十三話 忍び寄る聖典
「ふわぁ……」
俺は木の上で横になりながら欠伸を洩らす。
俺とセレナは家に戻っていた。
学園の入学報告と荷物の整理のためだ。
入学費や授業料は国が負担しているから安心だと言っても兄貴を説得するのが非常に面倒臭かった。
兄貴の説得のために三日も費やしてしまった。
さて……俺を見ている相手を釣り出すか。
俺は木から降りると森の奥に向かって歩いてく。
程なくして滝と川が現れる。
透明度の高い川の水を掬い顔を洗い水の中に足を入れる。
冷たい水の感触が足から伝わる。
「……で、俺に何か用でもあるのか?」
俺は警戒しながら後ろを振り返る。
木の陰から現れた黒装束の女は鋭い目付きで俺を睨み付けてくる。
無音の歩法と気配消し。狩人の代物ではなく暗殺者や殺し屋の類いか。しかも、かなり腕を持っている。
だが既に間合いの内だ、真正面からの戦いならそう簡単には負けない筈だ。
「私は国王直轄暗殺部隊『雫』。国王より伝達を貴殿に伝えるよう言伝てを貰いました」
「『雫』ねぇ……」
素性を明かした女に俺は警戒を解く。
『雫』は諜報から暗殺まで何でもこなす非正規部隊。直接戦闘は嫌い、暗殺や奇襲を好み、だからこそ姿を現した時点で敵意はないと判断できるからだ。
だがそんな部隊の隊員を伝達に寄越すとなれば極めて内密な情報ということになるか。
絶対にろくでもない内容だということは確かだが……何が飛び出すのやら。
「国王より伝達。聖典教会の関係者、またはその思想を直接授かった者が水面下で動いてます」
「聖典教会?あのクソどもか。よくもまあ、この国に入ろうと思ったな」
隊員の通達に俺は眉をひそめる。
聖典教会は俺にとっても国にとっても敵だ。あの邪悪は醜悪かつ狂気に満ちている。
俺からしてみればアグロマ教団とそう大差ない。
「狂信者か宣教師でも密入国したのか?」
「いえ」
俺の問いに隊員は首を横に振る。
ま、そんな表だった事はできないだろうな。
狂信者も宣教師もこの国では入国を禁止されているからな。
となれば違法薬物なんかをこっちにもってきたついでにその思想に毒されていたり関係者を密入国させたりといったところか。
そして俺に伝えたのは入学者の中で比較的そこら辺の事情に精通しているからだろうな。
「これにて失礼」
「ああ」
隊員が影に落ちると俺は小さくため息を洩らす。
聖典教会か……これはまた厄介な連中が侵入してしまったな。
この国は聖典教会とは別の宗教の国だ。
その宗教の名前は聖魔教会。
この宗教はかなり他宗教におおらかで聖典教会のあり方を受け入れていた。
しかし三年前、聖典教会が引き起こしたある事件以降聖典教会関係者は国外追放、以後の入国を禁止した。
そのため聖典教会を国教とする帝国や連合と聖魔教会を国教とする王国と仲が悪く国境地帯での争いが絶えないのだ。
「あいつらの思想は毒だ。悲劇を助長するあいつらを見逃す訳にはいかない、か」
特にセレナなサクラたちがあの思想に取り込まれる事だけは避けなければならない。しかし、俺の手では確実に漏れが発生しかねない。
なら、どうするか。
答えは単純、国を利用しつくすだけだ。
この国だって聖典教会の思想が広まるのは避けたい筈だし、向こうだって予防策を張り巡らせることぐらいするだろう。
「今回ばかりは利用させて貰う……あ?」
川の水に足を浸けて座っていると強烈な殺気を察知する。
立ち上がり、向けられた方向に顔を向けると同時に何かが飛来する。
俺は《天武》を起動させそれを弾き落とし、手を向ける。
「《ウィンドバレット》」
手から展開される魔法陣から小さな風の弾を連射する。
風の弾は樹皮を削りながら森に消えていく。
「……逃げたか」
殺気がなくなったのを感じとり魔法陣を解除する。
殺した感触はなかった。となれば射程圏内から逃げたか、飛んだか。
飛んだとなれば、使った魔法は転移系の空間魔法だろう。
俺はそこまで得意ではないが、暗殺者としてはそれなりに使い勝手で良いだろうな。
「……お?」
痛む右手を見ると手に傷痕ができ傷口から血が溢れ落ちていた。
《天武》を発動させた身体に傷をつけたか。となると……。
俺は袖を捲り川に落ちた矢を持ち上げる。
矢は基本的な形状は普通の矢と同じだった。しかし、矢じりは銀製で十字架と弓が彫り込まれていた。
「祈りを籠めた聖なる銀の矢……か」
矢の正体を看破し俺は怒りを滲ませたながら矢を握りつぶす。
あらゆる魔を払うために作られたこの矢はあらゆる魔法を無効化する。云わば、魔法使い殺し。
これを作れるのも使うのもあいつらしかいない。
「聖典教会……しかも司祭クラスか」
狂信者や宣教師よりかはまだマシだが、それでもあいつらの思想が入ってきているという事実は確定か。
それにしても、よく俺の事がわかったな。あいつとは違って俺の事はそこまで知られていない筈なのだが。
……向こうに俺の情報が漏れていると見て良いだろう。
そして、表に出ていないがもう既に悲劇は起き始めている可能性が極めて高くなった。
「……王都に戻ったら警戒するとしよう」




