、遅い時間に呼びたてちゃって」

 自分のぶんのクッキーを小見の皿へ移しながら、ルドーヌさんが申し訳なさそうな、優しい目をこちらへ向ける。とうの小見はもらったクッキーをかじりながら、

「別にあたしは構わないッスよー。どうせ家いたって、大して面白い番組やってないじゃないッスか」

 と、実に呑気な返事をする。そのうちにいくらか話が弾みだし、ツリーハウスの中は段々と活気を取り戻していった。


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