セミ
家の前には大きな木があって、毎夏、セミが鬱陶しいほどに鳴く。
それも夜になるとしんと静まり返って、夏の湿った空気だけが辺りを満たす。
ぽつんと一匹のセミが、止めてある自転車にくっついていた。
白い街灯に照らされた身体は艶やかで、新緑のあの柔らかい色合いをしている。
つぶらな黒い瞳が私を捉える。
幼虫の間、地面の暗闇の中で暮らし、そして今人間を初め見ていると思うと不思議な心地がする。
それはでも、何の意味もないことなのだろう。
蝉は少し足を動かし、またじっと何かに耐えるように止まる。
朝、見てみると蝉はいなくなっていた。
完全に羽化し終わって目の前の大合唱の一部となったのだろう。
もぬけの殻を剥ぎ取る。
太陽に透かせば、琥珀色の光が差し込んでくる。
手を離すとゆっくりと重力に引っ張られ、やがて地面に落ちる。
くしゃっとした音と共に、砕け散った。