「天の川のはぎれ」、二度目の遭遇
ビスケットをつまみ、角砂糖を落とした甘い紅茶を楽しんでいると、頭上の灯油ランプがちらちらと頼りなく瞬き始めた。
「あれ、ルドーヌさん、なんかヤバそうッスよ」
「やだ、昨日入れたばっかりなのに……ちょっとごめんなさい、今様子を見るから」
そういうと、ルドーヌさんは近くの戸棚を漁り、中世の貴族が使っていそうな古めかしい燭台のロウソクへ、今にも消えそうな灯油ランプから火をくべた。ゆらめくロウソクの明かり越しに、ランプのホヤについた煤がちらりと見える。
「どうせ灯芯の故障だろ、いい加減買い換えたらどうだい。それ、貰った時からガタガタだったじゃないか」
両手でカップを持ち、ちびちびと紅茶を飲むガスパールに、ルドーヌさんはお気に入りなの知ってるくせに、と不機嫌に返す。
「身の回りの物をあんまり変えたくないの、あんたが一番わかってるじゃないの」
「日常の必須アイテムをポンコツのまま使ってるのは、物持ちがいいんじゃなくて貧乏性っていうんだよ。そう思わないかい、一郎くん?」
「え、ええ……」
ガスパールが話をこちらに投げたので、僕はすっかり参ってしまった。小見がこっちに味方をするわけもないから、匙加減を間違えるとえらいことになる――。
「ほれほれセンパイ、あんさんはどっちに味方するッスか……ルドーヌさんに味方するなら、イエスかはいで答えなさい」
「こいつめぇ……」
深夜の三時過ぎだというのに、普段と変わらないテンションで僕を煽る小見にいささか怒りを覚えた、その時だった。視界の隅にあった臭気煙突の吸い込み口のあたりで、何か奇妙なものがちらちらと瞬きだしたのは――。
「が、ガスパール!」
青白い、それでいてどこかぬくもりのあるような淡い輝きに、小見への怒りがゆっくりと引っ込んでゆく。驚いて声を上げた僕の視線の方へ、他の面々が目を向ける。
「ルドーヌ、あれって……」
「間違いないわ、この前見たのもこんな光り方だった」
案内人の二人の会話で、僕の脳裏へつい二、三時間前の出来事がありありと甦る。要らずの林のすぐそば、あの踏切の真上で僕を危険な目に遭わせた『天の川のはぎれ』が、小さいながらもそこにいるとわかると、背筋がだんだんと冷たくなるのが分かった。
「――センパイ、あれですか、例の変なやつって」
「ああ。おかげで危うく、貨物列車の餌食になるとこだったよ」
こわごわ目線を光の方へ向けつつ、呑気にビスケットの残りをかじる小見とやりあっていると、背後で金属製の何かが組みあがるような軽い音が響いた。振り向くと、ルドーヌさんが年季の入った一眼レフカメラを、三脚の上へ構えてピントを合わせているところだった。
「ルドーヌ、フィルムは?」
「フジカラーのISO400。バルブで撮るから、時間計っててくれる?」
ルドーヌさんの頼みに、ガスパールはポケットから出した金時計の蓋を開けて、いつでもどうぞ、とけだるげにつぶやく。
「美子ちゃん、一郎くん、ちょっと後ろに下がっててね。――いくわよっ」
チャージしてあったシャッターが下り、かしゃん、という音が静かな部屋へ響く。レリーズを握ったままのルドーヌさんの隣では、ガスパールがぼそぼそと秒針の位置を追いかけている。
「……二十九、三十!」
ちょうど三十秒がたったところで、ルドーヌさんが手を離す。開きっぱなしだったシャッターが閉じたところで、申し合わせたように問題の光も掻き消えてしまった。あとにはただ、張り詰めた緊張感と妙な静けさが、僕ら四人の間に残されている。
「……うまいこと、撮れたんスか?」
開口一番、小見が口をきいたのは、簡易修理の済んだランプが灯った時だった。小見の問いかけに、ルドーヌさんは黒髪をかき上げながら、
「どうかしらね。あとはもう、現像の結果を待つしかないわ」
と、自信なく答える。すると、がま口を手にしたガスパールが、小さな券を黙って差し出した。見るとそこには、「くらやみ堂 超特急写真現像券」という不思議な文言が刷り込んである。
「――急ぐんなら使いなよ。クルージングとお茶のお礼ってことでさ」
「――あら、ガスパールにしては気が利くじゃない。今度あっちで何かごちそうしてあげる。ありがとね」
ガスパールから券を受け取ると、ルドーヌさんは三脚からカメラを下ろし、巻き戻したフィルムを壁に掛けた鞄の中へ、例の券と一緒に入れた。
「……そろそろ四時かぁ。ぼちぼち、お開きってことにしようかな?」
ガスパールがそんな提案をしたのは、カップに残った冷たい紅茶を飲み干したときだった。断る理由もなく、舟を漕ぎかかっていた小見がはれぼったい目をこすりながら賛成……と力なく声を上げると、僕も右に倣って、そうしようか、と同意してみせた。
番屋の地下の戸締りを確認すると、小見をキャビンに寝かせてから、「よいやみ」号は静かに水面を滑り出した。夜の気配がだんだんと追いやられ、いくらかぬくもりを帯びた早朝へと変わりつつある。そんな中を静かに、「よいやみ」号は船首で水を切りながら進んでゆく。
「――思いがけない夜になったね」
キャビンの中で、呑気に寝息を立てる小見を眺めていた僕は、ガスパールの言葉の意味が一瞬分からず戸惑った。が、それが事態の目まぐるしく動いた今夜のことだとわかると、僕はため息交じりに同意してみせた。
「ほんっと、激動の夜だったよ。ガスパールに会って、ルドーヌさんにも会って。極めつけは、あの『天の川のはぎれ』……。正体がわかれば、少しは解決策も浮かぶの?」
僕の問いかけにガスパールは、何とも言えないねぇ、と肩をすくめてあくびを噛み殺す。
「正体がわかって、それが僕ら案内人にも手に負えない代物だとわかったら、まあ、どうしようもないかもしれないね。――危うきに近寄らず、というのも、立派な対処法ではあるからさ」
「……なるほどねぇ」
良いとも悪いとも返事をする気にはなれなかった。ただ、今は一刻も早く、あのフィルム無事に現像から戻ることを祈るばかりだった――。