5、家に帰ってくると
次の日、仕事を終えていつものように家に帰ってくると、いつもと様子が違った。
台所がめちゃくちゃに散らかっていたのだ。ボウルや鍋が床に転がり、小麦粉や調味料が飛び散っている。しかし調理をしたような形跡もない。
泥棒でも入ったのだろうかと思って、寝室に急いだ。ユーミィの身に危険がなければいいのだが。
寝室には、布団が丸く固まっていて、その隙間からユーミィの小さな顔が、おびえるようにこちらを覗いていた。
「ごめんなさい」
ユーミィは、いつもの元気の様子とは違う、震えるような声で言った。
「どうしたの?」
「私、夕ご飯を作ろうと思ったの。でも高いところにあった小麦粉を取ろうとしたら、バランスを崩して、倒れる時にいろいろなものがめちゃくちゃになって……」
ユーミィは怒られると思っているのだろうか。取り返しのつかない、恐ろしいことをしたというような表情をしていた。
俺は安心させようと近くに行って座って言葉をかけた。
「大丈夫だよ。気にしないで」
しかし不安そうな表情は変わらなかった。
「私、そんなつもりはなかったの」
下を向いたまま、顔を上げない。こちらの言葉が聞こえてないみたいだった。パニックになっているようだ。とにかく安心させようと繰り返し言葉をかけた。
「わかってる。何も問題ないよ」
「本当?」
やっと、俺の言葉が聞こえたようで、顔を上げてこちらを見た。
「うん。ほら、俺の顔を見てよ。怒ってない。別に大したことじゃないよ」
彼女は俺の顔をじっと見た。少しの間そうしていると、落ち着いてきたようだ。やがて、表情もいつものような明るさを取り戻した。
「本当だ。いつもの間抜けな顔」
「間抜けは余分だよ」
そう言いつつも、彼女の口からいつものような軽口が出てきたことにほっとした。
ユーミィは俺の言葉にふふっと笑ったけど、すぐその後に、その目からぽろぽろと涙がこぼれたのだった。彼女は自分の頬を伝うものに驚いたように、それを手でぬぐった。
「私これからも、アキラの家に来てもいい?」
「当たり前じゃないか。いいに決まっている」
「本当? よかった」
ユーミィは心から安心したような笑顔になると、止まらない涙を拭き続けた。とても不安だったのが、安心して、ため込んでいた感情があふれ出たのだろう。
彼女が落ち着くまでしばらくそのままにしておこうと思って、俺は、
「夕ご飯用意してくるよ」と言い立ち上がると、彼女は頷いた。
俺はまず台所の散乱したものを片づけにかかった。
散らかった粉や調味料をちり取りで集め、鍋やボウルをもとに戻す。それほど、大変な作業ではない。粉や調味料が少し無駄になったが、それは別に大したことではない。買い足せばいいだけだ。
俺は普段あまりお金を使わないので貯まる一方だ。
同僚たちは、趣味にお金を使ったり、居酒屋に行って飲んだり、俺の何倍もお金を使っている。むしろ俺はお金を使うべきなのだ。
そうだ、今度ユーミィのために何か買ってこよう。
俺は豚肉を焼きながら、先ほどのユーミィの取り乱した様子を思い出した。
きっと彼女は初めての経験で戸惑ったのだろう。彼女の話を聞いていると、家族以外の人間と接したことはほとんどなさそうだし。
彼女は小さな子どもみたいだ。
俺は自分が小さな時に似たような経験をしたことを思い出した。
でき上がった料理を皿に盛っていると、ユーミィがダイニングルームの入り口に姿を現した。
「いい匂いがする」
いつものような、いかにもお腹を空かせたという顔だ。いや、いつもより心なしか晴れやかな表情に見えた。
ワイングラスを用意して、赤ワインを注ぐと、今日もいつも通りの夕食が始まった。