王家の事情とプロポーズちっくな発言
私の背中にかすかな振動が届く。大理石の床を歩く靴音だ。それも2人分。
「聖女は命を取りとめたか?」
お兄ちゃんは私から離れて、床に両手をついた。
「国王陛下、わざわざのお越し痛み入ります。このような夜中にお騒がせしてしまい……」
「アクツム、何を言ってるの?」
笑いを含んだ王妃様の声がした。
「そちらにご挨拶に伺うのが順序でありながら……」
「人工呼吸はいいのか?」
王様のツッコミにお兄ちゃんがまたキスをくれる。
どんどん息が楽になってきて、自発呼吸ができていることを実感した。
これは人工呼吸ではなく、キスねと言いたくて、唇が離れた途端、口角を上げてみた。
「ユリア、笑えるのか? 意識はあるんだろう? 船乗り仲間が言っていた、キモ毒は意識を失わないって」
私は瞼をゆっくり閉じて開いた。
「ユリア!」
お兄ちゃんはまた前のめりになって、私の額に唇をつけた。
王様が、床に座り込んでいるお兄ちゃんに頭を下げる。
「すまなかった、お前の捜索不十分なうちにサルムを王太子にしてしまって」
「父上、我が国において王太子は総理大臣、執政のトップです。長らく空位で放置するわけにいかなかったのでしょう? 海に出て立太子を先延ばしにしていたのはわたくしのほうですから」
父上、だって! そして、『わたくし呼び』!
アクトお兄ちゃんは、行方不明になってた王家の長子、アクツム様らしい。
一緒に遊んでた頃、王子様だなんて、誰も教えてくれなかったし、聖女になってお城に足を運ぶ機会が増えても、アクツム様の名前は誰も口にしない、同一人物だなんて思い至りもしなかった。
王妃様が柔らかく息子を見下ろしている。
「サルムは心の準備の無いところに立太子して、疑心暗鬼に陥ったのよ。皆があなたのほうがよかったと、陰で噂してると思い込んでしまって。焦ってるところを黒の修道司祭につけ込まれたようね」
「わたくしだってサルムより執政がうまくできるかどうかなんて、お約束できかねます」
「兄弟の仲を裂くようなことになってしまったな」
王様が渋い声で後悔の念を表した。
「いえ、わたくしはサルムに対しては何も思うところはありません。あのいかがわしい修道司祭さえ遠ざけてしまえば、いつものやんちゃなアイツに戻ることでしょう」
「だといいんだが。ユリアさんに話しかけてもいいか?」
「もちろんです、父上」
あろうことか、王様が、私の顔のすぐ横に跪いた。
「ユリア・コースタル伯爵令嬢、この度はうちのバカ息子が、毒を飲ませるなどという暴挙に出てしまい誠に申し訳ない。雨乞いは神に祈ることが大事で、雨が降ったかどうかには重きを置いていない。だから今夜も、単なる婚約破棄騒ぎで済むと思っていた、すまなかった」
王妃様も王様と反対側に正座して、私の手を握ってくれた。
「サルムとの婚約を急いだのはあなたのご両親が突然亡くなったからなの。アクツムは行方知れずだし、未成年で一人遺されたあなたを王家からサポートしたくて。伯爵領の運営もお屋敷のメンテも一人では無理でしょ? だから王家があなたの結婚まで代理で管理できるようにね。取り潰しにだけはしたくなくて。後は、あなたがサルムを愛せればそれでもいいし、他の方と結婚するなら、あなたとあなたのご主人に継いでもらえばいいと思って」
「母上はわたくしがユリアに首ったけなことご存知だったでしょうに!」
「ええ、もちろん、だからこそよ。あなたが死んだなんてあたしは信じていなかったから、ユリアさんが結婚する前には絶対戻ってくると思ってたわ。どこでふらふら遊んでようともね。今なら、王家を離れてユリアさんと暮らすこともできるし、伯爵家を継いでもいいし、王太子になってもいいわよ?」
私は我知らず、王妃様の手をきゅっと握っていた。
表向きからでは想像できないほど、王妃様はさばさばした考えの持ち主だ。
早々に聖女を辞任されて私を後継者指名された時には、驚くばかりでお話しもできなかった。
「あなたももう大人の女性だし、聖女としてのあなたの立場も確立した。サルムが婚約破棄したってビクともしないと思ったから、王もあたしも夜会を欠席してしまって、結局こんなことに……」
「ユリア、ご両親が亡くなった辛い時に、傍に居られなくてごめん」
アクトお兄ちゃんはふと思いついたかのように謝ってくれた。
突然だったから仕方がない。両親は『黒の修道会』に殺されたのだから。それも聖女として頭角を現した私を護るために。
黒の修道士たちは私が教会に居れば入ってこれない。
アミュレットを身につけていれば近づいてこれない。
あの日はアミュレットの鎖が切れて、直してもらっていた。
家族用チャペルから出てはいけないと父に言われていたのに、母愛用のハーブ茶を摘みに、薬草園に行ってしまった。
驚いた母が私のアミュレットを握って駆けてきて、庇ってくれたところを斬られて、父も私たちを守ろうとして。
私がもっと早くに教会に修行に入っていれば、両親を殺されずに済んだ。
教会に住み込んだらお兄ちゃんに会えなくなる、訪ねてきてもらえない、そう思ったからずるずる引き延ばして。
両親を殺したのは私……。
「あ、涙」
王妃様が私の目元に溢れた液体に気付いた。
自分の手を動かして拭うことはまだできない。お兄ちゃんがそっと唇を寄せて吸い取ってしまった。
「もう2度と泣かせないし、独りにしない」
お兄ちゃんのプロポーズのような言葉を聞いて、王様が立ち上がって、踵を返したようだ。
王妃様がお兄ちゃんに、「もう動かしても問題ないはずよ? 客間に移っていただくか、あなたの部屋にご案内するか、ユリアさんに選んでいただきなさい。どちらも整えてありますから」と促した。
お兄ちゃんは私に、「オレの部屋なら1回、客間なら2回、瞼を閉じてみて?」という。
私に言葉が戻っていたら、「客間に入ってもお兄ちゃんは朝までつきっきりになるのだろうから、どちらも一緒では?」とツッコんでいただろう。
幸か不幸か声は到底出せそうにないから、睫毛を一度、パサリと上下して返事に替えた。
お兄ちゃんは私を、ひょいっと抱き上げるとコツコツと靴音をたてて歩く。
だんだん私の腕に力が戻ってきて、部屋に着く前に、頼もしい首に両手を回すことができた。
次回がやっと、『ざまぁ回』です!!