6、吸血鬼についていく
夕食を終えると、ユーミィは満足そうな表情をした。いつもこの表情を見ると、嬉しくなる。自分一人のために料理を作っていたときとは違う。
ユーミィは、頬杖をついて何かを考えていた。その姿も彼女がしていると絵になる。
吸血鬼はみなそうなのだろうか、彼女はいつもエレガントな服装をしている。赤ワインを揺らすのもとても似合う。
ユーミィは、「ねえ」と言った。
「何」
「少し散歩に行かない?」
ユーミィから何かを提案するのは初めてだ。それが少し嬉しかった。
「いいよ」
ユーミィは俺の前を慣れた足取りで暗い夜の道を歩いていく。吸血鬼だから、夜は、人間にとっての昼間のようなものなのだろう。
どこか連れて行きたい場所でもあるのだろうか。それでも悪い場所ではないだろう、という確信があった。俺は彼女のことを信頼しているのだ。
いや、訂正したい。彼女のことを信頼しているといっても限度がある。
ユーミィと俺は、ある森の入り口に来ていた。
そこは「魔の森」と呼ばれる場所だ。
その森の中は、強力な魔物が跋扈する恐ろしい場所とされている。昼間ですら一部の高ランクの冒険者しか足を踏み入れない。そんな冒険者達ですら、夜までに出てこられなかったら、まず生きて出てこられた試しはない。
この「魔の森」は、小さい頃から絶対に足を踏み入れては行けない、と厳しく親から忠告されてきた場所だ。
そんな場所に足を踏み入れるなんて、正気の沙汰ではない。しかし、ユーミィはそこにまっすぐ入っていこうとしていた。
「ちょっと待って」
足を止めた俺に、ユーミィが気づいて言った。
「大丈夫よ」
「でも……」
「だから大丈夫だって」と彼女は微笑んだ。
「ここがどんな場所だか知っているの?」と俺は彼女の言葉が信じられず聞いた。
「うん、よく知ってる。私の散歩コース」
「え?」
「あなたの家を出たあと、毎日来ている」
やっぱり吸血鬼と人間は全く違う存在のようだ。俺にとっては身が震えるほど恐ろしい場所でも彼女にとっては全然ちがうようだ。
「君は大丈夫かもしれないけど、俺はかよわい人間だよ」
「私と一緒なら何の心配もいらないよ。あなたが吹いて飛んでしまうような脆弱な人間という存在だとしても」とユーミィはからかうような調子で言った。
「吹いては飛ばないよ。あ、人間基準での『吹く』なら」
ユーミィはそれを聞いて笑った。
「吸血鬼の『吹く』だって同じだよ。ドラゴンじゃないんだから。とにかく私と一緒なら誰だって大丈夫。まかせなさい」
彼女はそう言って胸を張った。
ユーミィの明るい様子を見ていると、俺も段々、彼女と一緒なら平気な気がしてきた。
「わかった。行こう」
そう言って、魔の森の中に足を踏み入れたのだった。
森の中には、木々の葉っぱは生い茂って、月の光も差し込まない真っ暗闇だった。
しかし、そんな暗闇の中でも、ユーミィの体か服かわからないけれど彼女から赤く光が放たれて、足下が照らされ、歩いていくことが出来た。
森の中は嘘みたいに静かだった。
魔物が出てくる気配もなく、二人の足音だけが響いている。
こうしていると、森の中がとても安全な場所に思えてくる。でも実際は違うのだろう。魔物達が近寄って来ないのだ。吸血鬼である彼女を恐れて。
今初めて彼女が吸血鬼の女王であることが本当に思えた。
先ほどは子どもみたいに泣きじゃくっていた彼女が、今はとても頼もしい。それを思うと不思議だった。
「私から離れないでね。危ないよ」
彼女はそう声を掛けて来たが、それは真剣な口調ではなく、いつものからかう時のトーンだった。たとえ、俺がわざと彼女から離れてもどうにかしてくれそうだ。
しばらく歩いて、のぼり坂を少し上ると、突然開けた場所に出た。
星空が眼前一杯に広がり、眼下には広大な森を上から眺めているらしく、暗い平面が遠くの山脈の方まで続いている。
それは息を飲むほど美しい景色だった。
しばらくすると、月が上ってきた。
暗かった眼下の森の様子がよくわかるようなり、ユーミィの顔が月明かりでよく見えるようになった。
「ここは特別な場所なの」
「うん。とても美しい景色だね」
「ずっと一人だった……私はずっと一人で生きてきた。ここに来るのも一人。この景色は私一人のもの」
「じゃあなんで俺を連れてきてくれたの?」
俺の質問に少々考える素振りを見せてから、彼女は答えた。
「あなたが特別だから」
「それってどういう?」
「さあ」
そう言ってユーミィは黙ってしまった。
月が雲に隠れて、彼女の表情も見えなくなってしまった。
でも美しい星空が、今まで見たことのないような夜空が目の前に広がっている。だから。とりあえず今はまあいいかと思った。