表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/11

main_7_崩れ往く認識。その先に

 次の日。

 悠月は携帯電話のアラームによって目を覚ました。

 自室から出てリビングに向かう。

 数週間ぶりに帰宅した自分の家は驚くほど閑散としていて寂しさすらあった。

 毎朝起こしに来た妹がいない。

 朝食を用意してくれる母がいない。

 そして――自分の師であった父はもうこの世にいない。

 騒がしかった日常が遠い日のように感じて悠月は表情を曇らせた。

 これから先は一人で全てのことを担わなければならない。

 食事も家事も学業も。

 あらゆることが自己責任となれば当然気は重くなるわけで。

 何から始めればいいのだろうと待った挙句、悠月は結局いつも通りのルーティンをこな

すことから始めた。

 時間を無駄にしたくないので、テレビの電源を入れてキッチンへ立つ。

 買い置きしてあった食材にざっと目を通し、賞味期限切れの数々に嫌にさせられながら

もどうにでもなってしまえと調理を進めていく。

 食パンが焼きあがる前に着替えを済ませて洗面台へ。

 顔を洗ってから、洗面鏡に映る自分の両目を見て、ふと悠月は思った。

「コンタクト……どうしようかな」

 傍らに置いてあるコンタクトレンズの容器に視線を向ける。

 次に自分の両手を遠くにかざしてぼやけているか確認。

 リビングに顔を出して先にあるキッチンや辺りにモノを見渡す。

 全てがハッキリと認識できていた。

「普通に見えるな。別につけなくてもいいか。誰に怒られるわけでもないし」

 悠月は普段付けていたレンズをつけずに洗面所を出た。

 元々、悠月の視力は補強などしなくても十分に優れていたのだ。

 何故コンタクトを装着しなければならないのかはとうの本人が一番理解していない。

 ただ、悠月は律儀に父親である仁の言い付けを守っていただけなのだから。

 そうして適当に身支度を調えた悠月は朝食のメインであるパンを食みながらテレビを眺

める。

 行儀の悪さを咎める者もいないので食事はソファーの上だ。

 画面の向こうでは数週間前に起きたハロウィンの日の謎について解き明かすという名目

で専門家を名乗る人たちが熱い議論を交わしていた。

 巨大なボードには事件のあらましや被害者数が書いてある。

 だが、肝心の原因については全く至れていないようだ。

「くだらない。見当違いもいいところだ」

 こうして大々的に番組を組まれているあたり、やはり世間には周知されているようだ。

 きっと学校にも知れ渡っていることだろう。

 ふと、携帯の画面に明かりが灯ってメッセージが表示された。

 差出人は天音からであった。

 いつ学校に来るのか、という簡素なメッセージに答えるように悠月は席を立つ。

 リビングに掛けられた時計を見ると時計の短針はもうすぐ十二時を刺そうとしていた。

「……そろそろ行こうか。あまり気は乗らないけど」


 正午過ぎ。

 悠月は久しぶりに学校へと足を運んだ。

「長い間、ご心配をおかけしました」

「ううん、いいのよ。謝らないで。徐々に普段通りの生活に戻ってくれればいいからね」

「はい。ありがとうございます」

「授業には余裕が出たら参加してくれればいいから。ご家族のことで心配もあるでしょう

けど、一人で抱え込まずに悩んだら誰でもいいから相談しなさい。先生でもいいし、雨宮

さんでもいいわ。あっ、これまでの授業については狼神くんにやらせてあるから。彼から

話を聞いたりノートを借りなさい」

「は、はぁ……わかりました」

 諸々の事務的な手続きを行って悠月は教員室を後にした。

 悠月の担任である鈴花は数週間ぶりの生徒との再会を心から喜んでくれた。

 いつもの厳しい表情はどこへやら。普段見せない過保護っぷりに悠月の方が面を食らっ

てしまうほどである。

 ともかく、家庭のことも考慮して無理をせずに登校せよ。というのが彼女が悠月に科し

た課題であった。

 昼食の時間帯であることも重なって学内は大勢の生徒で溢れていた。

 すれ違う学生たちはいつもと変わらない様子で日々を過ごしているようだ。

 ただ、中には悠月の存在に気づく者もいた。

 様子を伺うように歩みを止めたり、大げさに道を開けたり。

 優しい生徒は声をかけてくれたりもした。

 反応は人それぞれだ。別にそれに関して悠月が怒るということはない。

 それよりもあの日の事件が実際に現実に起きていたことなのだと肌身で感じられたこと

の方が悠月にとっては大きな収獲であった。

 階段を上り、二階から三階へ続く踊り場へ辿り着く悠月。

 所属している1年A組は階段を上がればすぐの角部屋だ。

 久しぶりの教室。久しぶりの学友たちとの再会をどう迎えればいいのか。

 緊張する必要はないのに妙に浮ついた気持ちを抱えて悠月は足を踏み出した。

 ふと、視界の端に見知った人物が映りこんだ。

「……天音」

 恐らく、お昼休みが始まってからずっと悠月が来るのを待っていたのだろう。

 天音は心底退屈そうに俯いて変化の起こらない廊下を眺めていた。

 その姿はさながら初めてのデートで遅れてくる彼氏を待つ彼女のようである。

 ともすれば、彼氏が来た際の反応は非常に予想しやすいだろう。

「ユウ! もぉ~遅っそ~い!! いま何時だと思ってるの。早くしないとお昼の時間が

終わっちゃうでしょう!」

「ごめんごめん。先に職員室に行ってたから少し遅れちゃった」

「はぁ……まったく。てっきり私、来ないかと思って心配してたんだからね」

 腕を組んでむすーっと唇を尖らせる天音。その表情は怒っているように見えるが、声色

はどこか弾んでいた。

 喜怒哀楽の変化は悠月がよく知る女子の中でも特に解り易い傾向にある彼女だ。こんな

短いやり取りの中でもその表情はコロコロと変わっていて、彼女の複雑な心中を表してい

るようだった。

 さしづめ〝照れ隠し〟と言ったところだろうか。

 嬉しいけれど表立ってはしゃいでしまえば数少ない意中の男の子に幻滅されてしまう。

 だからこの場ではあくまで冷静に。歳相応の態度を取って落ち着いた女の子のように振

るまい決して悠月の評価を下げないようにせねばならない――と。どうせそんなことでも

考えているのだろう。

 とうの本人からすれば、彼女の努力はまるで無駄であるのだが、元々悠月は天音のこう

いった部分が好きであるから注意する気もサラサラなかった。

 ともかく二人はこの学び舎で再び、こうして顔を合わせることができたのだ。

「にしても、まさかずっと此処で待っててくれたの? 先に食べててもよかったのに」

「そんなことできるわけないでしょう。大体、私がいなかったらどうやって教室に入って

くるつもりよ。ユウ、注目されるの苦手でしょう。私がうまーく取り持ってあげるって」

「余計なお世話だよ。まぁ……確かにあんまり得意じゃないけど、だからといって苦手と

言うほど口下手でも上がり性でもないつもりだよ」

「ハイハイ。わかったわかった。ユウの言い分はよーくわかりました。ま、こういうとこ

ろは小さい頃から変わってないからね。私に任せといて。ほら、行くよ!」

「うわっ!! あっ、ちょっと天音!?」

 この瞬間をどれだけ待ちわびていたのだろう。

 天音は有無も言わさぬ勢いで悠月を教室に招きいれた。

「みんなー! ユウが戻ってきたよー!」

 教室のドアを思いっきり開いて天音はわざと注目を浴びるように大声を上げた。

 対して悠月はこの女はなんてことをするのだろうと驚きのあまり声を失った。

 それもそのはず、悠月の本来の計画はこのまま静かに教室に溶け込んで粛々と授業を受

けそれとなく好奇の眼差しをやり過ごして帰るつもりだったのだ。

 特に顔見知りの多い同じクラスでは尚のこと。

 だが、この完璧な計画をこの雨宮天音という幼馴染は一瞬で無へと帰したのだ。

 当然、室内に居たクラスメイトは何事かと一時騒然としたが、悠月の姿を確認するとた

ちまち湧いて出た湯水のようにドッと盛り上がった。

 男女問わずワラワラと悠月の周りに人集りが出来る。

 皆、口にするのは悠月の身体の心配だ。

 数週間に渡る入院生活ともなれば興味が沸くのだろう、集まってきた友人の中にはペタ

ペタと身体を触ってくる輩もいた。

 もみくちゃにされる悠月であったが、その表情には笑みが浮かんでいる。

 悠月はこの瞬間まで知らなかったのだ。一体どれだけの人たちが自分の身を案じてくれ

ていたのかを。

 普段、人とは距離を置き、決して積極的に交友関係を築こうとしていなかった彼だから

こそ、この事実には驚きを隠せなかったのだ。

 なによりも誰一人として悠月の復学を拒む者がいなかったから尚更だ。

 ――みんなの気持ちが温かった。

 その一部始終を遠くで見ている人物に気づいて悠月はようやく輪の中から抜け出した。

「ナオト」

「……なんだよ」

 ぷいっと視線を外に向けて、ナオトはぶっきらぼうに返事をした。

「心配、かけたかな」

「ハッ、別に。心配なんかしちゃいねーよ。オマエが頑丈にできてんのはオレが一番よく

知ってるからな」

「ナオトも無事でよかったよ」

「ケッ、お陰様でな。こっちはこっちで頭を五針縫う大怪我だったんだが」

「あ、だから包帯してるんだ」

「テメェ、一体誰のせいでこうなったと思ってんだ。危うく死ぬところだったんだぞ!」

 ガバッと勢いよく席を立つナオト。

 握りこぶしを作って今にも殴りかからんばかりの勢いで悠月を捲くし立てるも。

「……それは僕も同じだったんだけど」

「……」

 既知の事実にハッとしてバツが悪そうにナオトは頭を掻き毟った。

「だぁああああああああッ! とにかくだ。お互い生きてて良かったな、うん! んなこ

とよりもメシ食おうぜ、メシ。オレもう腹減って死にそうなんだ。天音の野郎がオマエが

来るまではお預けとか抜かしやがるからずっと待ってたんだぜ」

「あぁ……うん」

 雑なまとめ方だなぁと感じながらも悠月は二つ返事で頷いた。

「オイ、席くっつけるぞ」

 ナオトは適当に声をかけて窓際の机をくっつけると乱暴に腰を下ろした。

 ちなみに窓際の後ろニ席はナオトと悠月の席である。

 天音の席は丁度横にある為、教室で昼食を摂る際はいつもこうして席を合わせるのだ。

 もちろん、ナオトが了承を得た人物は天音である。

「はいはい。悪うございましたね、お待たせしちゃって。じゃあ早速食べようか」

「んで、肝心のメシは。何もねーじゃねーか」

「心配しないの。ちゃんと優秀なデリバリーを頼んであるって」

「デリバリー?」

「うん。多分、来る頃だとは思うんだけど」

「ぱ~い~せ~ん~~!!」

 彼方でバタバタと廊下を走る足音が聞こえる。

 快活で陽気な帰国子女。

 金髪ツインテールの後輩にして喫茶シェールノワールの看板娘が両手に戦果を抱えて1

年A組の教室へと乗り込んできたのだ。

「頼もう! ここは雨宮パイセンズの教室で相違ないかー!」

「ほら、噂をすればなんとやらでしょ」

 天音は得意げにウインクをして。

「うむ、相違ないぞ。早く近こう寄れ」

「ハ、ははぁ~! ありがたき幸せ。中等部三年、霧島林檎、入ります!!」

「アホくさ。なにやってんだか」

 飽きれたように溜息を吐くナオトを横目に林檎は嬉々として戦果の報告を行った。

「パイセンパイセン、見てくださいよコレ。林檎、ちゃんと買えましたよ。本日の限定ス

ペシャルランチセット二個! いやぁ~手に入れるのに苦労しましたよ、行列に並ぶこと

十分。なんとかギリギリのゲットです」

「ありがと~ほんとに助かったよ!」

 机の上に次々と並べられていく昼食の量を見て悠月は目を点にした。

 スペシャルランチセット。それは名前の通りスペシャルな品々で構成された学生に人気

のメニューである。

 この商品はハンバーグにから揚げ、オムライスにエビフライなど。若者が好むであろう

食材を中心に構成されたハイカロリーの詰め合わせセットだ。

 値段は五百円。大変お手ごろな価格設定に加えてこのボリュームだから特に体育会系の

学生からは絶大な人気を誇っている。

 量が多いので分けてみんなで食べるもよし。一人でタイムアタックをするもよし。お昼

の時間。退屈な授業の合間にちょっとしたイベントができるということで古くから月見ノ

原では広く知られているメジャーな限定商品なのである。

「おぉ~……なんだよなんだよ、今日はやけに豪華じぇねーか。早速食べようぜ!」

「フフン、でしょう。ユウの快気祝い。ナオトはついでだけどここは私が驕るからどーん

と食べちゃって。やっぱり男の子だからたくさん食べないとね」

「やりぃ! いっただっきまーす!!」

 空腹というのは本当なのだろう。ナオトは目の前に並べられていく圧倒的なボリューム

に瞳をキラキラと輝かせ、配膳された先から口に放り込んでいく。

 ただ、悠月の場合は全く違う。

 数が増えれば増えるほどゲンナリと苦笑いを浮かべるのだ。

 理由など知れている。なぜなら悠月はこんな展開になるとは全く予期しておらず、ほん

の数時間前に朝食という名の昼食を済ませてしまったのだから。

「どうしたの、ユウ。早く食べなよお昼の時間もうないよ」

 しかも最悪なことに時間の制限まであるときた。これではもうチャレンジ料理を注文し

たのと大差ない。

 まさか快気祝いと称した新手の拷問なのだろうか。

 元々小食なことも手伝って天音の純粋な気持ちを邪推してしまう悠月であったが、これ

はもう勝負をかけるしかない。彼女の気持ちもわかるから無下にはできないのだ。

 できれば女性陣が手にしている菓子パンの方がいいなぁなんてことも思いながらも悠月

は席について箸を執った。

「いただきます! 残したらごめんなさい持って帰ります!」

「どうぞどうぞ。たくさん召し上がれ」

 悠月が涙目になりながら食事を摂る最中、ふとナオトが問いかける。

「そういやお前さ、これから学校はどうすんだよ。授業には参加すんのか」

「先生には徐々に慣らしていけばいいって言われてるから今日は次のホームルームだけ受

けて帰るよ。家族のこともあるからね、今後のことは展開次第かな」

「ふーん、了解。ま、ノートくらいは取っといてやるよ。先生に釘刺されてるしな」

「アイちゃんは元気ですか」

 いつになく真面目なトーンで林檎は口を開いた。

 普段の呼び方でないことからも彼女の身を真剣に案じていることが容易に窺える。

 この問いかけから察するに林檎も例外なく鷲宮家の事情を知っているのだろう。

「うん、元気だよ。傷はまだ癒えてないけどきっと治るってお医者さんも言ってたから」

「そうですか。アハ、なら良かったです。アイちゃんの病気もお母さんの病気も早く治る

といいですね。できることがあればなんでも林檎に言ってください。ウチのお父さんにも

協力を要請しますから」

 全くの出鱈目だが彼女を不安にさせてはならないという気持ちが悠月に嘘をつかせた。

 現代の医療では回復の兆しは見えないが奇跡を引き起こす魔法ならば可能性はゼロでは

ない。嘘が本当にならないようにする為には今後の悠月の行動が要となるだろう。

 真相に近づくヒントはあらゆる場所に転がっている。

 そう考えればこの二人の情報も見過ごせない。

 勇んで悠月は行動に移すことにした。

「ところでみんなはあの日の夜のこと、何か覚えてる?」

「あの日のこと……ハロウィンの日のこと?」

「うん」

 気づかない程度の仕草でナオトは目を光らせ、周囲の言葉に耳を傾けた。

「私はユウに家にいろって言われたから一人寂しく自宅で待機してたよ。事件を知ったの

は朝のニュースで。なんでも濃霧が起きたとか。毒ガスが漏れたって話も聞くけど……私

はあんまり信じてないな。だってガスで意識を失ったんならユウが大怪我をしたのに理由

がつかないもん。ユウは実際にお腹に穴が開いちゃってたわけだし」

「ちょっと待ってよ。毒ガスとか濃霧ってどういうこと? 僕が病院で聞いたのは神隠し

に遭ったって話だけなんだけど」

「あれはほんの一部の情報だよ。ちょっと待って、まとめサイトのURLを送るから」

 天音が携帯電話を操作している間、悠月は林檎にも訪ねた。

「林檎ちゃんは何か知らない?」

「……ごめんなさい、林檎は何も。あの日の夜はいつの間にか眠っちゃってて。起きたら

ベッドの上に居て、外でなにが起きていたのかは全然知らないんです」

「マスターは何か言ってなかったかな」

「う~ん、お父さんも特別変なことは言ってなかったかな。本当に不思議なんですけどな

んかお父さんも気を失っちゃってたみたいで……アハハ、可笑しいですよねホント。親子

揃って寝過ごすなんて、事件に巻き込まれてたらどうすんだーって話で――あっ、すみま

せん。不謹慎でしたね、こんな時に」

「ううん。いいんだ、気にしないで。一番大切なのは自分の家族でしょう。何もなかった

ならそれでいいんだよ。謝るようなことじゃない」

「……はい」

 シュンとしてしまった林檎を気遣いながらも悠月はナオトに視線を向けた。

「ナオトは。実家の神社は駅前からそう遠くないでしょう。変な影響とかなかった?」

「いーや実家はなーんも。ボロの神社でも一応神様を祭ってる神聖な場所だから、ヘンテ

コな事件には巻き込まれないようになってんじゃねーか。オレと違って親父たちはピンピ

ンしてたしなぁ。ほんと癪に障るよな、オカシな話ばっかでよ」

「ちなみにナオトはあの日の事は覚えて――」

「あっ、あった! ユウ、いまそっちに記事送ったから内容確認してみてー!」

「え、あぁ……」

 丁度声が重なるような状態で天音が会話に割り込んできた。

 次いで感じたのはポケットに着信を知らせるバイブレータだった。 

「おい、オマエ。タイミング考えろって。なに言ってたか聞き取れなかったろーが」

「ごめんって。でもナオトの話聞くよりは有力でしょう。アンタ頭打ってるし自分が言っ

てることも嘘か本当か判断ついてないでしょう」

「失礼な女だなぁ、オマエ。んなことだから顔はいいのに彼氏ができねーんだよ」

「あっ、ひっどーい。いま地味に気にしてること言った! えっ、あっ、でもちょっと待

って。顔はいいって褒めてくれた!? あ、どうしよ、珍しく嬉しいこと言ってくれた。こ

れは怒るところ? 喜ぶところ? ねぇ林檎ちゃんどっちだと思う!?」

「こういう時は素直に喜びましょう。女の子は笑うことで魅力を増すんですよ。多分!」

 ごちゃごちゃと外野が盛り上がっているのを無視して、悠月は送信されたデータを確認

した。

 まとめサイト。匿名性でどこぞの誰とも知らぬ者たちが正確性に欠ける幾多もの最新情

報をつらつらと書き連ねては論議を交わすインターネット上の電子掲示板。

 手にしている携帯電話の画面には呪文書よろしく細かな字が所狭しと列挙し表題と共に

整列している。

 既にあの日から数週間が経過している為、パッと見た限りではお目当ての情報はない。

 悠月は親指で画面をスクロールしながら記事を精査していく。

 そうして丁度一ページ目が終わろうとした底の部分でようやく悠月は探していた記事を

見つけることができた。

 タップして該当するページを開く。

 其処にはあの日の出来事を推測する多くのコメントや論議が繰り広げられていた。

「どう、見つかった?」

「うん、確認した。ありがとう。家に帰ったらじっくり読んでみるよ」

 かくして、悠月が一通りの情報収集を終えた頃。タイミングよく午後の授業開始を事前

に知らせるチャイムが教室内に鳴り響いた。

 時間にして後五分もすれば教師たちが一斉に教卓の前へと姿を現すことだろう。

 ともすれば、同じ教室である幼馴染三人組はまだしも林檎に関しては急ぎ自分の学び舎

へと戻る必要がある。

 幸い、林檎の所属する月中は月高と同じ敷地内にある。

 残された時間が僅か五分少々であっても彼女の健脚を以ってすればもと来た道を戻るな

ど造作もないことだろう。

 ただそれはこの一時の安らぎを放棄すれば、に限った話ではあるが。

「はぁ……もう次の授業かー。せっかく久しぶりにパイセンに会えたのにホント残念。も

っとお話ししたかったのになぁ……」

「大丈夫よ。焦らなくたって時間はまだまだあるわ。なにもこれが最後の晩餐ってわけで

もないじゃない。ユウも戻ってきたことだし、これからは少しずつ元の生活に戻っていく

よ。玲愛ちゃんだってお母さんだってきっと元気になるんだから。ね、ユウ?」

「うん。そうなるように頑張るよ」

「じゃあじゃあ、アイちゃんたちが退院した時にはウチでパーティーやりましょう。あの

日、できなかったことをもう一度やるんです。皆で揃って大宴会! どうです!?」

「おっ、いいね。私は大賛成!! 二人もいいよね!?」

「もちろん」

「断る理由はねーな」

「やったぁ! じゃあ今からスケジュール組んどきますね。あ、お父さんにも許可とって

おかなきゃ。当然、貸切にしますよ、貸切! その日は一日騒ぎましょう。約束しました

からね、今度は絶対に皆揃ってウチに来てくださいよ」

 林檎は忙しく飛び跳ねながら教室を去っていった。

 途端、静まり返っていく空気に彼女の影響力の強さを改めて感じる悠月たち。

 楽しい時間はあっという間に過ぎていく。

 熱はまだ醒めず、余韻はまだ胸の内に残っているが次のホームルームも控えている。

 教室に残された三人は自然と視線を合わせてまったく同じことを考えていた。

「しょうがない。次の授業の準備しようか。ナオトは早く食べちゃってよ。ユウは無理だ

ったら持ち帰っていいから」

「なんでオレだけ強制なんだよ。ちきしょう!」

 机を離し授業が出来る状態を整えていく面々。

 十一月二十ニ日。あの惨劇から三週間あまり。

 冬の到来を待つはずの秋空は例年以上に暖かく、異常とも呼べるほどの気温を記録して

いた。

 命を繋ぐ雨はここ数週間降っておらず、大地は日を増すごとに干上がっている。

 この影響は直ちに人々の生活に打撃を与えないまでも、過剰に実った作物を屠るには十

分な威力があった。

 水面下で策謀を巡らし力を蓄えている者の正体は未だ誰も知る由もない。


 午後のホームルームを終えて学校を後にした悠月は自宅へと戻っていた。

 天音から貰った情報を頼りに携帯電話と自室から引っさげてきたノートパソコンを駆使

して文字の羅列を精査していく。

 悠月が熱心に調べている事柄は当然、あの紅い月の夜のこと。

 しかし、有力な情報は何一つ掴めない。

 情報が錯綜し半ばオカルトじみた話題にまで発展していることを知って、悠月は落胆と

共にパソコンを閉じた。

「駄目だ。まるで役に立たない。あの事件は通り魔や濃霧の影響なんかじゃないのに」

 世間が知っている情報と自分が持っている情報に違いがありすぎるのだ。

「やっぱりあの人にもう一度会うしかない。魔女である彼女に。けど、どうしたら会える

んだ。連絡先も知らない相手に」

 悠月は頭を悩ませながらも必死に思考する。

 所在不明の相手と如何にして出会うか。

 過去の事実をベースに可能性を探す。

 事件、事故、事案。彼女が現れる背景にはいつもこれらが付きまとっている。

 時間は昼夜を問わない。

 場所には――特定の法則性があった。

 思い出される彼女との対面は過去三回。

 いずれも外の世界とは隔絶された人の訪れないような場所に彼女は現れた。

 だとすれば、彼女と出会える可能性は同じような条件が揃ったところか。

 しかし、そう簡単に姿を現すかどうか。

「いや、ある。あるじゃないか。あの人に会えそうな場所が」

 彼女は自分のことを情報屋だとも言っていた。

 大きな事件は過ぎ去ったがその後遺症とも呼べる被害はまだ残っている。だったらその

を調査する必要があるはずだ。

 月見ノ原駅前。惨劇の起きたあの場所に足を運べば必ずやまた彼女と相まみえる。

 悠月は思い立って家を後にした。

 背中には一振りの短刀を隠し携えた。

 天に昇っていた太陽はとうに傾き、街には薄暮が迫っている。

 光と闇の境界線が切り替わった時、世界は裏の顔を覗かせる。

 生者たちが退けられる闇が姿を現すのだ。

 斯うして、あの日あの夜から停滞していた少年の日常は加速度的に動き出す。

 先に待ち受けるのは幸福か、それとも絶望か。

 この時の悠月にはまだ知る術もない。


 自宅を出て駅前に着く頃には辺りはすっかり夕暮れに染まっていた。

 夕日が照らし出す世界は陰鬱とした気分をより一層深くしていく。

 複雑に絡み合った感情は焦燥感となって悠月の心に理不尽な圧力をかけていた。

 はやる気持ちを静めようとも自分にはどうすることもできない。

 歯痒さに唇を噛み締めながらも悠月にできることは前に進むことだけだ。

 事件が起きてからというもの悠月は意図して駅前には来なかった。

 ここには思い出したくもない過去がたくさんあるからだ。

 どうやらそれは街の住人にも共通して当てはまることらしい。

 久しぶりに訪れた月見ノ原駅前は随分と閑散としていた。

 駅の周辺はあらゆる場所が立ち入り禁止区域となっていた。

 規制線で囲まれた箇所は当時の面影を残していて被害の爪痕が窺える。

 普段は仕事をしていない警官たちも今回ばかりは警戒を強めているようで怪しい人物が

いないか監視しているようだ。

 この動向から察するに警察は未だに事件の真相を追っていると見て間違いないだろう。

 院内で説明された主治医の話に偽りはなかったということだ。

 と、なると悲しいことにもう一方の情報。メディアが手を退いているという話も信じな

ければならないのだが、いまは落胆している暇はない。

 悠月は外の状況を一通り確認すると駅構内に潜入した。

 人の往行がある構内で潜入するというのも可笑しなことではあるが、息を潜めて探りを

入れている様子は諜報員のソレだ。

 構内の飲食店、衣料品店などは従来の活気を取り戻している。

 点々と営業を停止している箇所もあるが、あんな被害に遭えば無理からぬこと。

 すっかり変わってしまった寂れた営みを見つめる悠月の表情は固い。

 助ける術は無かったとはいえ、改めて喪われたモノの大きさに気づかされた悠月はその

無力感と憤りをバネに足を進めていく。

 向かった先は屋上へと続く階段だ。

 目的地は悠月が意識を失った最上階の屋上。

 黄色のバリケードテープが張られているということは各階にも同じように規制を施して

いるに違いない。

 最下層から進入したのでは足がつく可能性がある。

 エレベータで一つ下の階層である六階まで移動した悠月は、最低限の警戒をした上で躊

躇なく規制線を跨いだ。

 固く閉ざされた扉は嫌な音を立てるもののどうやら開くようだ。

 こうなれば用心など無駄ではあるが、悠月はゆっくりと扉を開け放つ。

「……ッ」

 差し込む夕日に一瞬目が眩む。

 あの日以来訪れなかった殺風景な屋上は、しかしあの当時の凄惨さを残したまま依然と

して広がっていた。

 折れてひしゃげた鉄柵が。杭を打たれたように割れたコンクリートが。地表に撒かれた

茶色い塗料のような血痕があらゆる箇所に散見される。

 思い出されるのはあの日の黒衣の怪物だ。

 あの夜、月見ノ原を戦禍に陥れた恐怖の象徴は結局どうなったのか。

 その辺りも含めて彼女には事情を問いたださなければならないだろう。

 とはいえ、悠月とて何もしないわけにはいかない。

 聞き込みで補えない部分は足を使って集めるしかないのだ。

 彼女に会えば解決するようなことであっても可能な限りは自分で調べようと悠月は独自

に調査を開始した。

「僕がやられたのはこの場所か」

 一際血痕が広がっている箇所で悠月は足を止めた。

 次いで、怪物がいた方角を見た。

「こうして見るとどっちみち攻撃が届くような距離じゃなかったか」

 戦闘の反省も踏まえて他に血痕がないかを探していく。

 既に闇に染まりつつある洛陽の空では僅かな見落としがあるかもしれないが、悠月の場

合に限っては当てはまらない。

 埒外に秀でた瞳には薄暮の障害など無いに等しく鮮明に状況を映し出す。

 結果として得たのは悠月が流した血潮以外に目立った証拠が見当たらないということ。

 あれだけの被害者を出したにも関わらず、その痕跡は不釣合いなほどに少ないという事

実だけった。

「確かに可笑しいな。あれだけの被害が出たのに殆ど外傷が残ってないなんて。これじゃ

あ、まるであの時と一緒だ。――路地裏で初めてあの人に逢ったときとまるっきり」

 疑念が深まる。外傷が無いのであれば何故、被害者の意識は戻らないのか。

 これでは原因不明の意識障害と呼ばれても無理はない。

 基本的に昏睡状態になるには何らかの機能不全に陥る必要がある。

 精神的なショックや脳震盪。脳内部にまで至る外傷など。

 例をあげればキリはないが数人ならばまだしも数十、数百人規模である。

 患者数を考慮すれば一夜にしてこれだけ急増は現実的ではないのだ。

 悠月は顔を上げて給水塔を見た。

 魔女、アルメリア・リア・ハート。彼女が現れたのはあの給水塔の上だった。

 彼女が話していたことを思い出す。

 ――〝ここはもう駄目かと思っていたが〟

 おそらく彼女は各所の被害を見た後にこの場所に辿り着いたのだ。

 まさか怪物が街を襲っているのを傍観していたということはないだろう。

 そして彼女はこうも言っていた。

 〝この脅威を退けるにはお前の力が必要かもしれん〟と。

 自分に利用価値があると謳っておきながら、何故彼女は姿を現さないのか。

 まさか彼女の存在自体も死の間際に視た虚像だったのだろうか。

 ――否。そんなことはありえないと悠月は首を振って否定する。

 あの日見た彼女は確かに存在していた。

 偶像でも虚像でもない。凛然とした出で立ちは今も悠月の心に強く残っている。

 あの恐怖の夜も勇ましくあり続けた彼女の姿を幻視して悠月は決意を籠めて告げる。

「――いい加減出て来い、アルメリア。僕は逃げも隠れもしない。僕の力が必要なら手を

貸す準備はできている」

 逆巻く風は肯定するかのように悠月の頬を撫で上げた。

 再会の日は近い。

 確信めいた直感を頼りに悠月は屋上を後にした。


 路地裏は外の光を通さないほどに暗い闇で覆われていた。

 思えば彼女との出会いはこの場所から始まった。

 捨てられたゴミのように壁にもたれかかった死体と腐臭。

 たった数分の彼女とのやり取りを悠月は今でも鮮明に覚えている。

 入り組んだ道ではあるが進んでいけば袋小路になった一角に辿り着くはずだ。

 まさかこんな形で再びこの場所を訪れるとは悠月自身考えてもいなかっただろう。

 もし、あの時と違いがあるとするならばそれは日が沈んでしまったという点だ。

 夜には異界の住人が姿を現す。

 怪魔、怪異、魑魅魍魎の類は決まって宵のうちに人々を襲うのだ。

 這い出る狂気に晒されるかどうかはそれこそ運としか言いようがない。

 ただ、魔に魅入られた者は果たしてどうか。

 魔性を宿す者は魔性に惹かれる。悠月とてもう例外ではない。

 なればこそ、彼女は再三に渡って忠告をしていたのだ。

 かくして、闇の住人は悠月を嘲笑うように地より淀み溢れ出る。

「く……っ!」

 袋小路の先には当然死体などない。

 奇妙に咲いていた血の華も今となっては綺麗に洗い流されている。

 此処にいるのは無用心にあちらの世界に踏み込んだ愚か者が一人。

 《奴ら》からすれば今宵喰らうに相応しい格好の餌でしかなかった。

「なんで……なんでよりによってお前たちなんだッ!!」

 敵に背を向けていても悠月にはこの嫌悪感に覚えがあった。

 否、忘れられるはずもない。

 揺らめく気配と佇むだけで人を恐怖に突き落とす殺意の象徴を。

 見たくもない現実が悠月の背後で犇き蠢いていた。

 嗚呼――この感覚が偽りであったならどれだけ良かったことか。

 怒りに震える指先を握り締めて悠月は振り向き様に抜刀して構えた。

「わかったよ。お前たちがどうしてもやりたいっていうならどこまでも付き合ってやる」

 鮮やかに。

 鷲宮悠月の双眸が仇名す敵を葬らんと極彩色の輝きを取り戻した。

「だけど覚悟してもらう。次に死ぬのはお前たちの方だ」

 白刃を敵に向けて意識を集中させる。

 悠月の背後に退路はない。

 即ち、この状況を切り抜けるには迫り来る敵を全て殲滅するしかないのだ。

 相手の出方を窺いながら、自らも攻撃を仕掛ける為に隙を狙っていく。

 間合いは距離にして五メートルもない。

 魔法使いとして覚醒した悠月からすれば一瞬のうちに詰められる。

 だがそれは相手とて同じだ。

 あの夜の一戦で生死を賭して刃を交えたからこそ互いの手のうちはわかっている。

 両者共に決定打となりうるのは直接攻撃による物理的殺傷。それを置いて他に無い。

 唯一、対処が困難な原理不明の不意打ちがあるが今回ばかりは使えないだろう。

 理由は明白で悠月の背にはヒト一人入るほどの余裕もないからだ。これでは背後に回り

込むのも容易ではない。

 左右から攻め込もうにもこの裏路地では両脇に展開できるほどのスペースもない。

 こうなれば必然、戦闘は真っ向勝負になる。

 単純な攻防だけならば悠月にかなりの有利があった。

「――ッ」

 悠月が息を呑む。

 一撃を貰えば勝敗はすぐに決するからだ。

 相対する敵を注視し僅かばかりも視線を離すまいと睨みを利かせている。

 それもそのはずで今回の襲撃者はあの夜の怪物とは決定的に何かが違ったからだ。

 当初、悠月もこの〝違い〟には全く気がつかなかった。

 不気味に佇むその出で立ちも、放つ殺気もあの夜の怪物と同じだったからだ。

 ただ、あの時とは風貌が随分異なっている。

 身体を多い尽くす漆黒の外套らしきものは纏っているものの肝心の顔がない。

 白い仮面も赤橙色に滾る瞳もこの敵はどうやら持ち合わせていないようだ。

 どんな理屈の上に成り立っているのかはわからないが、言い例えるならソレは監視のみ

を司る灯台のような存在であった。

 どうにも可笑しい。

 どちらかというと恐怖よりも懐疑的な気持ちが上回り始めた頃。

 黒衣の怪物が突如としてその総身を震わせた。

「なんだッ!?」

 悠月が驚いたのも束の間。

 次いで傍らにいた怪物も側方からの衝撃を受けて水泡のように現界を解いていく。

 一体なにが起きたのか。

 最初に刺し貫かれた怪物が現界を解いていくのとほぼ同時に彼方から声が聞こえた。

 否、彼方というには余りにも距離が近すぎる。

 都合五メートル先の間合いに新たに現れたのは細身の青年。

 背筋が凍るほどに鋭い視線は暗殺者を思わせる。

 青年はかけていた眼鏡を定位置に戻すと飽きれたように言葉を発した。

「まったく。あの人が言った通りだったな。危なっかしくて見ていられない」

 男は怪物を屠った刃を横一線に振りぬくと付着した血糊を払った。

「鷲宮悠月だな」

「……あなたは?」

 緊張を崩さずに悠月は声の主に問いかける。

「それは聞くだけ野暮ってものじゃないか。こんな場所に来るなんて普通の人間じゃ無理

だろう。俺が何者かなんて君が一番わかっているはずだ」

「まさか」

 悠月の驚きを肯定するように男は不敵に口角を吊り上げて嗤った。

「そうだ。俺も君と同じく異能の力を与えられた存在。つまりは――〝同類〟さ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ