深夜の人工呼吸はかなり辛いらしい
聴覚と意識だけ残って、後は心臓が動いてるだけというキモ中毒蝋人形化した私は、もう長らく人工呼吸を受けている。
男は、キモの毒が私の体内で分解されて無毒化されるのを待っているのだ。
とはいっても、数時間単位で人工呼吸を続けなければならないはず。
船乗りも飛行士も救命救急はお手のものなのだろうけれど、その判断と行動に全くミスも無駄もなく。
また優しい口づけと長く深く入ってくる空気。
この人は、私を宝物であるかのように、とても大切に扱っている。
「体温、まだまだひっくいな。摂取から1時間、昏睡してから40分だ。キモ毒、少しは分解されたか?」
「ほら、聖女なんだろう? 毒耐性は強いんじゃないのか?」
いや、私はどっちかというとお花の毒のほうが詳しいから……。
「先月、この国で下りず、船でそのままアユタリまで遡ったんだ。遭難して4年も経ってしまって、うちの様子もわからないから」
「飛行機修理して昨日帰ってきたわけだけど、雨乞い失敗した聖女様の断罪があるって民は心配してるし、王太子の側近にヘンな修道司祭がいるって聞いたし」
「ま、とりあえずはユリア取り戻せたんで、それだけはよかったかな。アイツから婚約破棄してくれるとは思わなかった」
取り戻すって? 私が元々この人のものだったみたいな言い方……。
「それを狙っての雨乞い失敗じゃないよな? それはいくらなんでもオレの願望過ぎる」
願望?
「アユタリは山国で段々畑だから灌漑が難しい。今、雨雲持って行かれたら困るって言ってたから。うちはまだ川から水を引けるし、聖女の判断が正しい」
淡々と人工呼吸を続けているんだと思っていたら、航空士官さんはだんだん、合間の息継ぎが辛そうになってきた。
ハァハァハァと忙しなかったり、伸びをして深呼吸してみたり、意識して鼻から息を吸って口から吐く、などなど。
苦しかったらふいごを使ったらいいのに。
ふいごが強すぎると患者の肺を傷めて空気が体内に漏れたりすると私は習ったけれど、それは何十回も繰り返した場合のことだ。
キス、じゃなくて、マウスツーマウスの間だったら、1回おきにふいごでも大丈夫だろうに。
「なあ、ユリア、お前の家のあの池も、川から水引いていつも透き通ってたな」
「オレからブスの花取り上げてバランス崩して、ふたりで水中にもんどり落ちたの憶えてるか?」
「オレが立ち泳ぎしながら、お前の腰のリボン掴んで大丈夫かって聞いてるのに、『花はどこ?』って、芝生の上にあるの見つけて『よかった!』て抱きついてきて」
だって、ブスが水の中に落ちたらお魚が……、って、この人が、私の水兵のお兄ちゃん?
「オレ、あの時、初めて……、わかるだろ、お前を、女として意識したっていうか、身体が反応したっていうか……」
またキスが降ってくる。いや、キスじゃないのか、人工呼吸のはず、私の肺がぷくうと膨らんで萎んだから。
「オレが15でお前がとおか? ひでぇロリコンだよな」
心臓がトクンと鳴った。
随意運動のままならない状態で、不随意運動の片翼、呼吸が止まってしまっているのに、もう一方の心拍機能だけはきちんと私の心に添って反応する。
この人が私の、アクトお兄ちゃん。
両親が亡くなって、私の心は一度潰れた。自我が弱まったのは聖女として自然と交信するのに都合がよかったが、修行が辛い時はいつもお兄ちゃんを思い描いて話しかけていた。
森が鬱蒼と昏く感じたらお兄ちゃんに呼びかけ、潮が読めないときはお兄ちゃんに助けを求め、淋しい日暮れはいつも、雲にお兄ちゃんの面影を探す、といった具合に。
「もう12時だな。こんな深夜に好きな女と横たわって、キスしながら興奮して、息が上がってるオレってカッコわりぃ……」
ま、待って、呼吸が荒いのって、疲れてきたからじゃなくて……もしかして、わ、私を意識、して、のことなの?
そ、そこまでの覚悟はこっちはできてない!
「ユリア、オレ、かなり、もう限界、なんだけど、ただ、唇合わせて、人工呼吸だなんて……」
お、お願い、待ってよ、独りで盛り上がらないで?
切羽詰まっちゃダメ。
今大事なのは人工呼吸。酸素止められたら、私、死んじゃうんだよ?
ね、私を殺さないで?
もう、この、自発呼吸もできないのに、意識だけはしっかりしてる状態、何とかして~。
お兄ちゃんが私の髪の中に手を埋める。
「髪、長くて綺麗だ。あの頃はくるくるしてて可愛かったが今はゆったりと波を描いて艶めかしい。オレの髪は海焼けしてボサボサ、色もこんなに濃くなっちまったが」
荒い息と落ち着かない様子に変わりはなくとも、私が苦しくなる前にはしっかりと、息を吹き込んでくれた。
よかった、律儀なアクトお兄ちゃんの性格は変わってない。
「頼むから、指を少しとか、瞬きとか、してみてくれないか? 本当のキスをしていいなら」
指を動かそうとしてみたけれど、身体は言うことを聞いてくれない。
「ダメか……。そろそろおもらしをしてもらったほうがいいんだが、いいか?」
え、何、おもらしですって?
こんなに意識がはっきりしてるのに、失禁しろと?
冗談じゃない、それもアクトお兄ちゃんの前で!
「キモ毒、かなり分解されてきてるはずなんだ。それを体外に出したほうがいい。もう何度か水飲ませてるんだが」
次のキスはキスでなく、呼気でなく、水の口移しだった。イヤイヤがしたかった。お水飲んだらおもらしするなら、お水要らない!
気管に入ったらいけないからか、ほんの少しのお水が届いて、頬の内側から吸収されていった。
おもらしはイヤでも、私の身体は水分を歓迎している。
「王太子のこと好きだったのか? 婚約破棄されて、投げやりにブス飲もうとしたんじゃないよな? オレの言葉、通じたよな? 生きるためにキモ、選んでくれたんだよな?」
あ、お兄ちゃんが弱気になってる。
「頼む、ユリア、人工呼吸に想いを込めていいと言ってくれ。しきたりに沿った縁談でも、オレたちはあんなに仲が良かったじゃないか……」
縁談? 私とお兄ちゃん? そんなの、聞いてない。
遠い昔に、「あなたのお兄さんだと思いなさい」って母に言われたような気が……。
驚いて私の瞼はピクピクしたようだ。
「すまん、許せ……」
次の瞬間、身体の上に大きな影がのしかかり、息を奪うキスが来た。
「オレはずうっとお前一筋だ。毎日でも会いに来れる距離に居たら来てしまうから仕官した。年に1度の国内休暇にお前を訪ね、成長を見届けながらゆっくり愛を育もうと考えた。お前が17になって、そろそろ結婚話進めてもいいかと思った矢先にあの遭難だ」
き、キスは、人工呼吸とは違った。
唇の優しい触れ合い、合ったと思うと離れる焦らすような動き、唇で唇を撫でられる感触、上唇、下唇それぞれを包み込まれそうになったり、こじ開けられそうだったり。
もし私の身体にもう少し体温があったら、体中が火照って、もう一度とおねだりしていたんじゃないだろうか。
まだ半分以上蝋人形の私は、キスに応えることも、もう少し大人のキスに進んでいいよと意思表示することもできなかった。
その後、間髪を入れず、酸素をくれる人工呼吸が来たのは、律儀を絵に描いたようで、とってもアクトお兄ちゃんらしい。
「ユリア、少し息ができてないか?」
お兄ちゃんは、頬を私の鼻と口に寄せている。
「ああ、少しだけ空気の流れを感じる。最悪は抜けたな。少しずつ、身体が動いてくるはずだ、よかった……」
アクトお兄ちゃんは私の胸に顔を埋めるようにして固まっていた。
私の身体は、息ができるようになってきたからか、好きな人にひっついているからか、ちゃんとしたキスをしたからか、奥の奥に小さな火がついてしっとり温まってくるように感じた。
* フグ中毒の場合、とにかく諦めないで人工呼吸は続けるべきと書かれているネット記事があったので参考にさせてもらいました。患者さんは意識を失わず、手当されているのがわかるそうです。実際には嘔吐や痙攣など他の症状も出るので、この話はもちろん、フィクションです。




