no title -時計は私を待たない-
死にたい人、泣きたい人に読んでほしい物語です。
私自身、生きる意味を探していたときに自分を励ますために書いたものです。
死にたい人、泣きたい人が少しでも「生きたい」と思ってくれたらうれしいです。
なにかを失ったわけではない。
なにかに突き当たったわけではない。
それでも、なぜか涙が出てくるんだ。
それは受験期の疲れなのか、はたまた気づかないうちに抱いた焦燥感なのか、
自分でもよく分からない。
そういう時は、何も考えずに涙が止まるまで待った。そのほうが早く平常心に戻れたから。
幼いころから、なにかに挑戦することは少なかった。いつも安全な道を選び、失敗を手前から回避した。学校でも、ずっと窓側の席で外の景色を見ていた。私にとって他人に囲まれながら、平常心でいられる最大の方法だった。もっとも、授業はちゃんと受けた。提出物も期限までに提出し、毎日先生の動かすチョークの先を目で追った。
ただ、このような者でも小説やアニメの主人公に憧れを覚えることはあった。物語の主人公はいつも異才の光を放っていた。しかし憧れを覚えるごとに、これは理想であって現実ではない、と自分に言い聞かせた。重くなった理想に耐えきれなくなって自分が壊れてしまうのが怖かった。
時折、「自分はなんで生きているのだろう」とふいに思うことがある。
ただそれでも、生きてみたかった。
いつだったろうか。満天の星が浮かぶ夜空を見たとき、部屋の中の私の目には無数の光が映った。窓ガラスに自分の顔が映る。その顔には涙が流れていた。私にはこの涙が何なのか、はっきりと分かった。
折れた木の枝、道端のカマキリの死骸、枯れた水路にはえた小さな花、それらすべてに物語がある。人間も一人ひとつの物語を背負って生きている。この世に無数にある小説のように全く同じ物語は存在しない。
物語にはすべて「終わり」がある。ハッピーエンドかバッドエンドかは分からない。それでも、私は自分の「終わり」を知りたいと思った。「終わり」まで物語を読み進めることは、自分の唯一の希望だと思った。たとえ、それがバッドエンドでも物語を最後まで読み通した事実に、小さな自信が生まれる気がした。
小説はタイトルで大体の物語がわかる。タイトルでそれに興味を持つこともある。しかし、人生という小説にはタイトルがない。だから明日の自分がどうなるのかは自分でもわからない。だがそれは、予想していた物語と全く違って裏切られることがないということでもあった。
小説を自分のペースで読み進めるように、
自分のペースで「no title」の物語を生きる。
たったひとつの光を求めて。
最後まで読んでくださり、誠にありがとうございます。
今後もいろんな作品を投稿できたらなと思います。
良ければ、評価・感想等もよろしくお願い致します。