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(6)魔部

 少女を木の枝から降ろした後、俺たちは三羽のキュールラビットを洞窟に運び込んだ。薄暗い洞窟に三羽を並べて横たえると、あれだけ広かった洞窟内がちょっと狭く感じられた。


 このキュールラビット達は今後の少女の食料にしようと思う。死にかけた時『ファイアボール』で援護してくれたし、俺にはウェンドベアの右腕があるから手柄を奪うほど飢えてもいない。


 狩も終わって俺はほっと一息ついた後、俺は『キュールバイト』で負傷した前足を覗き込んだ。出血は止まっていたが、削られた肉が戻ってくるまでには後一日はかかりそうだ。それまでこのじくじくした痛みに耐えるしかない。


 俺は立ち上がって、ずっと放って置いたままだったウェンドベアの右腕に向かった。

 ちょうどお腹も空いてきたところだが、食べる前にやることがある。


 力無く開かれたウェンドベアの手のひらは、俺の体を丸ごと包み込めるぐらいの大きさだ。よくもまあ、こんな巨大なものを運べたものだと自分でも思う。そして、指先にくっついたままのウェンドベアの鉤爪もまた例のごとく巨大だ。


 通常、魔回路は魔物が死んだ後はゆっくりと魔力を失っていく性質がある。もともと魔素は魔回路でもない限り離れやすい物質なので、肉体が朽ち果ててしまえばあっという間にため込んだ魔力が抜け出してしまうのだ。

 

 しかし、ウェンドベアのような強力な魔物は違う。肉体が強靭で、魔回路の密度が濃い場合は、肉体から流れ出るはずの魔力のほとんどが魔回路へと逃げ込んでいくのだ。

 

 その結果、死体から切り離しても魔回路が消えない『魔部』というものが完成する。


 ウェンドベアは強い魔物だった。だから絶対に魔部ができると俺は踏んで、初日の間ウェンドベアの肉には全く手をつけないでおいた。


 そして今、俺の読み通りに右腕の鉤爪は肉体からなだれ込んだ魔力によって、強い魔部となって輝いていた。以前の透明感のある青白さは消え、周囲の魔素が揺らめくほどの濃密な青に満たされている。


 これぐらいなら十分か、と俺は品定めして、鉤爪の付け根のあたりにそっと自分の爪をあてがった。プチプチッと鉤爪が剥がれ始め、一つがコロリと地面に転がる。俺は同じ手順で全ての鉤爪を剥ぎ取ると、張り付いた細かな肉片を丁寧に取り除いた。


 ふと隣を見てみると、俺の作業を興味深そうに少女が見つめていた。


 丁度良いと思いながら、俺は綺麗になった鉤爪五つを少女の方へ転がした。少女はパチパチと瞬きすると、痩せこけた顔で俺を見上げた。


「Dim eh yiwo uv?」


 何となく「もらっても良いのか」というニュアンスな気がしたので、俺は大きく頷いた。


 少女はパアッと笑顔になると、両腕で慎重に鉤爪五つを拾い上げて、洞窟の隅へパタパタと駆けて行った。


 俺はそれを微笑ましく見送り、今度は洞窟の隅に放置されたキュールラビットたちの方へ近づいた。


 キュールラビットは連携こそ油断できないが、個体で見れば弱い。だから魔回路が魔部になったとしてもウェンドベアのように強いものはできないので、早々に肉を切り分けて、少女が食べやすいようにしたほうがいいだろう。


 とりあえずキュールラビットを解体する。まずは皮を剥いで、内臓は一纏めにして地面に敷き、魔回路が通った前歯はとりあえず切り離して、後は四肢を食べやすいように骨つき肉みたいに切り離した。


 ぐちぐちと生々しい音を立てながら肉を小分けにしていると、背後でカランと硬いものが落ちる音がした。

 何かあったのかと振り返ってみると、少女が顔色を悪くしながらこちらを凝視していた。もしや傷が悪化したのかと駆け寄ると、少女は涙目になりながら俺を見上げて震えていた。

 そしてなぜかキュールラビットと俺を見比べた後、ぼふっと首元に抱き着いて泣き出してしまった。


 ………この子は何がしたいんだ。


 暖かいから抱きつくのは構わないが、事前通告ぐらい欲しい。言葉が話せないのはやはり不自由だ。


 とりあえず少女の傷が悪化したわけではないようなので、無用な心配だったらしい。一応俺は気遣ってペロリと少女の顔を舐めた。

 少女は一瞬驚いたようだが、やがて満面の笑みを浮かべて俺の首にグリグリと頭を押し付けてきた。心なしか顔色が良くなった気がする。何故だ。


 特にやることもないので、俺は少女が気がすむまでじっとしようと地面に伏せた。少し視線が下がったから、さっき少女に渡したウェンドベアの鉤爪と、その近くに置かれた木版の魔方陣がちょうど目に入った。


 あの木版は、キュールラビットの戦いで少女が手を貸してくれた時に使ったものだ。そこに彫り込まれた魔法陣には『ファイアボール』を具現化するための魔素の量や種類、その他もろもろの要素に命令を出す構成式があった。初歩的魔法なだけあって書かれている構成式は単純だ。


 ガラガラな魔法陣の隙間にもっと複雑な構成を書けば中級の『ファイアランス』になるだろうになぁ、と虚しく思いながら自分の手元を見下ろす。俺のこんな大きな手で書き加えようものなら、あの木版をへし折ってしまうだろう。少女に怒られそうだ。


 ………そういえば、俺はどこで魔法陣のことを教えてもらったんだっけか。


 のほほんと首を傾げていると、少女は俺が魔法陣に興味を持っていると気づいたようで、わざわざ走ってまで木版を持ってきてくれた。


 俺はお礼を兼ねて少女に自分の額をそっとこすりつけてから、正面に置かれた木版と魔法陣に目を通した。近くで見れば見る程、稚拙な魔法陣だ。


 そもそも、炎属性の魔法なのに木版に魔法陣を書いていることがおかしい。この魔法陣には発火防止の方式が書かれていないので、下手すれば本体の木版が黒焦げになって台無しだ。


 魔物だらけの森に来るなら、もっと上等な魔法陣かつ、魔道具なり杖なり準備をすればいいものを。

 これを持ってきた奴は生き残る気がなかったのか?


 話が脱線した。


 ともかく、俺はこの魔法陣の出来栄えが気に入らない。こんなものだけでは少女の生活が大変そうだ。どうせなら、焚き火と同じ効果になるものを木版とは別に地面に作ろうか。

 木版の方は少女がそのまま持っていれば護身用ぐらいにはなるのでそのままにしよう。もし木版が発火したら雪に投げ込んどけ。


 俺は木版を脇に押しやってから、洞窟の地面に爪を立てた。

 丁寧に円を描き、その中に構成式を細かく入れていく。


 狼の手では細かい作業が難しく、どうしても魔法陣が大きくなってしまう。


 魔法陣は小さいほど魔力の循環するスピードが早いが、逆に大きいとその分時間がかかってしまう。つまり俺の描く魔法陣は、この上なく時間効率が悪い。しかしその分規模は大きくなるので多めに見て欲しい。


 こういう時こそ魔回路が欲しい。魔力を操れれば手では書くことが出来ないぐらい緻密な魔法陣をいくらでも作れるのに。俺はそもそも魔回路がないので無理な話だ。


 そうこう考えて注意散漫になりながら作った魔法陣の出来栄えは、俺の性根のように見事に歪んでいた。多少歪んでも円と内側の数式に間違いがなければ機能するので、これもまた大目に見て欲しい。


 内部の設計図には炎属性の魔素、設置型、ファイアボールの応用で自動維持を描いておいた。これで適当に魔法陣の上に魔力を流せば、小一時間程度は焚き火と同じ炎を生み出せるはずだ。


 問題は、俺は魔力を全く扱えないということだ。どんなに良い魔法陣を描いたって、魔力が流せなければ意味がない。

 だから俺は魔法陣の隅に左手を置いて、試しにやってくれ、という思いを込めて少女にアイコンタクトを取った。


 新しく作られた魔法陣に興味津々だった少女は、俺の目を見るや、すぐに意図を悟ったように地面のそれに飛びついた。


 本当に理解してるのか不安だったが、それは杞憂に終わった。


 一瞬、少女を中心にそよ風が吹く。周辺の魔素が空気ごと少女に集まり、炎属性を示す橙色の淡い光が少女の腕の血管に沿うように輝きだした。やがてその魔素は少女の体になじみ、魔力となって魔法陣に流れだした。


 ぼっ、と魔法陣から少し浮いた場所に小さな炎が現れた。チロ火程度のしょぼい炎が魔法陣の上に広がり、洞窟の中をほんのりと明るく照らす。


 ちゃんと機能できたみたいだ。ただししょぼい。


 少女はそんなしょぼい魔法でも大きな歓声をあげた。

 本当に嬉しそうな反応で、俺は思わず尻尾を振った。


 その途端、ふらりと少女の体が傾ぐ。


 俺は慌てて前足でクッションを作り少女を支えた。顔色が少々悪くなっているので、魔力切れでも起こしたのだろう。キュールラビットを仕留めるときに一役買った『ファイアボール』と、今の焚き火擬きで相当な魔力を消費したに違いない。


 幸い、少女はすぐにハッと気を取り戻した。

 俺の前足にしがみついてなんとか起き上がると、なぜか俺の頭をもふもふと撫でてきた。撫でられるより殴られることが多かった俺にはなんだか新鮮で、無意識にきゅーんと声を出してしまった。

 それを聞いた少女はデレデレに口元を緩めて、俺の顎のあたりをわしゃわしゃし始めた。


 気持ちいい。しばらくこのままでいいや。


 目を細めて寝転がると、少女が俺のお腹にぽふっと飛び込んで来る。その時になってようやく俺は少女の体が冷え切っていることに気づいた。


 心地よさから一転、彼女が凍えてしまうのではと不安になって、俺は体を丸めて少女を温めた。少女は奇妙な声をあげて俺の毛の中に埋もれると、楽しそうな笑い声をあげた。


 それから数分後、ゆったりとした少女の寝息が聞こえてくる。急に眠ってしまって驚いたが、無理もないだろう。やせ細ったこの子には魔物との戦闘はハードだ。外出はもう少し控えた方がいいな。


 それにしても、と俺は火が付いたままの地面の魔法陣をじっと見つめる。


 少女は魔法の使い方を知っているようだったが、もしや学校に通っていたのだろうか。

 しかし本当に学校に通っていたなら、こんなところで奴隷の身分に落ちているわけがない。少女は独学で魔法を使いこなせるようになったのかもしれない。


 ……俺は、学校というものをよく知っているような気がした。


 そも、少女と出会ってから自分に関する疑問が確実に増えている。先ほどの魔法陣も然り、学校然り。ウェンドベアに襲われる前にも同じことを考えていた気がするが、なんだったかはよく覚えていない。


 まぁ、考えても仕方ない。

 俺は欠伸をすると、酸欠にならぬよう魔法陣のチロ火を吹き消して、少女と共に眠りにつくことにした。

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