サルム殿下の事情とこれから
黒衣の修道司祭を素早く取り押さえた従者たちがミレイユ嬢まで連れていこうとして、私は声を張り上げた。
「待ってください!!」
怯えたように見つめるミレイユの瞳は黒魔術に霞んでいても、その奥には、自然の息吹が宿っている。
「ミレイユ嬢は修道会に育てられたがゆえに利用されただけです。教会に入り私とともに過ごしてくれれば、その心から黒魔術は抜くことができます。聖女の素質があるとのこと、もう一度自然に耳を傾け、生きとし生けるものに寄り添うことができれば」
隣でアクツムがぼやく。
「教会で暮すつもりかよ、今すぐオレと結婚しろよ……」
それを聞いてしまった王妃様がクスクス笑った。
「その役目、元聖女のあたしの仕事としましょう。ミレイユはこの城で暮しなさい」
「「母上!」」「王妃様!」
「「「ありがとうございます!!」」」
「では、後は皆で楽しんでくれ」
と王と王妃が退席すると、サルム殿下が兄の元に飛んできた。
アクツムの椅子の横に膝をつき、兄を見上げている。
「兄上、王太子宣言してくれると思ったのに!」
「まあいいじゃないか、追々決めれば」
「聖女の婚約者である兄さんが王太子で決まりじゃないか」
「いや、あのミレイユって娘が聖女やってくれたらお前のままでいいだろう? 好きなくせに」
サルム殿下はドバッと赤らんだ。
「なんでそんなことまで知ってるんですか?」
弟の目線は、恨めしそうな上目遣い。
「そんなことでもなきゃ、あんな怪しい司祭にお前が操られるわけもない」
サルム殿下はプイッと横を向いて隣席の私に頭を下げた。
「ユリア様、この度はとんだ失態をおかし、あなた様を生命の危険にさらしてしまい、誠に申し訳ありません。どれだけの失言がこの口から出ていったか、お恥ずかしい限りです。言い訳の余地もありません、黒衣の司祭につけ込まれたのは、私のこの胸に隙があったから」
王太子はゆっくりと頭を上げ、兄と同じ綺麗な碧の双眸を私に向けると、さらに姿勢を低くした。
「正直に申し上げます。2年近く婚約者という間柄にありながらあなた様に距離を置いていたのは、兄がどれ程あなたを想っていたか知っていたからです。心惹かれるわけにはいかないと必死だった。あなたは自分に魅力がないと思っていたようですが、ご自分を知らないにもほどがある……」
「サルム、それじゃ、謝ってるように聞こえない」
隣でアクツムが意地悪を言う。
サルム殿下は兄を無視して頭を下げたまま、
「私のほうが、兄と比較されると及び腰だった。私では兄の代わりになどならないと見限られると怖かったのです。そして最近では次第に、ミレイユに惹かれていく良心の呵責もあった……」
「殿下、もういいのです、私も、心の中にいつもアクツムが居ましたから、打ち解けられなくてごめんなさい」
真摯な言葉に、私はやっと、サルム殿下のお人柄を見た気がした。
アクツムが優しく微笑んで言葉を添える。
「ああ、もういいんだよ。広間の扉の直前でユリアが倒れた時、人払いして、毛布、タオル、ふいご、篝火、水差しなんかを迅速に手配してくれたのはコイツだ。『黒衣の修道会』の洗脳も大したことないんだなって思ったんだ……」
「ありがとうございます、サルム殿下」
私は心から、私を婚約破棄し、殺しかけた殿下にお礼を言うことができた。
「自分がしでかしたことを目の当たりにして、頭の中の靄が急速に晴れました。日付が変わる前に、何か必要なものはないか様子を見にいったのですが、声をかけないほうがいいと思われて……。夜通しの看護、兄上の想いの深さを見せつけられ……」
「バカやろ!!」
アクツムが真っ赤になって、私も両手で顔を覆って指の間から窺うと、サルム殿下はてへっと舌を出し、大広間の隅で縮こまっていたミレイユ嬢のほうへ歩き去った。
ミレイユとの婚約破棄は、黒衣の司祭の出方を見るため、断罪するためだったのだろう。
今後は、ミレイユの黒魔術からのリハビリをサポートしながら、ゆっくりお付き合いを進めるつもりだと、サルム殿下の背中は語っている。
私の聖女任期は、そうは長くならないんじゃないかな、なんて思ってアクツムに微笑みかけたら、彼も私を、吸い込まれそうな碧の瞳で見つめていた。
無意識にお互いの顔が近づいていって、そっと唇を合わせてしまったのを、何人の夜会客たちが見ていただろうか?
きっと微笑ましいと思っていてくれる、そうだ、そういうことにしておこう。
私はアクツムのキスには、一生逆らえそうにないから。
めでたしめでたし。
―了―
読んでくださってありがとうございました。
柴野いずみさま、この度は楽しくご盛況なご企画の運営、感謝しております。




