(4)拾い物
物凄く全身が痛い。
全身打撲と一部骨折、さらには足の損傷で歩くのもやっとだ。辛うじて出血は止まっていたが、生きているのが不思議なぐらい俺はひどい状態だった。
特に『アイスクロー』で抉られた右後ろ足の傷が一番ひどい。
無数の虫が這いずっているような感覚がして不快極まりない。
ここまで格好がつかないなんて、と俺はウェンドベアに挑んだのを少しだけ後悔した。まぁ、やけくそで戦った末に勝利を収められたのだから、結果は上々だ。
しかも戦果はこれだけじゃない。日々食糧難に喘いでいた俺が、戦利品として一ヶ月以上は余裕で生きていける食料を手に入れることができたのだ。
もちろん、ウェンドベアの肉を俺一人で丸々平らげるなんてことは不可能だ。なので俺は奴の右腕だけ拝借し、あとはもったいないが捨てておくことにした。
今頃、戦場の跡に残されたウェンドベアの体は全部食われてしまって、死体の痕跡すら残っていないだろう。落ちこぼれの俺が白霧の森の王者を倒したなんて、兄弟たちだって知る由もない。それがなんだが面白かったし、悔しかった。
朝のウェンドベアとの激闘を経て、空が藍色になった頃。
俺は兼ねてから自分の塒用にと目をつけていた洞窟へたどり着いた。洞窟というよりは、積もった雪を掘っただけのかまくらに近いかもしれない。
まぁ、氷となった雪の質感はほぼ岩と同じだ。洞窟というのもあながち間違いではないだろう。
こういった住み心地の良い洞窟は、ほとんどがウェンドベアによって占拠されている。この洞窟も例外ではなかったが、宿主はつい数時間前に俺が殺したので問題はない。
俺は洞窟の中に入り、突き当りまで行って先客の気配がないことを確認した。洞窟の中には俺の殺したウェンドベアの匂いがまだ残っているので、一か月ぐらいなら他の魔物に襲われる心配はないだろう。
そも、ウェンドベアの巣に入り浸ろうとする馬鹿なんて俺だけに決まってる。今日からここが俺の家だ。
俺は満足げに息を吐くと、ずっと咥えて運んでいた洞窟の主人の右腕を洞窟の奥に押しやった。
片腕だけのくせに死ぬほど重かった。
顎がふにゃふにゃになって、しばらく肉を食べられそうにない。
一仕事やり終えた気分で、俺は体の痛みが悪化しない範囲でぐっと伸びをした。
すると、ずっと背中に背負っていたものがずるりと傾き始めたので、慌てて体制を戻した。
俺の背中には、雪崩の中で死にかけていた少女が眠っている。彼女は見た目からして奴隷なのだろうが、それにしたって肉がないし、全身痣だらけで痛々しすぎる。しかも半袖で穴だらけの麻布しか着ていないから、見ているだけでこっちも鳥肌が立ってきた。
俺は慎重に体を伏せて、尻尾を使ってゆっくりと少女を地面に下した。
こんな状態であっても、少女はまだ生きていた。呼吸は苦しげで顔色が悪いし、前足で頰に軽く触れてみると熱を発している。明らかに危険な状態だが、生憎俺は人間の治療法なぞ知らない。だから、側にいて見守るしかできなかった。
俺はしばらく思案してから、また少女を尻尾で持ち上げ、俺の腹部に寄りかかる様に寝かせた。それで俺は少女を包むように丸くなる。これで寒さぐらいは防げるだろう。
少しだけ少女の呼吸が和らいだのを見て、なぜか俺は安心した。
どうして見知らぬ少女を連れて帰ろうと思ったのか、俺自身も説明できない。
だが、ある一つの光景を見てからずっと、俺はこの少女が気になって仕方なかった。
俺はあの時、人間の馬車が蹂躙されていく様を遠くでしばらく眺めていた。ウェンドベアのすきを窺うためで、人間がどうなろうが正直どうでもよかった。
なのに、この少女を目にしてからは気が変わった。黒色のくすんだバサバサの髪で、服もボロボロ。小突けば簡単に折れてしまいそうな体。しかしそんな状態で、彼女は大の大人に挑みかかり、しまいにはその大人をウェンドベアに殺させた。
そのあと、少女も例外なくウェンドベアに殺されそうになっていた。
死ぬことが確定した状況の中、少女はなぜか笑っていた。
俺はその時、形容しがたい感情が渦巻いていくのをありありと感じた。なんとなく死んでほしくないと思ってしまった。だから彼女を殺さないように、全力で俺も戦った。
最初はウェンドベアに傷を負わせられたら、一矢報いたことになると思っていた。しかし、俺はもっとその先を求めて戦った。
こいつに勝って、生き残る。意地でも泥臭く生き抜いてやる。
そう思えたのは絶対に、この少女のおかげに違いなかった。
戦いが終わった後、俺は彼女を連れて行こうとなんとなく決めていた。この少女といると、不思議な感情に満たされて胸が暖かくなる。かつて兄弟たちと穏やかに暮らしていた時より些細なものだったが、久しぶりに感じた温もりは十分俺に幸せを与えてくれた。
どうか、この子の傷が無事に治りますように。
俺は耳元から聞こえる少女の呼吸を気にしながら、ゆっくりとまぶたを下ろした。
今だけは、母のそばで寝ていたときのように、いい夢を見れる気がした。